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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年2月号

列島縦断ネットワーキング【宮城】

就労支援センターほっぷの設立と高次脳機能障害者との出会い

白木福次郎

設立のきっかけ

私は、知的障害者(アスリート)にスポーツを提供し、彼らの自立と社会参加を目指しているスペシャルオリンピックスの活動を始めたのがきっかけで、知的障害者と関わるようになりました。その後、社会福祉法人の理事長として、定員35人の知的障害者通所授産施設(レストラン)を運営してきました。そこでは、給料を上げるためさまざなな努力や一般就労に向けたトレーニングを志しましたが、この環境の中では極めて困難であることを実感しました。つまり、就労支援のためのトレーニングは、別な環境で専門家が全力で指導をしないと成果を得られないとの思いから、最初は知的障害者の就労支援センターを設立しました。

就労支援センターの役割として、1.一般就労を目指すために「働く」ということの基礎知識を習得し持続的な就労が可能になるようなトレーニングを行う。2.企業と障害者の間をつなぎ、企業が障害者を雇用するにあたっての啓発活動と持続的な就労が可能になるような企業の受入体制を創る支援を行う。3.障害者本人の自立支援を共に創っていくための家族支援を行う体制を作る。という3つの柱を作りました。

設立に当たって、指導者と利用者を募集しているとき大きな出会いがありました。高次脳機能障害者のリハビリテーションのモデル事業として選ばれていた仙台の東北厚生年金病院でトレーニングを終了し、次のステップを模索していた高次脳機能障害者の方々と出会ったのです。それとほぼ同時に、宮城障害者職業能力開発校より2か月間の職業訓練講座の委託事業を受け、思い切って高次脳機能障害者を中心に講座を行ってみることにしました。この二つの偶然のタイミングは、天から与えられた使命ではないかと今でも思っています。

トレーニングの内容

私たちは2か月の講座のトレーニングで、月曜日から金曜日までの朝10時から午後4時まで毎日彼らと向き合いました。毎日通い続けることができないのではないかと言われましたが、驚くべきことに2か月間の最終出席率は95.4%という結果でした。

トレーニングは脳トレのドリルやメモリーノートを使っての記憶の仕方などを行いました。一番力を入れたことは本人同士のグループワークでした。ピア・ツー・ピアのコミュニケーショントレーニングで「自分のことを初めてこんなに話した」「他の人も悩んでいたことを知った」等、何でも言える仲間ができ、少しずつ自分を解放していきました。スタッフはあくまでも本人自らの考えで行動できるよう寄り添うことに心がけました。すると小さかった声もはっきりしてきて、震えていた文字も力強い文字になってきました。

さらに、私がこれまでつきあってきた臨床心理士、会社の経営者、元大学教授、福祉施設の理事長、フリーアナウンサー、コピーライターなど仕事関係やボランティアグループの方々に外部講師として講座を受け持ってもらいました。外部講師の話は、これまで彼らの経験にはなかった社会を知ることができた機会でした。感想を述べ合って、さらにディスカッションを繰り返す方法は、相当の脳のトレーニングとなります。グループワークによって相手の気持ちを知る、場の雰囲気を読む、話をまとめる等の高次脳機能障害者が最も苦手としているさまざな障害に対して、自分の言いたいことを言うという方法で、知らず知らずのうちにクリアしていったのです。

講座を受けた本人の声

○私は転落事故によって高次脳機能障害となり、休職期間満了後、解雇となりました。初めの頃は自分のどこに障害があるのかさえ分からない状態でしたが、訓練していくうちに自分の障害がだんだん分かってきて、同時に集中してやれば自分も「やればできる」と実感できるようになりました。同じ高次脳機能障害という病を抱えていることと、「就労したい」というただ一つの共通目標とで本音で何でも話をすることができ、とても強いつながりをもてました。現在自立生活支援共同住宅で暮らしていますが、最終的に自立してここで培ったことを就労に結びつけて社会貢献したいと強く思っています。(阿部泰久)

○私は、交通事故に遭い、障がい者になってしまいました。今までできていたことができない人間へと、一瞬にして変わってしまいました。周りも「だめな人間」という評価で、まさに「人間失格」という感じでした。周りの失望感以上に自分自身に対して絶望感を抱かずにはいられませんでした。病気の理由も分からず、回復の兆しは全く見えず、正直何度死んでしまいたいと思ったことかわかりません。今回、高次脳機能障がい者の就労を支援する団体が設立され、受講を認められました。信じられる環境に自分を置き、自分を信じて頑張っていけたらと思います。そして、将来「死なずに生きてこれて良かったよ。」と思える未来になれるように努力していきたいです。(渡部公康)

○私が倒れたのは、1999年の10月でした。大学を卒業してアルバイトをしていて、やっとの思いでつかみとった会社で働いていた時です。社内の人間関係がうまくいかず心労が積み重なって、喘息の大発作を起こし心肺停止状態になってしまったのです。心臓マッサージを受け何とか蘇生しましたが、その後母も心労がたまって倒れてしまい同じ病院に運ばれて来た時はまさに暗黒の時期でした。でも高次脳機能障害だったら東北厚生年金病院がいいとアドバイスを貰ったのは運命的なことだったかもしれません。それから9年目、気になっていた表情のこわばりも毎日の発声訓練のお陰でだいぶ回復してきました。私は今の自分を回復期とは思わずに、再誕生と考えて喜びを感じながら私に与えられた運命を歩みたいと思っています。(A・S)

課題と今後の展望

障害のない方でもうつ病になってしまうような現代社会の中で、どうやって高次脳機能障害者の持続的就労を可能にしていけるかは私たち支援者の役割ですが、本人の障害特性やこだわり、長所などを熟知していなければ企業とのマッチングも難しく、企業に対して適切なアドバイスをすることもできません。

就労に関しては、非常に慎重を期さなければ本人が傷つき、意欲を持って進んできても再び自信の無いあきらめの人になりかねません。また企業の方も、もともと障害者の雇用に理解が深いわけではないので、ますます相互の良い関係が作れなくなってしまいます。

私たちは職場においては障害者であっても、どんな仕事ができるかの前に、人として当たり前のことができるようになることがまず就労の基本と考えています。たとえば挨拶をきちんとする、時間を守る、清潔にしているなどです。

高次脳機能障害者で最も困難なことは自分の障害の特性をよく理解することです。たとえば記憶障害であれば、自分はその仕事の何を要求されているのかをメモリーノートにきちんと記入し、指示者に確認をすることができる、また不明な点は質問することができるなどの習慣をつけなければなりません。こうして補う能力を身に付け、本人が自覚さえすれば仕事ができる可能性は高いと思います。しかし、自分はできると思い込んで指示を勝手に解釈し、確認しないままやってしまうことがあり、それがこの障害の特徴とも言えます。

本人が自分をよく知ること、雇用者側が本人をよく理解することには時間がかかります。障害者本人が企業で長続きするためには受入側の理解と仕事の組み立てが必要になります。そのために本人の情報を一貫した形で、サポートブックにまとめて本人を支援する体制の大きなツールにしようと取り組んでいるところです。

今後は、一般就労(就労移行支援事業)を目指すと同時に、さまざまな働く場所を創って、福祉的就労であっても極めて一般就労に近い形の職場(就労継続支援事業:雇用型)を作り出そうと考えています。まず手始めに、今年の8月に新しい形のレストランをオープンし、10人の障害のある人を採用して最低賃金のクリアを目標に取り組みたいと思っております。

(しろきふくじろう 有限責任事業組合 就労支援センターほっぷ副代表)