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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年5月号

フォーラム2009

裁判員制度に向けて「新しい手話」の開発

高田英一

1 裁判員制度の発足

2009年5月から裁判員制度が始まります。裁判などに関わる手話は日常的なものもあり、それを含めてかなりの手話単語が普及しています。しかし、被告、原告、傍聴人などとして実際の裁判に出た経験のあるろう者はわずかで、手話通訳者も一部の人に絞られます。

裁判員に選出されると、それなりの専門的な法廷用語に直面することが予想されます。たとえば、刑として懲役と禁固があり、それらは日常的にテレビ、新聞などの字幕、紙面に出てきます。ところが、懲役と禁固という字面の違う刑は知っていてもこの二つが具体的にどのように違うか、理解できる人は少ないでしょう。

知っていることと理解していることは別の問題であり、裁判になると知っているだけでなく、意味を正しく理解することが必要とされるでしょう。手話には〈刑〉はあっても、懲役と禁固を区別する手話はないのです。

だれが裁判員に選出されるか分かりませんが、それに備える必要があります。

裁判員に選任されれば断るか、忌避するかを実際にろう者に聞いてみると、出たいという人がほとんどでした。

実際は裁判員への選任はそれなりの理由がなければ忌避することはできず、選任に応えることは国民の義務とされます。その義務は果たさなければなりません。それは権利主張の対価でもあります。

2 法廷用語の「新しい手話」

法廷用語を理解するに先だってその法廷用語の手話がなければ、そもそもその用語を表現できないし、その説明もできません。それが裁判員制度を前に、法廷用語の「新しい手話」の開発を必要とする理由です。

そのため、その費用助成など協力してほしいと、全日本ろうあ連盟などが最高裁に要請しました。

しかし、最高裁は法廷では難しい言葉は使わないし、難しい場合は裁判官が分かりやすく説明するから問題ないと断られました。

ところが、法廷には裁判官だけでない、検察官も弁護士もいます。それらの人々の使う法廷用語を裁判官がいちいち説明できるでしょうか?そもそも何が一般用語で何が法廷用語なのか、専門家と国民一般では区別する基準が違います。

裁判官、検察官、弁護士などの専門家が、裁判員と向き合ってやさしい言葉を使って工夫しながら説明をすることは大切ですが、それでも専門家の理解と専門家でない裁判員の理解にはやはり差があると思います。

さいわい、日本弁護士連合会が裁判員制度の実施に備えて「法廷用語の日常語化に関するプロジェクトチーム・最終報告書」を発表したので、そこに紹介された法廷用語をもとに、法廷手話通訳の経験が集積されている全国手話通訳問題研究会、聴覚障害の弁護士などの協力を得て、日本手話研究所標準手話確定普及研究部が1年近くかけて法廷用語の「新しい手話」を開発しました。

このうちには、〈裁判〉〈弁護士〉〈被告〉のようにこれまでに使われている手話を再確認し、組み合わせたもの、すでにある手話に新しい意味づけを行ったものもあり、厳密な意味ですべて「新しい手話」と言えないかもしれませんが、それらを含めて62語を便宜上「新しい手話」として紹介しています。

最初は「新しい手話」を理解できないとしても、その手話を知ってもらうために、あえて「新しい手話」を使い、その意味を説明することで理解してもらうことができます。それは、法廷用語に限らず、医療用語であれ、カタカナ語であれ、時事用語であれ、すべての言葉について言えることであり、ろう者であるか、健聴者であるかに関わりなく言えることです。

ろう者にとってはある手話を、健聴者にとってはある音声語を知ることがその知識を深めるきっかけになり、社会参加の機会を広げるでしょう。

3 法廷用語の新しい手話

それでは、確定した法廷用語の「新しい手話」を紹介しましょう。

1.「検察」

まず「検察」です。これまでは〈警察〉という手話はありましたが、〈検察〉はなく、〈警察〉+〈調べる〉で説明していました。一般的にも検察を警察の延長と考え、警察と検察を区別して正確に理解できる人は少ないと思います。

〈警察〉+〈調べる〉では〈警察が調べる〉と区別がつかないので、〈警察〉+〈調べる〉を合成して〈検察〉という一動作の名詞を創(つく)りました。手話単語は基本的に一動作にすることで、名詞として機能できることを期待しています。

2.「懲役」と「禁固」

「懲役」とは刑務所に拘置して一定の労働に従事させる刑です。働く義務がありますが、その報酬を得ることができます。「禁固」とは刑務所に拘置されるだけで労働は強制されません。

なぜ、刑にこの違いがあるのかよく分かりませんが、常識的には刑期が長い場合は懲役、短い場合は禁固になるのではないかと思っています。「懲役」は身体を拘束されて働くさま、「禁固」は身体を拘束されてじっとしているさまを表しています。

3.「弾劾」

「弾劾」とは難しい言葉です。難しいというのは、日常的に全くなじみがなく、しかも似ていますが、それぞれの場合に違った意味で使われ、語感が意味と結びつかないことにあります。

裁判に出てくるのは「弾劾証拠」ですが、国会用語では弾劾裁判というのがあります。前者ではある供述が必ずしも信用できないことを示すための証拠、後者では裁判官、人事官など身分保障のある公務員の非行に対し、国会の訴追によって罷免または処罰する手続きをいいます。そこから考えると弾劾は、排除、追放、罷免などの意味に理解できます。そこでこれまで使われていた〈除く〉を〈弾劾〉として同型類義語として使うことを確定しました。〈除く〉は「新しい手話」ではありませんが、新しい意味を付け加えたことになります。考えてみると、日本語の「弾劾」よりも手話の〈弾劾〉がよほどその意味を的確に分かりやすく表現しているといえないでしょうか。〈弾劾証拠〉は〈弾劾〉+〈証拠〉で表します。

4.伝聞

テレビドラマや推理小説で「伝聞」は証拠にならないという言葉をよく見ますが、それは伝聞がよく使われ、非常に重要な意味をもっていることを表していると思います。普通に使われる言葉では「また聞き」が相当するでしょう。

そこでいろいろ検討してみると〈また聞き〉あるいは〈人伝(づ)てに聞く〉という手話があり、よく使われていることも分かりました。これは保存手話でした。

保存手話とは、私たちの定義で「その手話はあるが、音声日本語の意味が確定していない手話」ということです。そこで、〈また聞き〉〈人伝てに聞く〉〈伝聞〉を同型類義語として確定しました。この手話は、指の動きが目と耳の間に止まるところがミソです。健聴者の場合は確かに耳に入ってきますが、ろう者の場合は目に入ってきます。したがって、手話はろう者と健聴者のどちらにも解されるように、指を目と耳の間に止めました。

5.「心神耗弱」「心神喪失」

国際生活機能分類(ICF)には、「『心身』機能・構造」があり、手話には〈精神〉があります。そしてこの「心神」、なかなか紛らわしい言葉です。

「心神耗弱」とは精神の障害により、やってよいことと悪いことを判断し、またやって悪い行為を抑えることが非常に困難な状態です。健常者でも、時と場合によって「心神耗弱」に陥ることがあります。手話〈精神〉はすでにあるので、これは使えるかどうかを検討しました。

〈精神〉には「魂」、「心」といった積極的な意味もあり、「精神的に強い」「精神主義」といった意味で使われることがあります。そこで〈精神〉と区別することにして、新しい〈心神〉を創作しました。そして「耗弱」は一般的に弱いというより、その時に落ちこんでいる状態を表す〈うつ〉を組み合わせることにしました。

「心神喪失」とは精神の障害により、やってよいことと悪いことを判断し、またやって悪い行為を抑えることが全くできない状態です。そこで、〈消える〉を同型類義語として先に創った〈心神〉と組み合わせることにしました。

〈心神〉は難しい言葉ですが、これを心、または気持ちと理解して、これを覚えて、〈うつ〉あるいは〈消える〉と組み合わせると、心または気持ちの状態が文字で表すよりもよく分かるのではないでしょうか。

4 持ち越された「新しい手話」

提案された法廷用語のすべてが「新しい手話」として確定されたわけではありません。「新しい手話」の創作にはアイデアというか、インスピレーションが必要です。そして、

  1. これまでの手話と区別できること
  2. 意味が手話の型に表れていること
  3. 簡単な一動作で表現できること

といった条件があります。単なる思い付きではなかなかよい手話はできません。したがって、無理しても創るということはなく、よい手話を創るということを大切にして、目標としています。

そして、「新しい手話」は、それを使う機会の有無にも関わりますが、何よりもそれを使う人がよい手話だ!、こういう意味か!、これは便利だ!、と思ってもらわなければ普及しません。それが創作に粒々辛苦、苦心惨憺を重ねなければならない所以(ゆえん)です。それ故にお蔵入りした「未完の新しい手話」は枚挙のいとまがありません。

それでも、いつか、だれかに必ず「新しい手話」を使う機会がくるでしょう。そして「新しい手話」を使うことでろう者、健聴者に関わらず新しい「こと」「もの」を知り、理解する手掛かりを得て世界が広がっていくことを信じています。「新しい手話」は私たちの夢とロマンを秘めています。

(たかだえいいち 全国手話研修センター常務理事、日本手話研究所長)

(註1)〈 〉で表された音声日本語は手話単語または手話のタイトルです。また「日本語・手話辞典」の手話タイトルを表す場合もあります。

(註2)「 」で表されたのは音声日本語です。

編集協力:日本聴力障害新聞(財団法人全日本ろうあ連盟発行)