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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年4月号

ワールドナウ

スウェーデンの脳損傷者支援

田辺和子

はじめに

在京の高次脳機能障害関連13団体の連盟、NPO法人東京高次脳機能障害協議会は、2008年7月の当会主催のシンポジウムでスウェーデン福祉の一端に触れ、その関連事業として翌年5月、スウェーデン脳損傷福祉事情視察を企画した。折からの新型インフルエンザのあおりで直前にキャンセルが出たものの、医師2人、ケアホーム事業者1名、高次脳機能障害者の家族6人、当事者1名の10人というグループでストックホルムを中心に、11か所の視察を行った。ここでは、脳損傷協会の活動と、退院後の地域生活について紹介したい。

脳損傷団体では当事者が理事として運営に関わる

最初の訪問先は、脳損傷協会「ヤーンクラフト(脳の力の意)」。1988年、脳損傷の若者をもつ2家族が中心となって設立し、現在、会員は全国に3,000人。

郊外の5階建てアパートの1階にあるストックホルム支部を訪ねた。事務長ほか理事5人と脳損傷コーディネーターの女性が迎えてくれた。驚いたことに、5人の理事のうち4人は脳損傷の当事者だった。「ピープルファーストだ!」日本の脳損傷団体は当然の如く親たちが運営しているが、スウェーデンでは後進の脳損傷分野にも、障害運動の先達の理念が共有されている。視察スタートで早くもショックを受けたのだった。

その理事たちは、交通事故や病気によって脳損傷をもったこと、その後、ヤーンクラフトの活動の中で、「記憶のリハビリ」「パソコン」「マッサージ」などのグループリハや勉強会に参加し、現在はその活動の指導者や運営責任者、あるいはマッサージ師として働き、公的な会合や交渉事に理事として出席している。給料について尋ねると「年金があるから」と答えた。協会から給料がでているわけではないことを、無給のボランティアというふうには考えないようだった。

ヤーンクラフトの運営や活動にとって、1994年の「一定の機能的な障害を有する人々の援助とサービスに関する法律:LSS」の施行は、大きな転機となったそうだ。事務局長のレーナ・ヘゲリンさんは、脳損傷者にとって、パーソナルアシスタントがいかに有用なものであるかの例をあげ、「脳損傷のことについて最もよく知っている私たちこそ、脳損傷者のためのアシスタント養成の最適任者です。事業費を獲得しアシスタントを育てること、そしてより多くの脳損傷者がその権利を得られるよう行政に働きかけることが私たちの使命です」と語った。

LSSは「脳損傷」が支援対象の項目に入っている

1980年代までのスウェーデンには、病院でのリハビリを終えて、地域に帰る脳損傷者への適切な支援はほとんどなかった。当時は重度の障害者は施設に入っていたのである。しかし、その後のノーマライゼーションの波とそれに伴う施設解体。施設を出て地域に帰る重度の障害者を支援するために施行されたのがLSSである。LSSは、「行政は、障害を有する人々が一般の人と同じような生活ができるように環境を整えなければならない」と定めている。

LSSは、その対象を3つのグループに分け、1.知的障害および自閉症、2.事故または疾患による脳損傷、3.身体/精神障害に該当する機能障害者とし、58,000人が認定されている(スウェーデンの人口は約900万人)。2の脳損傷に該当する人は約1,800人というが、1・3のグループにも脳損傷のある人が含まれているようだ。

脳損傷の患者が病院でのリハビリを終えて退院する時に、生活をする上で支援が必要とみなされた場合は、市のニーズ査定士が病院に呼ばれ、どのような支援が必要であるか話し合いが行われる。グループホームやパーソナルアシスタントなどの受給が決定したならば、退院までにそれが準備されていなければ、市は罰金を支払わなくてはならないという。

LSSにおける、デイセンター2か所、グループホーム、アシスタントサービスを受けて暮らす個人のアパートを訪問した。

デイセンターは個別対応が中心

医療機関でのリハビリテーションが終わり、地域に帰ってきた人たちが通うのがデイセンターである。中軽度の人が対象のデイセンターと、比較的重度の人が対象という2つのデイセンターを訪ねた。いずれも通うためにはLSSの査定が必要である。

ダーラガータンの通りに面したデイセンターのドアを開けるとさまざまな製作物を展示販売しているオシャレなショップがあり、その左手には2つの貸会議室があった。貸会議室を運営することにより、申し込みの受付、スケジュール管理、部屋の整頓、コーヒーやクッキーの準備などの仕事を生み出しているということだった。

右手の奥は広々としたスペースを中心に、パソコン、絵画などの活動ができるようなコーナーがあり、それぞれが自分の持ち場で嵌(は)め絵細工やパソコンなどをやっていた。ガラス戸で仕切られた小部屋では、木工や織物ができるようになっている。

嵌め絵細工に取り組んでいた利用者のルイスさんは、「作品づくりに必要な木材は、他のメンバーが木工の部屋で希望に合わせて切ってくれるので助かります。みんな別々のことをしているので、お互い話すことはあまりないけれど、同じ障害をもっている人が一生懸命、自分の仕事に取り組んでいる姿を見ると私もがんばろうと元気づけられます。ここに通うのが楽しいです」と語った。

比較的重度の人たちが対象というデイセンターは、閑静な住宅地、ブロンマベーゲンにあった。小さな部屋がいくつも並んでいて、個別対応がメインであることが分かる。活動の部屋は赤、休息の部屋は紫というように、部屋ごとに壁の色が異なる。色彩の専門家が色を指定したとのことだ。それぞれの部屋には、スヌーズレン、香り、触角、音楽など、五感を刺激するためのさまざまな装置がある。廊下のコーナーには、天井から手作りの魚や人形などをつるし、通りがかりにちょっと触ると揺れるような工夫がされていた。12人の登録者は査定により通う日数や時間が決められているとのことだった。

グループホーム:つかず離れずのスタッフと共に

ソルナ市の閑静な中層アパート群の中の一角にあるグループホームを訪ねた。棟の1階に4人、2階に1名がそれぞれ1LDKで暮らしている。スタッフは日中2人、夜間は1名の体制で、入居者も使える広いLDKのある一室に常駐している。食事は自炊の人もいるが、朝夕はスタッフや仲間と一緒に食べ、夕食後はしばらく残って談話やゲームなどを楽しむ人が多いとのことだった。

入所して間もないクラスエさん(男性、60歳くらい)は、ウィークデイの日中は前述の重度者が対象のデイセンターに通っている。重い失語があり、若いスタッフが身の回りの世話もしていたが、かなりのヘビースモーカーで、共有のリビングで視察団と懇談中にも何度かスーッと自室のベランダへタバコを吸いに戻った。その後を若いスタッフがさりげなくついていき、つかず離れずの位置で見守っている。重度の高次脳機能障害をもってからもクラスエさんは受傷前と同じように、タバコをくゆらすことができるのだ。クラスエさんに「ここの生活は?」と聞いたらニッコリ笑ってうなずいた。

パーソナルアシスタントに支えられ自立した生活

パーソナルアシスタントの実態を見るために、10年前の脳卒中の後遺症で記憶障害があり、車いすの生活をしているマルガリータさん(66歳)のアパートを訪ねた。生活は、4人のパーソナルアシスタントが交代で支えている。

マルガリータさんは、「受傷した時、この制度ができていて幸運でした。アシスタントのいない生活は考えられません」と語った。LLSは65歳までが対象だが、それまで支給を受けていた人は必要であれば延長ができる。マルガリータさんと業者は、延長の話し合いをしたばかりであった。アシスタントを派遣しているフロースンダ社の担当者トーマス・ヤブロンスキーさんに業者の考えを聞いた。

「アシスタントの役割は、利用者が希望するような生活を実現するために助けること。ですから、利用者と密接な関係を持つことが大事だと考えています。そのためにはどんな人がその人のアシスタントにふさわしいかをいつも考えています。私の担当の利用者に自動車の整備士の方がいますが、その人は、ねじを巻いたり閉めたりすることができなくなったので、そういうことができる人をアシスタントにしました。その仕事が確実かつ安全に実施されるように配慮するのが雇用主である我々の役目です」

文字数の関係で割愛したが、パーソナルアシスタントだけではなく、コンタクトパーソン、ゴードマン(後見人)の存在が関わり合って、一人の人を支えているということも忘れてはならないことだ。

おわりに

最初に訪ねたヤーンクラフトでは、当事者が理事をしていることに瞠目。障害をもつ人と支援スタッフが、対等な立場で働くという考えは、どの視察現場でも一貫していた。デイセンターのスタッフは、「センターを利用するのは、一般の人が働くのと同等の権利。だから、同じように休暇をとる権利もあります」と言っていた。食べるためには働かなければならないと考える日本。障害をもったら往々にしてその「義務」は免除される。しかし、それが「権利」ならば……。

また、スタッフのさりげない言葉の中に、「(ユーザー)と働く」(arbetat med)というフレーズがたびたび出てきた。「(ユーザー)のために働く」(arbetar fÖr)のではなく、「一緒に働いている」ということなのだ。意識されたものではない日常語だっただけに、なおさら、その平等の精神が心に響いた。スウェーデンと日本では制度が違うから、と言われることも多い。しかし、違うのは制度だけではないと思う旅だった。

(たなべかずこ NPO法人東京高次脳機能障害協議会)