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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年11月号

音声代替機能付きテレビを標準化してほしい

清成幸仁

テレビはいつでも、好きな時にスイッチさえ入れればだれでも楽しめる機器だと特に意識することはなかった。そう、何不自由なく聞こえていれば、テレビから流れている「言葉」や「音」は興味があるか、ないか程度の意識しか持ちえていなかった。うるさければ、ボリュームを下げるし、意識から外せば、音は「聞こえなく」なる。アナログ放送だろうが、デジタル放送だろうが、要は娯楽となる番組が何気なく、余暇として視聴できればよかった。

聴覚障害者という立場になってみて、テレビというものは実にバリアだらけである、という認識を持つことになるとは夢にも思っていなかった。何気なく、視聴しているものに対して、苦しんでいる人がいるという認識さえもっていなかった。

そういえば、「文字放送」等といって、その対応テレビをコマーシャル等で競って流していた時があったのを薄く記憶している。「暴れん坊将軍」さんが出演していたものもあったかもしれない。しかし、世に出すのが早すぎたのかもしれない。物珍しさはあったが、インターネット等、文字情報の氾濫という言葉がまだまだない時にでてしまい、普及することはなかったようである。確か、その画面をプリントする機能も付いていたように思う。もともとメーカーはこういった文字放送チューナー内蔵の付加機能を付けていたこともあったわけである。その時は聴覚障害者のことを想定したわけではないのだろう。自然に淘汰されてしまい、アメリカのようにチューナー内蔵である義務付けはなされないまま今に至っている。

筆者は当時、何不自由なくテレビを単なる娯楽として視聴できる健聴者であった。だが、事故により聴力を失ってしまった。このような中途失聴は見えないだけで、大勢いるものと思われる。高齢化社会が深刻化しているが、事故だけでなく、高齢による身体機能の衰えで聴力も低下してくる。障害者手帳を持つ聴覚障害者は30万人程度であるが、国内で耳の不自由な人はそれ以上の600万人とも1000万人とも言われている。高齢難聴者を含むともっと多くなってくるのではないか。今後ますますこの比重は大きくなると想像することは、何も専門家でなくとも簡単に想像できる。

そう、難視聴者問題は何も現時点で困難に面している人だけが対象ではなく、現在問題なく、何も意識していない人をも対象にしているのである。交通のバリア等もそうであるが、福祉行政というとどうしても、現在見えている範囲でしか議論しようとしない。しかし、人間というのは何が起こるか分からない。未来永劫現状のままということはありえない。

私たち聴覚障害当事者が訴えているのは、自分たちだけのためではなく、今は健康であっても、これからも出てくるであろう難聴者をも含むのである。

突発性難聴というのは恐ろしいもので、本当に突然襲ってくる。大人気ドラマが来週最終回、ということになっても、その前日にいきなり聴力を損失してしまう可能性もゼロではない。それくらいいきなり訪れてくることもある。そんな時はテレビを見ている場合ではないだろうが、要は、今までできたものが全くできなくなるのである。もし、明日の朝、目覚めた時に世の中の音がすべて聞こえなくなってしまったら、あなたはどうしますか。そういったことをぜひ想像していただきたい。

この原稿を執筆している時に、興味ある映画予告を見つけた。「ブラインドネス」というタイトルである。原因不明の病気が蔓延して、次々と目が見えなくなってしまうというストーリー。全世界人口の90%以上の人々が視覚を失っていくのである。予告編の最後に実に考えさせられる台詞があった。「恐い。見えなくなることより、私だけが見えることが恐い」と……。つまり見える人が大勢であった時は、世の中は見えない人にとってバリアだらけであり、特別なものであった。しかし、その立場が逆転し、見える人がマイノリティーになってしまうのである。つまり、見えている人だけが行動が異なってくるということ。

現在のバリアとは何か……というものを暗示しているように感じさせる台詞であった。現在私たち難聴者は「恐い、私だけが聞こえないのが恐い」というところだろうか。10人の中でただ1人聞こえないと、情報はもう、まったく入ってこない。

テレビの音声が聞こえないというのは、それが全国レベルで起こっているということでもある。いつでも好きな時に音声に代わる視覚でとらえることのできる文字情報等があれば、難聴者でも情報から阻害されることはなく、恐怖を体験することもない。

繰り返しになるが、現在感じている恐怖は私たち難聴者だけのことではない。いつ突然あなたを襲うかもしれない。放送に関するバリアの除去はその恐怖を除去することでもある。私たち難聴者先輩(先駆者)が、その恐怖を感じないようにさまざまな取り組みをしているのである。日本国民全員とまではいかないが、大勢が、自分自身のこととして、放送に関する諸問題を考えていただきたいものである。

(きよなりゆきひと 社団法人全日本難聴者・中途失聴者団体連合会常務理事)