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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年10月号

「綴(つづ)る」ことの意義
―日本の障害者運動が生み出したもの

茨木尚子

ここ数年私の大学では、年に1回、花田春兆氏にゲストとして講義をお願いしている。春兆さん(と呼ばせていただく)の講義はとてもユニークだ。言語障害のあるご自身はほとんど声を発せず、事前に用意した講義録を聴講する学生に配布し、それを春兆さん指名で、順番に学生が朗読していくという形で行われるのだ。最初は戸惑っていた学生たちも、次第に春兆さん独特の文章の世界(俳句が随所にちりばめられていたりする)に引き込まれていく。電動車いすを「キント雲」、パソコンを「如意棒」とし、その二つを取り上げられた施設での自分を「キント雲と如意棒のない孫悟空」と例える当意即妙な文章が続く。

講義後の学生からは、「どうしたら、こんな文章が書けるのだろう」「自分の思いをこんな形で書けたら、どんなにいいだろう」と、その文章力に感嘆する声が多く聞かれる。そして俳句に対しては、「どこで学んだのか」「なぜ俳句を仕事にしようと思ったのか」という質問が飛ぶ。春兆さんの答えは、「光明養護学校の恩師に学んだ。そして俳句しかなかったからかな…」と。「これしかないというものを持ち、そしてそれを仕事にしている春兆さんがうらやましい」と、感想に書いてきた学生もいた。

ペンという筆記用具しかなかった時代、脳性マヒという障害をもつ子どもたちに、短い文章によってウチとソトの広い世界を表現できる手段として俳句を手ほどきし、俳句から和歌、そして物語文学へと、古典文学を学ぶ機会を提供した戦前の光明養護学校の教育力にも、学生は皆感嘆する。

ところで、日本の障害者運動をこれまで主に牽引してきたのは、青い芝の会などに代表される脳性マヒの障害をもつ人たちであることは広く知られている。セルフヘルプグループを研究している岡知史氏は、日本の障害者や病者らの当事者運動の特徴を「綴る・まじわり」の活動と特徴づけている。

欧米の当事者運動の多くは、同じ問題を抱えたメンバーが直接集い、対話し、交流することを活動の中心として発展してきた。欧米の映画などでは、しばしばAAなどのセルフヘルプグループの活動場面が登場するが、教会などの一室でいすを円形に並べて、それぞれが自分の問題を語りあい、励ましあう場面が描かれている。それと比較すると、日本の当事者活動は、直接の交流ということ以上に、機関紙や会報などを通じて、それぞれの日常を文章で綴り、互いが交流する形で運動が展開されてきたところに特徴があると、岡氏は指摘する。

春兆さんがその創刊にかかわった『しののめ』は、1947年以来今日まで続く、長い歴史を持つ障害当事者による「綴る・まじわり」を目的とした雑誌である。「綴る」ことによるまじわりは、場所や交通の便を問わない。遠くに離れた同じ障害をもつ者同士の交流を可能にする。重度の障害をもち、外出がままならない当事者たちが、文章を綴り、それを発信することで、他者とつながることができる。脳性マヒという障害をもつ人たちが、この「綴る・まじわり」型の活動からスタートしたことは、先に述べた養護学校での教育とも結びついているのかもしれない。日記や随筆、また俳句や和歌などを通して、自分自身の日常生活を綴り、それを他者に伝えていくことで、社会に参加していくことの大事さを、光明養護学校の教育の中で、卒業生たちは学んでいったのだろうか。

最近目にした『しののめ』の最新号は、古くからの同人の方の追悼号であった。そこには、『しののめ』のバックナンバーからの彼女の昔の随筆や短歌が掲載されていた。それを読むと、彼女に会ったことのない私でも、その人となり、生きてきた道程を鮮やかにイメージすることができた。「綴る・まじわり」は時空をも超えることができるのだろう。

最近では、青い芝の会の機関紙に掲載された当事者の文章などを研究する若い研究者なども多い。1970年代に出された「われらはCP者であることを自覚する。われらは、現代社会にあって『本来あってはならない存在』とされつつある自らの位置を認識し、そこに一切の運動の原点を置かねばならないと信じ、かつ行動する」で始まる、青い芝の会の綱領の文章は、今の若い人たちをも引きつけ、さまざまな書物に引用されている。これも「綴る・まじわり」の持つ力だと思う。

これまでたくさんの当事者運動の機関誌や会報が出され、多くの人びとに読まれ、孤立しがちな人びとを結び付けてきた。それもひとつの大事な障害者の「文化活動」と思う。しかしこの大事な文化活動の成果の多くは、次第に失われつつあるのが現実だ。

私は八王子の自立生活運動に至る当事者の活動をたどる研究をしてきたが、たくさんの大事な初期の会報や機関誌が、倉庫の隅のダンボールで眠っていた。ダンボールで眠っていた機関誌には、施設や親の保護を離れ、地域で暮らすことを模索し始めた当事者たちの貴重な声が綴られていた。こうした大切な文化活動の成果を散逸させず、時空を超え、現代によみがえらせる作業や場が必要と思う。

春兆さんらは、東京都障害者福祉会館に保管されているさまざまな障害者団体の会報のバックナンバーの保存を今後もしっかりと行うこと、そして多くの人びとの目に届くような公開ができることを求めて活動してきた。「かけがえのない障害者の文化活動の貴重な第一資料であるたくさんの機関誌の保管と維持管理、公開活用の拠点確保の運動の展開を!」―春兆さんの「障害と文化」の講義のおしまいは、この新たな夢を学生たちに発信することで締められる。この夢がぜひ実現し、これからも時空を超えた「綴る・まじわり」の活動が幅広く展開されることを願っている。

(いばらきなおこ 明治学院大学)