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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年9月号

障害に関するアドボカシー(権利擁護活動)の意義を考える

秋山愛子

はじめに

本稿では、障害に関するアドボカシー(権利擁護活動)について整理することを試みたい。

皆さんご承知のように、障害者権利条約が今年5月に発効した。現実に、障害に関わるさまざまな問題を解決するためには、条約が批准されるだけでなく、その精神と内容をきちんと反映した法制度が制定、施行され、その精神と内容に合わない既存の法制度は撤廃されるか改正されなければならない。がともかく、障害に特化した人権条約が整備されたことで、世界の障害者は、自分たちの生きづらさを人権という切り口で見つめ直す羅針盤を手にしたといえる。

また、条約の採択・発効という過程を通じ、人権、開発分野での障害に関する認知度は上がり、障害当事者団体や、これまで障害について活動してきた国際NGO、開発機関、国際機関の活動が一層活発になるのはもとより、これまでそのような経験がなかったり興味を示さなかったりした国際機関や団体もが、障害の問題に取り組む姿勢をみせはじめてきた。障害に関して取り組もうという組織の文化が醸成されつつあるという実感が、私も、日頃国際機関で働いていて、確かにある。

このような変化を背景にすると、英語でいう、アドボカシー(advocacy)がより重要になってくると思われる。この言葉は、一般的な文脈では「唱道」「主張」という日本語で訳され、これまで周囲に理解を得ていなかったある特定の考え方や解釈の正当性や、ある特定の物やサービスについての価値について主張するという意味合いで使われることが多い。が、社会運動的には、個人や集団が、その本来享受すべき個人や集団*1の権利が侵害されている事態に周囲の意識を喚起し、権利の回復や実現を促し、「自分らしく生きてゆく力を高める」*2ために必要な活動の総体を指すといえる。権利条約にしてもどんな崇高な理念に基づく法律や制度にしても、それらをフィクションの世界やキャンペーンだけの活動で終わらせないためには、絶対必要な活動である。

日本の障害に関する言説や、行政、NGOによる活動では、これは「権利擁護活動」と訳されている。そこで、本稿ではアドボカシー(権利擁護活動)という表記にさせていただきたいが、その全容を私なりに整理しながら、その意義を改めて振り返ってみたい。

障害に関するアドボカシー―なぜ、だれが、だれに対して何をするのか?

障害に関するアドボカシー(権利擁護活動)は、なぜ、だれが、だれに対して、何をするのか?

まず、本質的にこの活動は、その名の示す通り、権利概念に基づく。従って権利の保有者である障害者の、何らかの権利が侵害されるか、逆に実現されていない状況があることが理由になり、権利保有者が責務履行者にその状況を是正し、実現を要求することが根本にある。この作業の主体となるのは、まず権利保有者である障害当事者であるが、現実には家族や支援者、関係者、市民活動団体、弁護士、福祉サービス提供者、マスコミ、議員、国際機関などさまざまな人が関わってくることで、より状況の変化をもたらす効果が生まれる。すると自ずとそこには、何が権利の侵害や未実現であるか、だれが責務の履行者であるかを明確にする作業が必要になる。また当事者個人ではなく、当事者の集合体である団体が主張することで社会的な権力関係における交渉のパワーが生じる。

権利の責務履行者は、条約の枠では、政府ということになるが、現実の障害者の生活の文脈で考えると、それは家族である場合もあるかもしれないし、福祉サービス提供者、学校、地域社会、地方自治体、企業などさまざま考えられる。障害者の生活に関わる関係者は、状況によって、権利擁護活動(アドボカシー)の一員になったり、その対象となったりするので、区別が重要である。

障害に関するアドボカシーの活動サイクル

アドボカシー(権利擁護活動)の活動サイクルとしては、1.当事者の権利の自覚に始まり、2.前記にあげるような責務履行者の割り出し、3.権利擁護活動(アドボカシー)によってだれのどのような行動を変えたいのか、そのために何をしたらいいのかなどの戦略の策定、4.そのために必要な当事者サイドの能力構築、チームの形成、5.対象となる相手に対する行動を起こすこと、6.その行動の成果を客観的に評価し、次の行動を練り直す、というのが大まかに考えられる。

1と2に関しては前述の通りだが、3に関しては、たとえば、中央政府、地方自治体、企業、学校、福祉サービス提供者の差別的な法律やポリシー、取り扱いを変える。きちんと福祉サービスが受けられるようにする。サービスの内容を○○から××に変える。○○(国内、ある特定の地域など)の建造物や交通機関、情報のアクセスを××のように変える。マスコミの障害者に関する報道のアプローチを変えるなどの獲得目標を設定し、そのために、責務履行者との会合や交渉で話が済むのか。意見書の提出、政策策定や意思決定の場面への参画が必要なのか。政策提言、出版、訴訟、マスコミを通じてのキャンペーン活動がいいのか、それらを選ぶか、その組み合わせをすることになろう。

障害に関するアドボカシーの例

考えてみると、障害者権利条約策定の特別委員会のプロセスに国際障害コーカス(International Disability Caucus:IDC)などが積極的に参画し、その主張の多くを通したのは、アドボカシー(権利擁護活動)の中で重要な位置を占める政策提言の最も輝かしき成功例のひとつである。そのおかげで、手話が原語であることが位置づけられ、女性障害者やアクセスの権利の独立した条文が確立したという内容面もさることながら、国連の文書の点字訳や要約筆記の必要性を現場で実現させるという行動の変革も促した。ESCAPがこの特別委員会に提出し、議長提案の基礎になったバンコク草案策定時も多くの障害者が参画し、提言活動をした。同様に、第二次「アジア太平洋障害者の十年」の行動ガイドライン、びわこミレニアム・フレームワークやその補足文書びわこプラスファイブも当事者の政策提言の賜物といえる。

また国レベルでは、たとえば、私の住むタイでは、1999年、ポリオの弁護士シリミット・ブーンムーン氏が、その障害を理由に判事になるための試験の受験資格がないとされた。彼が起こした訴訟は当初、敗訴したが、度重なる当事者団体の抗議や、タイ語と英語による全国紙やBBCなどでこの件が何回も取り上げられたことなどが功を奏し、2005年に、ようやく彼の主張が通った。

また、2007年には、バンコク市内にあるラチャダムリという商業地域のアクセスをよくしたいという障害住民の主張に対し、障害者インターナショナル(DPI)アジア太平洋事務所などの当事者団体が共鳴し、バンコク首都行政府の担当部署と交渉を重ね、歩行道路のバリアフリー化が可能になった。

さらに、最近、私はバンコク近郊の精神病院敷地内にある、入院中あるいは外来の精神障害者とその家族がメンバーとなっている団体を訪れる機会があった。そこでは、アドボカシー・トレーニングという英語をそのまま使い、当事者や家族が障害者権利条約について学んだり、医師との会話のロール・プレーイングなどを行ったりして、自分たちの権利意識や関連する知識、交渉能力を高めている。この場合、精神医療や投薬の内容を変えたいというのが最終の獲得目標であるようだ。

おわりに

ウェブで、「権利擁護活動」と日本語で検索すると、意思能力にハンディキャップのある知的・精神障害者、認知障害の高齢者のために第三者が、福祉サービス受給のための支援や、生活・金銭管理サービスを提供したり、施設内での虐待を防止したりする活動が多い。前記のように、障害に関するアドボカシー(権利擁護活動)を整理してみると、当事者の発露やそれに寄り添うことが根本にあり、その範囲はかなり包括的だと分かる。

現実の活動を通して試行錯誤していかなければならないことはたくさんある。アドボカシー(権利擁護活動)の対象になる責務履行者の組織、たとえば行政が、その活動の財政支援をすることの評価など、その一例だ。今後、そういった議論の高まりも期待したい。

(あきやまあいこ ESCAP(アジア太平洋経済社会委員会)社会問題担当官)

*1 動物の生命や安全を守るためのアドボカシーもある。

*2 http://dinf.ne.jp/doc/japanese/conf/z20/z20001/z2001025.html 北野誠一氏論文参照。