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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年5月号

列島縦断ネットワーキング【千葉】

高次脳機能障害の子どもを支える
―ハイリハキッズの取り組み―

太田令子

高次脳機能障害は、さまざまな疾患を原因として発症する障害です。成人では、脳血管障害を原因とするものが最も多く、小児では脳炎等の後遺障害として高次脳機能障害を有することが多いです。この場合は発症年齢が低いこともあって、他の小児期に発症する疾患の後遺障害や発達性障害などとの違いは、まだよく分かっていません。しかし、全体的な知的障害があったとしても、その支援には他の認知障害と同様に、正確な認知機能の評価が必要です。認知機能の障害は一定の年齢にならないと目立たないこともあり、小児期ではあまり気にされてきませんでした。一方、交通事故などによる後遺障害は、子どもたちが一人で外出し始める時期から急増します。「以前とすっかり変わってしまった」子どもの様子に、家族は気がつきます。しかし、「なぜそうなの?」という原因が分からず、「子どもの高次脳機能障害について説明してくれるところがなかった」「知能検査でも問題ないと言われた」だけで、どうすればいいのかが分からないまま不安を募らせていく家族はたくさんおられます。

ハイリハキッズ立ち上げのこと

2007年1月7日に東京・千葉を中心に、小児の家族の会が開催されました。この会の呼びかけ人が、都立大塚病院の言語聴覚士、鈴木勉先生とその仲間たちです。ここで、鈴木先生に当時のことを少し振り返っていただきましょう。

太田:昨年11月24日、横浜で500人以上が参加して日本脳外傷友の会主催の「集まろう 仲間たち!後天性脳損傷の子どもを支援するシンポジウム」が開催されましたね。あの時、小児の高次脳機能障害をもつ児童への支援に関して、全国規模で関心が急速に高まってきていることをヒシヒシと感じました。先生は当時、こんなに関心が高まると予想されましたか?

鈴木先生:家族会の運動や厚労省のモデル事業等で高次脳機能障害への関心が高まりました。その結果、成人の問題はずいぶん取り上げられるようになりましたが、子どものことが話題になることはあまりありませんでした。しかし、事故や病気で高次脳機能障害になったお子さんが、実際にはたくさんいるだろうと思っていました。このシンポジウムをきっかけに、小児の高次脳機能障害が一気に表に出てきたという感じがします。

ハイリハキッズを立ち上げたのは、職場で高次脳機能障害のお子さんを担当したことがきっかけです。それ以前に若者の会を作りましたので、当事者・家族会が大切であることはよく分かっていました。家族会の中には、お子さんのご家族も入っておられると思いますが、世代によって抱える問題点は当然違いますから、お子さんを対象にした家族会が必要だと思いました。小児の家族会としては神奈川のアトムの会以外にはありませんでしたので、東京近辺にも必要だと思いました。

太田:鈴木先生が呼びかけられて、千葉リハセンターからも私たちが参加させていただきました。千葉リハセンターでは、すでに学校訪問や連携調整会議などを始めていましたので、学校での問題もそれなりに経験はあったわけです。ハイリハキッズでご家族の声を聞いて、医療機関が子どもをはさんで学校と情報をやりとりすることの大変さを改めて感じさせられました。

鈴木先生:ご家族の中には、高次脳機能障害について理解してもらえず、大変辛い思いをしてきた方がたくさんおられます。家族会では、どんな話でも理解して受け止めてもらえますし、他のご家族の話にも共感できることがたくさんあります。みんな頑張っている、自分だけではないと思うだけでも、明日への力が湧いてくるかもしれません。また、他のご家族の経験から役立つ知恵をもらえるかもしれません。私もご家族の輪の中に入り、一人の参加者として話し合いの中に加わると、職場では見えなかったことにいろいろ気付くことがあり、大変勉強になります。

例会に出席されているご家族の声

太田:実際に、ハイリハキッズに参加されての感想からお聞かせください。

岩崎さん(仮名):5歳の時交通事故に遭って、意識が戻ったのは1週間後でした。10日後に言葉が出始めたのをきっかけに表情も良くなり、2週間後には車いすでお散歩に出られるまでに回復しました。訓練のおかげで歩けるようになりましたが、時々単語の言い間違いがあったり、自分で話したい言葉が見つからずイライラすることもよくありました。身体的にはほとんど問題がなくなっていましたが、どうも様子がおかしいので、神奈川リハの栗原先生に診てもらいました。高次脳機能障害はあるだろうけれど、年齢的にもまだ小さく、どこがどうということまでは現段階では言えないとのことでした。小学1年生になると、問題は一層はっきりしてきました。忘れ物はしょっちゅうありますし、勉強も何度も復習しないと覚えられないようです。

今年2年生になるのですが、今何をこの子にしてあげればいいのか、全く分かりません。「他の人はどうしているんだろう」と思ってインターネットで検索したら、ハイリハキッズが見つかりました。今日初めての参加ですが、先輩のお母さんから学校の先生との連携の取り方などの実際を聞いて、「そういうやり方もあるんだ!」と励まされる思いがします。学校で工夫してもらえるかどうかは、とても影響が大きいと思います。

大川さん(仮名):1年前になりますが、脳動静脈奇形による、主として右側頭葉出血による記憶障害が目立ちます。今は都内の特別支援学校に通っています。地誌的見当識障害があります。先日も、3時間くらいどこに行ったのか分からなくなりました。幸い子どもはパニックにもならず、警察にも協力していただいて見つかりました。パニックになったのは親の方かもしれません。この1年間学校と相談を重ねてきて、4月からは高次脳機能障害に関心のある医学部の学生さんが学校と協力して個別支援をしてくれるようになります。

中村さん:皆さんのお話を聞いていて、一番ビックリしたのは、どなたも医療機関で「高次脳機能障害」という言葉を聞かれたり、インターネットで探されていたことです。わが家の太一が発病した5年前には、高次脳機能障害という言葉はもちろんのこと、リハビリテーションという言葉すら聞けませんでした。今日改めて、時代は進んでいると実感しました。

太田:中村さんの場合、太一君がO157という食中毒(溶血性尿毒素症候群による急性脳症、脳出血、脳梗塞)であったこともあって、担当医師には、そのことと高次脳機能障害が結びつかなかったのかもしれませんね。高次脳機能障害があると気がつかない時、「どうして、こんなことするの?」と疑問に思った行動はどんなことですか?

中村さん:場違いな場面で笑い出したら止まらない、5分前のことも覚えていられない、といったことが起こると、ただいけないとか、しっかりしなさいと叱咤してきました。また、もともと心優しい穏やかな性格の子ですが、受傷後、人が変わったようにギャーギャー騒ぎ立てて自己主張するようになり、頑固で抑制が利かなくなってしまいました。太一とは思えぬ、攻撃的な態度に困り果てていました。暴れて、目の上を4針縫ったこともありました。

太田:中村家にとって、ハイリハキッズはどんなところですか?

中村さん:ハイリハキッズ定例会に参加して1年が過ぎました。子どもたちは別室で、支援スタッフとキッズメンバーと一緒に遊んでいます。

7月の定例会で、太一がキッズメンバーのお友達に学校が楽しくないと打ち明け、また今度来てねとお願いしていたそうです。私だけでなく、太一にとっても大切な時間になっています。

(おおたれいこ 千葉県千葉リハビリテーションセンター地域連携部)