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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年9月号

地域で普通に暮らすための運動の歴史

妻屋明

療養生活時代

全脊連は、労働災害で脊髄を損傷し、重度障害を負った人々の終身年金補償制度を求めて、1959年に神奈川県箱根療養所で創立した。

その年、国民年金保険法が施行されたものの、労働災害で重度の障害を負い、車いす生活を余儀なくされても少ない一時金で済まされてしまい、生涯にわたる生活を保障する年金制度はなかった。このため、全国の労災病院に入院している脊髄損傷患者に全国組織の結成を呼びかけ、全国脊髄損傷患者寮友会が発足し運動が始まった。

とはいえ、その当時の車いす使用者の移動手段といえば、手動の車いすとタクシーぐらいしかなく、文書の作成はガリ版かタイプライターで、通信は専ら手紙と電話という、障害者運動にはあまりにも劣悪な時代であった。

それにも関わらず当時の勇者たちは、入院していた箱根療養所にわざわざ当時の衆議院議長はじめ国会議員、労働省や厚生省の官僚を招請して全国脊髄損傷患者療友会の発会式を開催し、医療費の無料化、所得保障の確立、そして労災法による年金制度の確立、という3つの大スローガンを掲げて重度障害者が生きていくための運動が始まった。国会議員や労働省、厚生省などに対して陳情、請願など猛烈な働きかけを行った結果、1960年3月に労災補償法が改正され、労災で脊髄損傷者となった人に対して終身年金制度が実現したのである。

その当時は、福祉制度がほとんど整備されていない時代背景があり、全国の会員からの要望事項は医療問題をはじめ福祉や年金制度、バリアフリーなど多岐にわたっていた。

バリアフリー化運動の始まり

1969年には、都道府県道や市町村道の横断道路交差点における段差解消を実現し、車いすで生活するためのバリアフリー化の口火を切る運動を開始した。以後、国道交差点の段差解消、公共建築物における段差解消、車いす使用者用トイレの設置、車いす使用者用駐車施設の設置を建築指導要綱とともに実現。1972年には、かねてより建設省に要望していた、車いす使用者用の公営住宅が神奈川県平塚市や大和市に完成し、車いす使用者の入居が開始した。

1974年には、全脊連の要請により日本道路公団は、関門海峡の「めかりPA」と「壇ノ浦PA」に日本で初めての車いす使用者用トイレを完備し、その後も順次車いす用施設が整備されていったのである。

医療費の無料化の実現

1972年、神奈川県の津田文吾知事らへ要望していた、神奈川県における1~2級の重度障害者医療費助成制度、いわゆるマル障を実現させた。

これに伴い、2年後の1974年には東京都にも医療費助成制度を実現させたのをはじめ、この制度を全国に広げることを目指して、全国の道府県知事に対して要望書を提出するなどの活動を行い、結果的には、約3年間でほぼすべての道府県がこの重度障害者医療費助成制度を実施した。

このことにより、1959年の全国組織発足当時に掲げられたスローガンである「医療費の無料化」の実現が成し遂げられ、わが国で最も大きな福祉制度の柱となり今も厳然と輝いている。

無年金障害者解消運動の歴史

「重度の障害があっても障害年金がもらえない会員を救済しなければならない」として、全脊連が無年金障害者解消運動に取り組み始めたのは1975年であった。当時、障害者の間でも障害年金がもらえない障害者がいるという認識はあまり知られていなかったが、1回目のアンケート調査を行った結果、19人という少数回答ではあったが、障害年金を「知らなかった」という人が最も多い結果であった。それ以降、国会請願13回、厚生省陳情24回、ロビー活動8回、デモ行進1回、アンケート調査活動3回、議員会館前での座り込み1回等々、2003年に学生無年金裁判が始まるまでの約28年間にわたる活動記録を「無年金障害者解消運動の歴史」にまとめ、関連する文書記録とともに陳述書として学生無年金障害者裁判の証拠(国の立法不作為)として採用され、東京地裁はじめ全国8か所の裁判所に提出された。

その結果、全脊連が提出した「無年金障害者解消運動の歴史」がこの学生無年金裁判に少なからず影響を与え、2004年3月に東京地裁、同10月に新潟地裁、2005年3月に広島地裁でそれぞれ原告勝訴に導いた。その判決理由には、「昭和60年の国民年金改正時点においても、学生無年金障害者に対する立法措置を何ら講じることなく放置していたことは、法の下の平等を定めた憲法第14条に違反する」として、国の立法不作為を認め、原告3人が勝訴した。しかし、この裁判は最高裁で敗訴するが、相次いで勝訴したこの一連の地裁判決が結果的に無年金障害者の救済制度につながった。2005年4月に、学生やサラリーマンの妻の無年金障害者を救済する「特定障害者に対する特別障害給付金の支給に関する法律」が施行された。

このように全脊連の無年金障害者解消運動は、極めて根気の要る長い長い活動ではあったが、無年金裁判の判決に反映され、一定の制度につなげる成果を上げたことは、まさに「継続は力なり」である。

現在とこれから

全脊連は、“どんなに重い障害があっても地域で普通に暮らせる社会”を目標に、全国各支部とともに自立支援法や障害者基本法の改正をはじめ、医療、所得保障、権利擁護、バリアフリー化などに積極的に取り組む一方、脊髄損傷者による脊髄損傷者のためのピアサポート活動を全国的に普及させることが全脊連に課せられた役割である。

(つまやあきら 社団法人全国脊髄損傷者連合会理事長)