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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年4月号

障害者の所得保障政策―その本質と当面の課題

岩崎晋也

1 障害者の所得保障政策の本質的な課題

本稿では、わが国における障害者に対する所得保障政策の問題点を指摘するとともに、どのような改善の方向性が考えられるのか、長期的な展望と短期的な課題に分けて述べる。なお、筆者は日本障害者協議会「障害者の就労と所得保障に関する特別委員会」の委員長として、本テーマに関して検討を行っているが、本稿の内容はあくまで、筆者の意見にとどまるものであることをお断りしておきたい。

まず障害者の所得保障政策に関する本質的な課題を3点指摘し、それに対する長期的な解決の方向性について述べたい。

(1)成人期障害者に対する家族の扶養義務に関する問題

わが国の障害者の所得保障政策には、さまざまな課題がある。支給水準の低さや支給対象の狭さなど、国民としての生存権を保障するものとはなり得ていない。では十分な所得がない障害者の生活を、だれが支えているのだろうか。それは家族が支えているのであり、支えることを国家は扶養義務として家族に負わせているのである。わが国の民法では、「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある」(第877条)と定めており、子どもが成人したとしても親の扶養義務はなくならない。

しかし親は子どもの扶養に関して、いつまでも義務を負わなければならないのだろうか。確かに、子どもをこの世に生みだした以上、その子どもの養育に親が一定の義務を負うことは社会通念として当然のこととされている。だが子どもが成人しようとも、親が高齢になろうとも、家族に扶養義務を負わせ続けることは、家族にとっては過度な負担とはいえないだろうか。特にわが国は、戦前の「家」制度の問題もあり、家族の問題は家族で解決するべきであるという風潮が強い。その結果、障害者の問題は、家族が解決すべき私的な問題とされ、障害者に対する社会的支援は、家族の支援を二次的に補完するものと位置づけられてきた。しかし障害者の生活支援を、家族の私的な問題に閉じ込めることは、現代の家族の状況を考えれば限界にきている。

少なくとも社会の構成員として社会に参加する主体となった成人期の生活支援は、家族から切り離し、社会全体で支援すべき問題と考えなければ、家族はその負担に耐え切れないであろう。さらに障害をもつ当事者が地域社会で主体的に生活するためにも、成人期障害者に対する家族の扶養義務は廃止されるべきであろう。

そして家族の扶養義務をどのように位置づけるかということが、障害者の所得保障政策を考えるうえで前提条件となっている。あくまで家族の扶養義務を重視すると考えるならば、所得保障政策は、障害者本人より家族の扶養負担の軽減(ex.特別児童扶養手当や障害者扶養控除など)や、家族が扶養義務を果たせないときのセーフティネット(ex.生活保護など)が主たるものとなる。しかし、もし成人期障害者の家族の扶養義務がなくなれば、勤労所得がない障害者に対して、その生活支援としての所得保障(ex.障害年金など)の整備がもっとも重要な課題となるのである。

このように障害者の所得保障政策にとって、本質的な課題の一つは、家族の扶養義務に関する問題であり、少なくとも成人期障害者に対しては、その家族の扶養義務を撤廃し、そのことを前提とした政策立案が長期的には必要となってくるのである。

(2)障害者であることを理由に所得保障することの問題

成人期障害者に対する扶養義務が撤廃されれば、勤労所得の不足を補う障害年金の重要性が高まることになる。しかし現在の障害年金は、そのように機能していない。まず障害基礎年金や障害厚生年金の障害等級の認定基準は、稼得能力にも、あるいは実際の勤労所得の状況にも、まったく連動していないうえに、OECD諸国と比べてもその対象範囲を限定しすぎである。その結果、実際に受給している人にとっては、自らの所得を保障する効果があったとしても、障害をもつ人全体を考えた所得保障施策としては、その目的を果たしているとはいえない。

そもそも、障害年金の支給が社会的に正当化されるのは、加齢により労働できなくなった時期が、障害によって早期に生じたとみなされたからであり、障害をもつ者の就労を前提としないものであった。しかし職業リハビリテーションの進展は、障害をもちながらも働くことを可能にした。その一方で、ひきこもる若者、ネットカフェ難民、ホームレス、リストラされた長期失業者など、労働により経済的に自立できない人々が大きな社会問題となっている。これらの人々の中には、現行法上は障害者と認定されないものの、病気やケガをきっかけにして生活能力が低下した者も含まれており、どこまでを障害者として認定するのかは、政治的な問題となり、客観的な線引きは困難であろう。とすれば、障害者を含め、これらの人々に共通するニーズに着目する必要があり、その場合の所得保障施策に対するニーズは、長期に失業していることにより発生しているというべきであろう。

障害者が労働できない者の言い換えであった時代であれば、障害者であることを理由にした所得保障施策に合理性がある。しかし、障害者の経済分野での社会参加が進展している現代においては、障害の有無に関わらず、労働にアクセスできない状況(失業)に基づいた普遍的な所得保障施策に、長期的には統合化される必要がある。

(3)基礎的な所得と障害ゆえの特別経費を混同することの問題

では、普遍的な所得保障施策に統合化されれば、障害というカテゴリーは必要なくなるであろうか。もちろんそのようなことはない。障害者が社会に参加するためには、さまざまな支援が必要であり、そうした支援に関わる経費を障害者自らが負担することになれば、いくら普遍的な所得保障施策が実施されても、その負担分だけ生活水準が低下してしまう。障害ゆえの特別経費の保障は、基礎的な所得保障とは切り離して考えなければならない。

現行の障害者に関わる手当、税控除、利用料免除などは、障害ゆえの特別経費として支給されているのか、基礎的な所得保障の不足を補完するために支給されているのか、不明確なものが多い。そうした混乱が、今回の障害者自立支援法における定率負担導入による所得保障の見直しおいてもあるのではないか。要求の根拠が異なる基礎的な所得保障と障害ゆえの特別経費を切り離して議論することが必要なのである。

長期的には、障害ゆえの特別経費は個々のニーズに基づいて支給されるべきであり、本人の費用負担を求める場合でも、応能負担とすることが合理的である。

2 当面の課題とその改善の方向性

以上、障害者の所得保障政策に関する本質的な課題と長期的な方向性について述べてきた。いずれも広範な合意形成を必要としており、まさに短期的には解決できないものばかりである。しかし長期的な視野をもたずに、国の政策に後追い的な対応で終始していては、進むべき道を見失ってしまうのではないだろうか。では、以上のような長期的な視野にたった時、短期的にはどのように課題を設定すればよいだろうか。その課題は多岐に渡るが、特に重要と思われる3点の課題を指摘して、本稿を終えたい。

(1)家族の負担の軽減

扶養義務に関わる民法改正を果たすには、国民の広範な合意が必要であり、相当の期間が必要である。しかし、家族の扶養に関する負担を軽減することが障害者の所得保障政策の大前提であることを考えると、まず、生活保護法の第4条第2項の民法の扶養義務優先規定を改正、あるいはその運用を見直すことで、扶養義務の範囲を「夫婦及び未成年の子の親」に限定することが必要となろう。さらに直接、所得保障に関わるものではないが、精神障害をもつ人の社会参加を阻んでいる精神保健福祉法の保護者規定及び関連規定(医療保護入院など)の廃止は、欠かすことができない問題である。

(2)障害基礎年金及び特別障害給付金の適用範囲の拡大

基礎的な所得保障に関しては、長期的には、労働にアクセスできない状況に基づく普遍的な所得保障施策に統合する必要があると考えるが、当面は現行の障害基礎年金を中心とする所得保障政策の拡充を図る必要があろう。その際、もっとも重要な課題は、現行において所得保障を受けられていない障害者への支援である。

まず障害者基本法に定める「継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者」という障害定義に該当するにも関わらず、障害基礎年金が受給できない無年金障害者の救済を図る必要があろう。そのためには、まず障害基礎年金の障害認定基準、支給要件を見直し、特に「谷間の障害」と呼ばれている現行法上障害者と認められていない人への支給拡大を行うことが必要である。

ただし障害年金を社会保険制度に基づいて支給する以上、拠出要件を満たさない無年金障害者は必ず発生する。その一方で障害基礎年金に関しては、拠出と給付の連動性が相当に緩和され、保険原理から脱却したとの指摘がなされており、無拠出無年金障害者を所得保障政策から排除する合理性が低下しているといえよう。そのため、学生や主婦などかつて任意加入に位置づけられていた無拠出無年金障害者の救済制度としてスタートした特別障害給付金を活用し、その適用範囲を拡大して、すべての無年金障害者を給付の対象とする制度とする必要があろう。すべての無年金障害者の救済が急務であることは、当時の厚生労働大臣が示した「坂口試案」(平成14年7月)でも指摘されているとおりである。

(3)障害者自立支援法の定率負担分への保障

障害者自立支援法における定率負担は、障害ゆえの特別経費に当たるものと位置づけるべきであろう。とすれば、その費用負担を、障害基礎年金や、最低生活水準に満たない勤労所得から徴収することは、先に述べたように合理性を欠くことになる。仮に障害基礎年金を障害ゆえの特別経費にも対応する制度と考えても、どれだけ障害ゆえの特別経費を必要とするかは、個別的な問題であり、定額の障害基礎年金で対応できるものではない。

とすれば、現行の制度の中で障害ゆえの特別経費に対応していると思われる特別障害者手当制度を活用するしかないのではないか。ただし現在の制度では、その支給対象を「日常生活において常時特別の介護を必要とする」者に限定しており、障害者自立支援法の定率負担を担う対象者のごく少数しかカバーできていない。さらに、定率負担と支給額が連動するものでもない。そこで、特別障害者手当制度の支給対象と支給額を、障害者自立支援法の定率負担を担う対象者とその負担額に連動する制度にすることが必要なのである。

財政主導の福祉改革がなされている現状では、ここで述べた当面の課題を解決するのも容易なことではない。しかし、まさに本誌のタイトルでもある障害者を排除しない社会を実現するためには、以上のような所得保障政策を実施することが不可欠なのではないだろうか。近年、格差社会が問題となっているが、資本主義社会である以上、一定の経済的な格差が生じることは当然のことである。だが「負け組」を排除する社会は、不安定となり長続きしない。障害者にとって容認できる格差社会とは、社会のすべての構成員が、ノーマルな(当たり前の)暮らしが保障されている社会であり、そのための重要な一つの前提条件が所得保障なのである。

(いわさきしんや 法政大学現代福祉学部教授)