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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年4月号

1000字提言

「歴史と想像力」その2
~「手話で話しかけよう」運動~

大杉豊

国連障害者権利条約で手話が言語であると定義されたことに関して、私自身が日ごろ実践している運動を紹介したい。

街角で道を聞かれたら耳が聞こえないことを身振りで伝えるのではなく、手話で「何かお手伝いできますか」と聞き返す。店頭や飲食店内で注文をするときは紙に書いて伝えるのではなく、「20個入りと5個入りを一箱ずつ」などと普段どおりの手話で伝える。これを「手話で話しかけよう」運動と名づけたらよいだろうか。

相手の反応はまちまちであるが、手話を使う私を敬遠するとか後回しにするとかいうような対応は最近ずっと受けていない。都市部でという条件が付くかもしれないが、1961年に封切られた映画「名もなく貧しく美しく」に描かれる戦後の風景、ろう者が人間として扱ってもらえず手話が身振りでしかないと蔑まれていた時代は、もはや過去のものである。

流暢な手話で対応される思いがけないサプライズに出会うこともあるが、私が最もうれしく思うのは、相手が前に勉強して知っている手話をどうにか思い出して対応してくれるときだ。理解や表現はぎこちなくても手話でコミュニケーションを取ろうとする真摯な姿勢こそが何よりも尊いし、私の心を温かくしてくれる。その人たちも普段使う機会のない手話を活かせることで、手話が言語であることを実感できるのではないだろうか。

筆談での対応を受けることが多いが、「分かりました」とか「ありがとう」とか片言の手話が出てくることもしばしばある。それは、「手話を使うろう者」と話をしている意識が健聴者側にあることのしるしであり、私が最初から手話で話しかけることによって生成されるものであろう。

考えてみると、街で手話はまだまだ通じないという意識に長いこと囚われてきたようだ。ろう協会の努力と行政の理解によって続けられている手話講習会の成果として、いまや街で手話はまったく通じないのではなく、手話を少しでも分かる市民が増えていることを知るべきである。聴覚障害者に手話を使う人とそうでない人がいるという知識の啓発も進んでいる。こういう時代になったからこそ、耳が聞こえない私ではなく、手話を使う私があなたの目の前にいることをまず意識してもらうことが、コミュニケーションの始まりではないかと思う。

手話は日本語と平らに等しく言語であり、そして手話を使うろう者が地域に暮らす一方、さまざまな社会分野に参加していることを大勢の市民に実感してもらうために、だれとも問わずに「手話で話しかけよう」運動を今日も続けている。

(おおすぎゆたか 筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター准教授)