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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年6月号

支援機器開発とユーザーの声

麸澤孝

1 現在の生活と支援機器の利用

私は1983年に交通事故による第4頸髄完全損傷の障害をもっている。機能回復訓練のため、8年間入院後、療護施設に5年間入居。1997年に東京都内で地域生活を始めた。生活の質の向上や介護者の負担軽減など、支援機器の必要性が高まり、現在では、毎日の生活に絶対に欠かせない生活の一部になっている。

支援機器開発のモニターやアドバイザーをはじめ、リハ工学カンファレンスでの発表、大学や専門学校、企業での講演など当事者としての活動も行っている。

2 過去の支援機器の印象と現在

1992年当時は療護施設に入居中であり、療護施設で生活している中では、支援機器の重要性や商品開発などあまり興味がなく、「現在ある商品そのままを使う」ことやユーザーが直接、研究や開発に関係することは必要ないと思っていた。

しかし、地域で暮らすようになると毎日必ず使う機器(電動車いすやリフターなど)がなくてはならない大切な機器となり、機能や操作性などに興味を持つようになってきた。それ以来、リハ工学カンファレンスや国際福祉機器展などにも参加するようになり、支援機器についての印象はがらりと変わった。

今ではインターネットを利用し、新製品のチェックや展示イベントなどに参加したり、実際に支援機器を研究・製作している方との交流や懇談する機会も増えた。

3 実際に開発に関わる(食事支援ロボット)

1994年、食事支援ロボット開発の利用者モニターということで紹介され、初めて機器開発のモニターを始めた。年数回のモニターを繰り返し、使い勝手・デザイン・セッティングや価格などをユーザーの立場で意見、助言などをした。

初めは「ロボットに食事介助ができるのか?」「食事介助は人間がするべきで機器は必要か?」などが第一印象であり、それほどユーザーの意見が開発に重要とは思えなかった。しかし、モニターを繰り返すたびに使いやすく食べやすくなるのを実感し、自分の意見が商品に反映されていくことがうれしかったことを今でも覚えている。

2002年には、食事支援ロボットが商品として発売されると新聞・雑誌の取材、テレビ・パンフレット写真などにも協力し、自分でも周りの反響の大きさに本当に驚くと同時に、ユーザーの意見の重要性も実感した。

4 ユーザーの声と関わり

支援機器が多くの障害者や高齢者に広がり、メディアなどにも取り上げられたりして一般的なものになってきた。また、私たちユーザーにとって生活の質の向上に大変貢献している。しかし一部には、ユーザーの意見とは全く逆の方向で商品化されている機器があることも確かである。大切なのは、個別のニーズと多くのユーザーが使える機器開発にユーザー本人の生の声は必要であり、さらにユーザーの意見や協力が求められる。

それにはユーザーの支援機器についての知識向上や、開発者・事業者・エンジニアとのパイプ役となるユーザーエキスパートの存在も重要である。そして一番大切なことは、私たちユーザーからの積極的な支援機器開発への参画である。

5 支援機器開発への要望

障害者自立支援法などの法改正や給付制度の変更など、ユーザーにとって真に必要な支援機器を見極め、手に入れることは厳しくなっている。このような現状の中、今すぐ生活に役立つ機器開発も重要であるのはもちろんだが、夢のあるロボット的な機器にも期待している。メディアなどで介護ロボットの開発などを目にするが、一番大切なのは「私たち、使う立場の意見を取り入れ、個々の生活に合った機器の選択を私たち自身ですること」を忘れてほしくない。

そして、最重度の方や少数の方のニーズに絞った個別の商品開発も重要であり、コスト面や需要が少ないなど難しい面もあるが、ぜひ重度な障害をもつユーザーのための商品開発も忘れないでほしい。

6 最後に

支援機器開発やモニターなどに協力している一人として、本当に多くのものを得ることができた。まず、支援機器についての知識を得たこと、多くの開発者・関係者の方と交流・議論できたこと。また支援機器を創り上げ、障害をもつ仲間の生活に役立ったこともうれしく思う。そしてそれらが、私自身の今後の生活の自信にもつながっていると確信している。

これからも支援機器の開発にユーザーとして協力し、重度な障害をもつ仲間のために役立つような協力をしていきたい。

(ふざわたかし 東京頸髄損傷者連絡会)