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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年2月号

わがまちの障害福祉計画 島根県浜田市

島根県浜田市長 宇津徹男氏に聞く
神楽がつなぐ温かい心のまち

聞き手:坊岡正之
(広島国際大学医療福祉学部助教授)


島根県浜田市基礎データ

◆面積:689.44平方キロメートル
◆人口:62,619人(2006年12月31日現在)
◆障害者の状況:(2006年3月末現在)
身体障害者手帳所持者 3,631人
(知的障害者)療育手帳所持者 539人
精神障害者保健福祉手帳所持者 342人
(2006年6月5日現在)
◆浜田市の概況:
2005年10月1日に金城町・旭町・弥栄村・三隅町と合併し、新「浜田市」が誕生した。島根県西部における中心的な都市として、今後の発展が期待されている。豊かな自然や温泉、石見神楽、アクアス(水族館)などの観光資源や道路網の整備による広島・四国へつながる縦と日本海沿岸を東西につなぐ横の連携軸の中心拠点としての役割をもつ。
◆問い合わせ:
浜田市市民福祉部健康長寿課障害者福祉係
〒697―8501 浜田市殿町1番地
TEL 0855―22―2612(代) FAX 0855―23―4922

▼浜田市の特色や魅力についてどのように考えておられますか。

21世紀は保健・福祉・医療・環境の時代です。保健は、健康で皆さん健やかに過ごしていただくことであり、福祉はまさにノーマライゼーションが一番のポイントです。みんなが本当に元気であればいいのですが、人はいつ病気や障害に遭遇するかわからない。障害のある人たちも、やはり普通の人と同じような形でこの地域に住んでいただくのをサポートすることですね。

医療は、きちんとした中核病院が必要です。浜田には連隊があった関係で、元国立浜田病院(現在の医療センター)がちょうど100年前からあるのですが、これが非常に老朽化しています。10年前からこの医療センターに最新の機械を整備して、中核病院にふさわしい病院にするため力を入れています。市内の中山間地であってもきちんとした医療を受けられるよう国保診療所との連携も力を入れています。特に合併後は、この病院を拠点にする施策をとっています。

最後は環境です。浜田に来られた方から浜田は海がきれいとおっしゃっていただきますが、海を遠く眺めるときれいだが、近くに寄って見るとゴミが浮いていたということでは何もなりません。美しい海浜になるように、特に力を入れたいと思っています。

▼そういう精神的なモデルが浜田の地で育ってきたのは、市民性・地域性との関連はあるのでしょうか。

ここ浜田の市民憲章に、「わたしたちは、青い海と緑の大地に恵まれた美しい自然と温かい人情を誇る浜田市民です」と堂々と謳いあげています。その温かい心・人情が浜田市民にはあると思います。しかし、石見(いわみ)の人というのは血の気が多いというか、わりと情熱的なところがあります。

▼市民の情熱的な部分が神楽に繋がり、神楽をするための連携が市民の方の地域性につながっているのでしょう。ところで、市長ご自身も浜田出身ということですが、昔から神楽に触れられていたのですか。

そうですね。祭りの時はやはり夜通し見ていました。神楽は、ストーリーがおもしろくできています。非常にドラマ性とか勧善懲悪、必ず悪いものがやっつけられるところが最後ありまして、いいようにできているところがあると思います。障害のある方がみても、きらきらとした目で一生懸命見られるところがある。そういう点では心に訴えるものがあるのかなと思っています。

▼2005年10月に1市4町村が合併して、新浜田市は領域も広くなりました。合併にあたり、配慮した点などはありますか。

合併により、新浜田市の面積は旧浜田市の約4倍になり、東京23区と同じくらいの面積になりました。緑の地域も増えて、今までになかった新しい魅力的な浜田市になりました。10年間は自治区制を設け、従来の各地域の特性を大切にしたいと思っています。各産業が合併により相乗効果が起きて豊かになればいいと思っています。

障害関係の施策については、合併によりその内容の水準が下がることのないよう、一番高い水準の自治体に合わせることにしました。福祉の質は、人が変わったり手を抜いたりと、油断するとすぐに落ちてしまいます。やはり利用者に喜んでいただけるようサービスの質を保つことが大切です。

▼障害のある方の地域生活支援や就労の場づくりなど、いわみ福祉会は社会資源の一つとして行政と連携して重要な役割を担っていますね。行政として民間の団体を育てることをどうお考えでしょうか。

昭和45年に現在のいわみ福祉会室崎理事長たちが法人を立ち上げられて、当時県会議員だった私は、その時初めてこのことに関わらせていただきました。その3年後の49年に桑の木園(知的障害者更生施設)ができあがりました。障害のある方が地域の中で堂々と生きていけるような、全国でもモデル的な施設を作りたいという室崎さんの気持ちと一緒に実践・実現できればと思っていましたので、全国のモデル的なものとなったいわみ福祉会は浜田市にとって宝であり、財産であると思っています。

行政としては、それぞれの団体を大切にしながら将来的には、全体が広がっていくようにしなければならないと考えています。

▼浜田市全体で見ると、障害者雇用の実績が高いですね。就労には働き始めるということと、働き続けるということがあると思います。働き始めることへの支援はさまざまなところでされますが、働き続けることへの支援の必要性については、どのようにお考えでしょうか。

それはとても大事なことです。障害のある方が継続的に就労していくには、ジョブコーチのような外的な支援と事業所や職場における理解が欠かせないと思っています。浜田市には、障害者就業・生活支援センターが設置され、限られた人員ですがジョブコーチが大いに活躍されています。この部分は今後も重要な役割を持つものと思います。

また、事業所や職場においても理解が広がりつつあり、障害者雇用に取り組んでいただける事業所も少しですが増えてきています。

現実に、市役所でも車いすを使用しながら働いている職員、あるいはコミュニケーションが取りにくい障害のある職員に頑張ってもらっています。私自身、障害のある方にできるだけ声をかけるよう心がけていますが、市役所の中でも上司や同僚、みんなで支える環境もできていると思っています。

▼現在策定中である浜田市の障害福祉計画の特徴というのはいかがでしょうか。

基本にはノーマライゼーションの理念を達成するために、人権意識を十分に啓発していかなければなりません。浜田に住みたいと思っても地域が受け入れないということでは困ります。人権は、行政のすべてに関わるものですが、やはり特に障害の施策については大切にしていきたいと考えています。私自身小さいときから難聴で、そういう意味では肩身の狭い思いをしたことがありました。その中で優しくしてくれた人や先生などは、特に記憶・印象に残っています。私自身がそのような体験をしていますから、この人権を計画の基本に置いていきたいと考えています。

▼障害者自立支援法がスタートして、身体障害と知的障害、精神障害という三障害に一元的にサービスを提供するようになりました。浜田市の特色として、何かプランをお持ちですか。

今まで利用者負担のなかった方々がいきなり1割負担になり、利用者や親御さんなどは家計上の圧迫感を感じていると思います。国も緩和策を実施していますが、利用料を負担できなければサービスを受けられないというのでいいのでしょうか。サービスを一本化したといういい面もありますが、個別の違いを認識しながらサービスを提供する必要性を感じています。

浜田市では、精神障害者への通院医療費助成をしています。他に三障害共通のサービスとして、バス・タクシー券の支給や、透析患者・精神障害者の方には上限無しに通院費の助成をしています。また、一部の地域で移動制約者の方に対してNPO法人による輸送も行っています。この事業実施にあたっては課題などもありますが、新市全体に広がるよう働きかけていくこととしています。

▼それこそ行政主導の一番重要なところですね。さて障害福祉計画は、作るだけでなくそれを実際に動かしていかなくてはなりません。行政のトップとして、その計画を作る、そして計画を実施するということで、何か1年先2年先でお考えはありますか。

やはり、いろんな宣言をしても計画を策定しても、作ったらそれで終わりということがあってはならないと思っています。計画等策定後の進行状況をきちんと管理することが大事です。一番大切なことは、利用者がどのように感じておられるか、どのような意見を持っておられるのか、率直なご意見などに対して、行政はきちんと対応しなくてはいけないと思います。民間企業でも販売したものが消費者にとっていいのかどうか、きちんと対応している企業はよい評価を受けています。市民と直結しているのは、われわれ行政の窓口ですから、常に市民の方々の声を取り入れていきたいと思っています。


(インタビューを終えて)

浜田市は石見神楽で有名な土地です。地元で盛んな神楽の話をお聞きしましたが、福祉施設で神楽の衣装を障害のある人とない人が一緒になって作っているという話を聞きました。われわれ福祉に携わるものはある面で「人権」というものを意識しがちですが、みなさんが自然な形で、意識しない環境は本当にいいなあと感じました。宇津市長がおっしゃっていた浜田市の地域性である「やさしさ」や「温かさ」をその点にも感じます。

福祉施設が地域の文化を担って活動していくことはすばらしいと思います。今以上に、地域の福祉施設と文化が連携できる要素は他にもあるのではないでしょうか。今回のインタビューでは、その可能性を教えてもらったように思います。