音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年9月号

1000字提言

権利条約で動こう!街に出て行こう!

森壮也

先日、国連の障害者の権利条約に関する専門家会議の報告会がJDFの主催で開催された。2001年に国連総会でメキシコからの提案が採択されたと1990年代に第一報をいただいた時には、信じられない思いでいたが、あっという間に総会で採択。そして各国の批准を得て発効、現実の問題となってきた。

権利条約で、非障害者が持っている権利と同じものを私たちも要求できるようになった。そしてそれは、逆に言えば、これまで仕方ないと諦めてきた世界を変えないといけない責任が私たちに生じてきたということでもある。障害者なのだから、仕方ない、障害者なのだからこんなもんだろう、そう言って諦めるなと世界が言ってくれているのだ。ここで動かないでいるわけにはいかない。

すると私にも次から次へといろんな仕事が舞い込んできた。ある意味、まぁ、のんびり生きていければいいかという人生が怒濤の毎日になってきた。それは、同時にさまざまなぶつかり合いももたらす。私のようなろう者が参加する場が世界に増えれば、それだけこれまでと違った取り組みがたくさん必要になる。手話通訳の用意もそうだ。これまで手話通訳のコストを考えないで開催できた会議も、そうはいかなくなる。

私が関わっている開発の世界は、貧困の世界でもある。多くの途上国の役所で、障害者のいる現場で、お金がない、予算がない、だから何もできないという言葉を嫌というほど聞いてきた。でもそれは途上国なら仕方のないことなのだろうか?

そうではない。自分たちの正当な権利を求めて、必要な予算の配分を求めての戦いを始めなければならないのだ。お金がないというのは、たいていあなた方に割り当てられた分は少ないのですよ、ということと同義である。その配分がフェアであるか、ないか、障害当事者もきちんと考えないといけなくなった。フェアでなかったら、要求していかないとならない。お金をかけた結果、街中で障害者を普通に見掛けるようになったら、それはとても大きな成果だ。途上国でもモール(ショッピング・センター)のバリアフリー化などでいくつも取り組みが進んできている。そうした事例も紹介し、自分の発言の場も作っていく、そんな戦いの日々が権利条約で口火を切られたのだ。

街中の現場にどんどん乗り出していく。文化の違いがあってもこれは保障されますよ、と私たちに教えてくれているのが障害者の権利条約なのだ。権利条約の専門家会議では、そうした前進のためのエネルギーももらってきた。

(もりそうや 日本貿易振興機構アジア経済研究所主任研究員)