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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年5月号

文学にみる障害者像

『「悲しみ」の特権』に見る天邪鬼の幸福論
『生きる日々~障害の子と父の断章~』より

上沼美由紀

『雁の寺』『五番町夕霧楼』『飢餓海峡』をはじめ数々の作品で知られる作家水上勉は、福井県の寒村で小作人の子として生まれ、極貧の生活の中、口べらしのため京都の寺に小僧として送られた。そこで学問の機会を得たが、修行になじめず脱走。年端もいかぬ頃から生活苦と結核と闘い、職業を転々とするも、30代で作家として身が立つようになり、ついには『雁の寺』で直木賞を受賞した。これからは苦労をかけた妻にも報いる生活ができる、という喜びのさなかに授かった娘は、水頭症と脊椎破裂症という重度の障害を背負っていた。

『生きる日々~障害の子と父の断章~』には、「次女直子が誕生してから、私が障害児問題、つまり、直子を通して、世の中を考えるようになった心の遍歴」と自身が語るように、障害をもつ娘の誕生が契機となったさまざまな作品が収録されている。親として、わが国の社会福祉の遅れ、わが子を含めた重度障害児への支援の貧しさを告発し、世間に波紋を投じた書簡「拝啓池田総理大臣殿」を含むこの一冊には、運命を受け入れ、娘と向き合うことで知りえた苦悩や喜びを通じ、懸命に生きていく日々折々の思いが取り繕うことなく記録されている。

作家としては、実に幅広い分野で多くの作品を残しているが、ここまで精力的に仕事をこなすにあたっては、文筆家としての才能もさることながら、不憫(びん)な娘の身を案じ経済的な支えを十分に与えようとする親としての切実な動機も大きかったかと思われる。

『「悲しみ」の特権』は、この本の第4章「いのちへの思い」に収められている一編である。ここで著者が題材として取り上げているのが「天邪鬼」。少年時の記憶に残るけったいな生き物である天邪鬼は、仏教では人間の煩悩を表す象徴としての邪鬼であり、四天王や十二神将に踏みつけられている。

通常、私たちが仏像に対峙するときに、その足元を凝視する人は少ないだろう。とは言え、十に満たない少年の水上勉がその体躯からもその境遇においてからも、低い視線で、自身がいた寺の本堂戒壇の脇にある毘沙門天の足元を見つめ、動きを封じ込められた生き物に興味を惹かれたとしても、あながち不思議なことではなかったかもしれない。

和尚からは、つむじ曲がりの人間にならないようにとの教訓として引き合いに出された天邪鬼は、足で踏みつけられていても、天をにらみ、歯を食いしばっている。一生をそうして踏みつけられて生きる立場は哀れだ、と同情心を持ちながらも、それを見据える少年の目は、おのれの精いっぱいの力を振り絞った心意気のようなものやその目に宿る楽しみの境涯までも捉え、このように生まれたことをそんなに悲しんでいないのだ、と思うことすらあった。

水上勉の作品に貫かれた「真実」を求め続ける目、見ようとしなければ見えてこないものを深く観察する鋭い目の芽生えがここにある。とは言え、天邪鬼に注がれた目線は大人になるにつれ、当然、上にあがって行く。不憫なものにかける優しさとは別に、その目線の高さが、作品の中で不幸な役回りの多くを障害を背負ったものに与えていたことはなかっただろうか。

少年の頃の記憶は続く。村の本堂には青銅の雨受け鉢があり、それを捧げ持っていたのは3人の童子であった。天邪鬼と同様に同情を禁じ得ない存在である童子たち。驚いたのは、彼らが重たい水鉢を支えながらにっこりとほほ笑んでいたことだった。この水鉢をつくった人は、どうしてこんな人間たちをここに彫ったのか不思議だった。

寺で見た天邪鬼や村の本堂で見た童子たち。その記憶を甦(よみがえ)らせたのは脊髄破損のために足に障害をもつ娘だった。娘の見せる笑顔は、かつて水上少年を驚かせた水鉢を捧げ持つ童子の笑顔に重なりあっていく。一生歩行障害の苦労を背負う身でありながら、このような不幸を抱えて、どうしてこの子は微笑するのだろう。巡り合わせとはこうしたものか。娘を理解しようとする父親としての思いが、彼の目線を再び下へ、下へと降ろしていく力を生じさせた。天邪鬼の目線を身に付けた水上に、天邪鬼が聞いているのと同じように地面を這う虫や蝦蟇(がま)やさまざまな生き物の声や歌声が聞こえてくる。それは、上にいる四天王には決して届くことのない、聞くことすらもできない、真実の声だ。

日本古来の天邪鬼の起源は天の動きや未来、また人の心を探ることができる巫女の天探女(あまのさぐめ)であり、それがいつしか人の心を読み取って反対の悪戯をしかける妖怪・小鬼の類ともなり、仏教の伝来とともに今度は人間の煩悩を表す象徴として、四天王や執金剛神に踏みつけられている邪鬼が天邪鬼と習合したという。

仏教では悪しきものとされていても、私たちの感覚は別の理解を持ち続ける。真実の情報をつかみ、それをもとに人のうわべや意図的に流布された世迷い言いごとに惑わされず、現実を見極めることができる存在。そうしたものを一番邪魔にして押さえつけたがるのは、時の為政者または権力者か。

自らをあえて嫌われ者の天邪鬼になぞらえようとする人は世の中には少なくない。そういう人たちは天邪鬼になるということを、人に悪さを仕掛けるようになることだ、とは思っていない。それは、地面に近いところにいて真実の言葉を聞き、ごまかしを見抜き、たとえ踏みつけにされても、世の中に警鐘を伝える存在になる、ということだ。

天邪鬼は時々五重塔の軒下にもいる。仏教的には、いつも反対のことばかり言う天邪鬼をお釈迦様が罰としてこの役割を与えたということだが、見れば上と下とにはさまれ、建物を支える大変な役回り。逃げ出しもせず、手も抜かず、自らに課せられたその大きな責任を理解せずに、どうしてそのような大役が無事に務められようか。現(うつつ)の世界の本当の邪鬼は民話や宗教の教えに出てくるような分かりやすい姿はしていない。ここだと教えられる場所にもいない。今も昔もそのことに大きな違いはないだろう。見誤ってはいけないのだ、と嘆く天邪鬼の声が聞こえる。

障害者の運動で、水上勉は上を向き、抑え込まれながらも、力では勝てない相手に地べたからの声を伝えようとした。下から届かぬ声を上げている多くの人たちが彼に支えられ、そして支えた。上に向かって声を届けられるほどに、弱肉強食体質のお国柄、大事なことをおろそかにしないと頑張る人たちがないがしろにされる悲しい政治が見えてくる。上からの声は黙っていても下に降りるが、下からの声は上げようしても簡単に上がっていくものではない。毘沙門天に踏みつぶされそうな天邪鬼に通じる心境を水上はついには追体験したのではないか。しかし、と彼は思う。ひょっとしたらあの境遇にしか分からないところの悦楽があるかもしれない、と。

「一生払いのけることができない苦痛や悲しみを背負う人に安心立命を得せしめる心の鍵とはなにか」。実はその答えが分かっているのは、他ならぬ水上本人だ。答えを引き出す心の鍵を持っていたのは、障害をもつ娘であった。

娘の足の神経が甦ることを夢見て、娘の歩行靴に小石を忍ばせる母親。その小石に気がつくことのない娘。そんな母と子を複雑な気持ちで眺め、「悲しみを抱いている」と言いながら、いつしか二人が持つ夢や幸福感を分かち持つ。「道端に落ちている小石に夢を託した母子がいたという知恵は、私がそういう子を持った悲しみの特権であった。これをいいかえれば幸福と思う。小石をただの石と蹴ってしまわない私の心の豊かさと言い直してもよい。それを子からもらった。」

幸福とは何か。幸福というのはタガの外れた享楽を楽しむことではないだろう。自らの人生の痛みも人の痛みも等しく受け入れ、その一方で、日々の暮らしの中での刻々のささやかな変化に幸せを感じるとしたら、人は皆、結局同じだけの幸せを与えられるようにできているのではないか。不幸な子を幸せにすることを自らに課した父親が、娘によって「これでよい、これでしあわせなのだ」という気持ちにさせられる。そうした水上がたどりついた幸福論は「天邪鬼の幸福を理解することである」

天邪鬼がいなくなれば、毘沙門天は尻もちをつき、五重塔は傾くのだ。

(かみぬまみゆき ハルネット主宰)

水上勉著『生きる日々~障害の子と父の断章~』(ぶどう社、1980年7月)