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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年3月号

1000字提言

脱施設化は時代の必然となる

高木俊介

前回のこの提言の最後に、精神科病院は自然消滅に向かうだろうと述べた。精神科病院に限らず、障害者、老人を隔離収容する施設は、今後確実に消滅する。脱施設化は、もはや時代の必然となるであろう。

なぜか。人権思想がさまざまなマイノリティの領域にまで浸透してきたことは大きい。マイノリティである障害者にとっても、個人の権利は尊重されなければならない(老人はすでにマイノリティではなくなった)。しかし、そのような理念だけでは世の中は動かない。脱施設化を駆動するのは、良くも悪くも、経済という大きなエンジンである。

この国では特に、施設化は近代化・高度成長の産物であり、同時にその触媒であった。身体・知的・精神の障害者を隔離収容することによって、第一次産業から重化学工業へ、石炭産業から石油産業への転換のための人口移動を容易にし、高度成長という離陸を可能にしたのである。家庭内・地域内に障害者がいることは、介護する家族を地域に縛りつけ、安価な労働力供給の妨げとなるからである。家族にとっても、収容にかかるコストよりも、自分たちが労働者として得ることになるだろう賃金のほうがはるかに大きかった。まさに、障害者は「生産阻害因子」だったのだ。

だが、近代化が達成され、高度成長が終わると、すべては逆回転をはじめる。世の中が豊かになることで、労働分配率が上がり、資本の利潤率が下がりはじめる。施設に対する資本の投下は、もはや富を生まなくなる。精神科病院もしかりである。

現在、中医協の資料によると、精神科病院の平均的な経常収支はほぼ赤字であり、収入のほとんどは入院費、支出は人件費が主である。入院費を増やすことはできないから、人件費を抑える以外に黒字化の道はない。医療スタッフの給料を抑えるか、能力主義や派遣の導入によって人材を流動化することで人件費を抑えるしかないのである。

対人援助サービス、特に人間関係を基盤とした治療を行う精神科医療にとって、これは致命的なことである。そして、実際、多くの精神科病院をはじめとする施設で、すでに援助の質の低下が明らかとなりつつある。

施設入所のためのコストも上がり、今後わが国の世帯の所得がそのコスト以上に上昇することは望めない。近代化が終焉し、大規模な資本の投下を回収できる施設化のメリットも終わったのである。脱施設化は時代の必然である。

しかし、そのことがすぐに、障害者の豊かな地域生活を保証するわけではない。脱施設化という契機を、殺すも生かすも、私たちの実践にかかっている。

(たかぎしゅんすけ たかぎクリニック)