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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年11月号

1000字提言

頑張らなくても、だれもが「普通」に暮らせる社会を

光成沢美

10月初旬の雨の夜。盲ろう関係者の飲み会終了後、参加盲ろう者がそれぞれの通訳・介助者と共に無事、帰路についたことを確認した夫が、一呼吸おいて、私の耳元で囁いた。「もう1軒いいか?」

2人用にと買ったジャンボ傘に入り、適当なお店を探し歩きながら、夫は「公」から「私」へ、私は仕事としての「指点字通訳者」から「妻」へ切り替えをする。

夫は福島智(さとし)。9歳で失明し、18歳で失聴、全盲ろうとなった。母親が発案した指点字で通訳を受けながら、日本初の「盲ろう大学生」になり、現在は東大助教授。繰り返し語られるこのプロフィールを背負って生きている。

飲み会で、通訳者に周囲の状況を「尋ね」、頭の中で「組み立て」、場を統制することに多くのエネルギーを注いだ。そうして、熱くなってしまった頭の中のハードディスクをどこかで冷まさないと、眠れそうにないと言う。

バーのドアを開けると、いらっしゃいませと20歳代らしき男性店員に迎え入れられた。そして、夫の顔を確認するやいなや「ふくしまさん…」と。私は、一瞬緊張する。夫の知り合いかどうか、見分けなければならない。声の抑揚、目、表情、姿勢、細部を観察しながら「通訳者」と「妻」、二つの役割の間をさまよう。彼の目は瞳孔が開いて輝きを放ち、わずかに肩が上がっている。初対面の可能性が高いと見極め、私は再び「妻」に戻った。

Mと名乗るその男性は30歳で店長だった。11年前の浪人時代、テレビで見た夫の生い立ち再現ドラマに胸を打たれた。大学は卒業したものの、引きこもっていた時代、夫の苦しみを思い出し、頑張ろうと思った。そして、訊(き)きたいことがあるという。「福島さんは、怠けたいと思う心と、どう闘っていますか?」

「いや~、僕は怠け者ですよ。中学校の文化祭で『三年寝太郎』の劇をやった時、主役に立候補したんです。だって、ずっと寝ておけばいいと思ったから。がははは!」と夫。

Mさんの瞳孔は輝きを失ったように見えた。10年間思い焦がれていた人の「リアリティ」を知って、ガッカリしてしまったからか。でも、そこから対話が始まった。そして、ちょっと1杯のつもりが3時間を超えた。

飲み会でさえも「頑張っちゃう」夫、頑張らなくてもだれもが「普通」に暮らせる社会をめざして「頑張っちゃう」夫、「頑張る障害者」というイメージに必死で抵抗する夫、これらもまた、障害者リーダーのリアリティである。

(みつなりさわみ 盲ろう者向け通訳・介助者)