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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年3月号

会議

盲ろうインターナショナル―第2回アジア会議に参加して―

庵悟・門川紳一郎

◆はじめに

2006年1月29~31日、バングラデシュの首都ダッカにて、盲ろうインターナショナル(Deafblind International:DbI)第2回アジア会議が開催された。

DbIとは、元々は「先天性盲ろう児」の教育方法等に関する研究・意見交換等を主な活動目的とした教育関係者や親たちが中心となった国際ネットワークとして始まった。現在では、盲ろう児を含む「すべての盲ろう者」が世界のどの国においても、人間として当たり前に生きていける社会づくりをめざして、教育・医療・福祉・リハビリテーション等幅広い分野にわたり、盲ろう者向けサービスの向上の促進をめざした国際組織に成長してきている。

2003年までに13回のDbI世界会議が開催されているが、アジア地域においては、2000年2月に、インドのアーメダバードで開催されたのが最初だった。今回はそれに続く2回目の開催で、日本からは盲ろう者2人を含む7人が参加した。日本から盲ろう者がDbI会議に参加するのは初めてで、事前の情報収集不足もあり、不安で一杯だった。

◆会議の状況

バングラデシュには、世界18か国(アジア地域からは、バングラデシュ・インド・ヨルダン・マレーシア・ネパール・フィリピン・スリランカ・タイ・日本の9か国)から320人が集まった。教育者、医師、オージオロジスト、NGO関係者など、盲ろう児・者の支援者の人々が主で、盲ろう当事者はわずか7人しか参加していなかった。7人の中にはインドから参加していた3人も含まれていた。

日本からは、庵と門川の盲ろう者2人を含む7人が代表団として参加した。今回のわれわれの最大の目的は、アジア地域の盲ろう関係組織とのネットワークづくりだった。実は、2005年6月3~7日に開かれた第8回ヘレン・ケラー世界会議および世界盲ろう者連盟第2回総会に参加した折、アジア地域からの参加国が少なく、アジアでのネットワークをつくりたいと考えた。

また、第1回アジア会議では、日本からの発表の機会を実現できなかったが、今回は、2人の盲ろう者が発表する機会を得た。

バングラデシュでは、全国障害者運動団体フォーラム(NFOOWD)が、今会議開催のホスト役として、実行委員会の結成、会場や宿泊の手配、参加者の安全管理などに大きな働きをしていた。

会場となったバングラデシュ管理経営協会(BIAM)の施設は市の中心部にあり、商業的な顔と住まいの顔を併せ持ち、通りの喧騒からは離れていた。会場内には、スロープなども設置されていた。

◆主な会議プログラム

会議のテーマは「盲ろう―アジアにあるバリアを乗り越えて」。

(1日目)

午前:開会式「基調講演」、全体会1「盲ろう者の声」(庵発表)

午後:分科会「コミュニケーション―新しい調査と事例」「盲ろう者に対応した革新的で新しいインターベンション」「能力構築―人的資源」「盲ろう者向けテクノロジー」「能力構築―サービス」(門川発表)「盲ろう者と関わるための方策」

(2日目)

午前:全体会2「盲ろう者とのコミュニケーション」、全体会3「盲ろう者に適した持続性のあるサービス開発」

午後:分科会「早期インターベンション―特定」「アジアにおけるサービスのシナリオ」「効果的運動―政府との取り組み」「アジア開発におけるNGOの役割」「アジアにおけるプログラムの開発」「地域資源を活用した持続性」「親―専門的な協力関係」

(3日目)

午前:全体会4「アジアにおける国際NGOのネットワークと役割」、全体会5「政府への影響―盲ろう者の権利擁護と運動」

午後:閉会式、まとめ、決議、将来へ向けての焦点、閉会の言葉

◆盲ろう当事者の発表

1日目の「盲ろう者の声」では、3人の発表があり、その後、司会や会場参加者との質疑応答が行われた。

1人目は、ザミール・ダールという若い弱視ろうの男性で、インドのろう・盲ろうヘレン・ケラー学院で働いている。そこでパソコンやコミュニケーションの技術を教えていて、触手話で通訳を受けていた。将来の夢は、「すべての地域から集まる盲ろう者が互いにコンサルタントになること」と語っていた。

2人目もインドの若い弱視ろうの女性、リシ・サーで、接近手話で通訳を受けていた。昨年、ろう学校を卒業したばかりで、自宅で家族の助けを得ながら、美容師として活躍している。ビデオでその様子が上映されていた。

3人目は、日本の庵で、弱視難聴の男性。自分の体験を交じえながら日本における盲ろう者福祉の現状を話し、「アジア地域との交流を深めたい」と自ら音声英語で話した。

また、同じ日の分科会「能力構築―サービス」では、日本の門川がアメリカ手話で発表した。内容は、「今年の夏、日本において盲ろう当事者の全国組織を設立する。7年後の第10回ヘレン・ケラー会議及び世界盲ろう者連盟第4回総会が日本で開かれるよう準備を進めている」であった。この2人の発表は参加者の間でかなりの反響をよび、アジア地域の人たちとの交流のきっかけをつくることができたのではないだろうか。私たちは、会議期間中、「アジア地域に盲ろう当事者の組織がないか?」と分科会で質問をしたり、たずねてみたりしたが、納得のいく回答は得られなかった。

◆バングラデシュってどんな国?

バングラデシュとはどんな国なのだろうか?すぐ思い出すのは、イスラム教の国、ベンガル語、カレー、サリー、貧しい国といったところだろうか。しかし、初めてバングラデシュに来た私たち盲ろう者にはほとんど実感として知ることができなかったと言ってよいだろう。なぜなら、会議場とホテルの中以外は、治安が悪いということなのか、日本人だけでの自由行動が許されず、外の空気も街中の喧騒も体験することができなかったからだ。おまけに、宿泊ホテルには日本グループ以外はフィリピンとマレーシアからの参加者2人だけで、マレーシア人も途中から発表の準備のため他のホテルへと移ってしまった。そのため、会議参加者との交流さえ存分にできなかった。

私たち日本の盲ろう者が楽しむことができたダッカの街の雰囲気というのは、移動する車中で、通訳者が、「バイクタクシーや自転車タクシーが一杯いるよ」「頭の上にバナナの入ったかごを乗せて歩いている」「物乞いが来た」などと伝えてくれたことぐらいだった。

◆おわりに

参加してみて思ったのは、「アジアはインドの影響力が大きい」ということだった。全体会や分科会で発表した人たちも多くがインド人だった。また、インドには世界的にも有名な、「センスインターナショナル インド」という支援者組織もあるし、ヘレン・ケラー学院もある。

日本は、世界盲ろう者連盟の「アジア地域代表」という立場にある。世界盲ろう者連盟は、2013年に日本で世界盲ろう者連盟総会を開催したいと考えているようだが、今後のアジア地域での盲ろう当事者組織づくりにおいて、日本がイニシアチブを発揮する必要があるのではないかと、今回の会議を通じて痛感した。DbIアジア会議で得た経験やネットワークを生かして、これからのアジア地域の盲ろう者福祉の向上に日本が貢献できるようがんばっていきたい。

(いおりさとる・全国盲ろう者協会職員、かどかわしんいちろう・全国盲ろう者協会評議員)