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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年6月号

文学にみる障害者像

リーとボブ・ウッドラフ『In An Instant』
―戦争・医療・障害の真実―

細田満和子

本書は、ABCニュースの看板キャスターが、イラク取材中に爆撃に遭い、なんとか一命を取り留めたものの脳損傷を負った後、自分の人生を取り戻そうとする道程について、本人と妻の語りによって構成された作品である。深い苦悩と家族との葛藤、本人と家族による果てしない忍耐と努力と献身を経て、やがて癒しへと向かう過程は、障害をもちながら生きるとは何かを読む者に強く問いかけ、戦争や医療についても改めて考える機会を与えてくれる。

本書のあらすじ

ボブ・ウッドラフは、アメリカ最大手のテレビ局ABCニュースでアンカーを務める、人並みはずれた知性と体力と容貌を備えた男性である。一方、リー・ウッドラフも知的で美しい、誰からも好かれる女性である。二人の間には4人の子どもがいて、ニューヨーク郊外の高級住宅地に住んでいる。

この理想的ともいえるカップルが幸福の絶頂を謳歌している最中、夫のボブは戦況をレポートするために訪れたイラクで、IEDといわれる爆弾攻撃に遭って、左側の頭蓋骨と脳を半分失う大けがを負うことになった。

ボブは爆撃にあった直後、最寄りのアメリカ軍医療部隊による応急処置を受け、さらなる治療のため軍用機でドイツまで運ばれた。医師からは脳損傷という診断が告げられた。ボブの意識が戻るまでには約5週間かかった。

ボブの意識が戻ったことは、リーにとってはもちろん喜びであったが、すぐにどうも以前のボブとは違うということに気づいた。ボブの身体機能は回復に向かったが、記憶障害は残ったままで、言葉を思い出せなかったのだ。リーとボブは対話をすることができなかった。ニュース・キャスターとして言葉を操ることが仕事だったボブにとって、言葉を失うことは何よりも辛いことであった。そして、そんなボブの傍らにいるリーも同じ気持ちだった。

リーは、4人の子どもの世話をしつつボブの看病を辛抱強く続けた。彼女はあらゆることを心配し、思うように物事が運ばないことに焦燥感を覚え、ストレスから体重が急激に減っていった。ボブと互いの意思疎通が図れないままでの自宅での療養は、こまごまとしたことでも行き詰まることが多く、彼女にとっては耐え難いものになった。

脳損傷は、突然に起こることが多く、人それぞれによって、歩行障害や言語障害など複雑でさまざまな症状の現れ方をするので、本人も家族も急に混乱した状況に置かれる。リーとボブの夫婦も、今までとはまったく違ってしまったという混乱に対処することができずに、一時は、ボブをナーシング・ホーム(療養施設)に預けようかという事態にまでなった。

ボブの陥没した頭部を元通りにするために、アクリル製の頭骨を埋め込む手術が行われた。手術は成功し、ボブは見た目はほとんど以前のボブと変わりなくなった。しかし相変わらず、とんちんかんな受け答えをしている。それでも、リーは、ボブが「読めない」と言う時は、本当は「眠れない」ということを意味していると分かってくるようになり、「今日は10万ドル分くらい気分がいいよ」と言えば、面白い冗談だと笑えるようになってきた。そして、「ヴェライゾン(電話会社)の人」を「ヴァイアグラの人」と言うボブの間違えは、彼女のお気に入りとまでなった。

やがてボブはかつての彼ではないと、自分もリーも思わなくてはならないということに気づいた。そしてリー自身も、かつての自分ではなくて、新しい自分を作り上げてゆかなくてはならないと考えるようになった。リーは以前、ボブの主治医にこう聞いたことがある。「夫はまだ私のことを愛するようになるのでしょうか」。主治医は「これまでに自分を愛してくれる人を愛さなくなった患者さんはいませんよ」と答えた。ボブもリーも、互いに愛で結ばれていることを信じ、それぞれ自分の生を新しく作り変えなくてはならないと思うようになり、そして実際に新しい人生を作っていったのである。

脳損傷への注目

話の筋は以上のようだが、アメリカにおける脳損傷者の問題は近年注目を浴びつつある。脳損傷の主な原因は、暴力や交通事故であるが、工事現場での事故やスポーツの際に起こることも多い。乳幼児への虐待や揺さぶられっ子症候群も原因となっている。それに加えて、イラクやアフガニスタンで負傷した兵士たちの脳損傷も深刻な問題になってきている。国防退役軍人脳損傷センターの報告によれば、男性は女性の1.5倍も脳損傷を負いやすく、特に軍人はリスクが高いという。現在、アメリカでは160万人から380万人が脳損傷に苦しんでいると見込まれている。このような状況の中で、有名人の脳損傷の体験が赤裸々に語られている本書は、医療者や患者だけでなく一般の広い関心を呼び、ニューヨークタイムズ紙が認定した2008年出版のベストセラー作品となった。

脳損傷者の患者会

脳損傷の本人や家族をサポートするために、全米のほとんどの州に患者会がある。筆者の住むマサチューセッツ州にも、1982年にNPOとして設立されたマサチューセッツ脳損傷者協会(BIA-MA)がある。BIA-MAの活動は、脳損傷予防プログラムの推進、アドボカシー活動、医療者教育、患者と家族の支援が主なものである。

これらの活動の中でも、特に注目されるのがアドボカシー活動である。2007年5月には、5人の当事者とBIA-MAが、ナーシング・ホームに収容された脳損傷者が地域で自立生活を送れるように、州知事と諸関連当局者を相手取った集団訴訟を起こした。ボブの家族がそうであったように、疲弊した家族は、脳損傷になった家族の一員をナーシング・ホームに送らざるを得ないのだ。しかしそこは本人にとって居心地のいい場所ではなく、地域で暮らすことが望まれていた。

この訴訟は、障害のあるアメリカ人法(ADA)やメディケア・オルムステッド法など、障害をもつ人の権利を保障した法律を州政府が犯していることを争点に行われた。翌年には和解が成立し、現在、約8000人のナーシング・ホームやリハビリ施設に暮らす脳損傷者のうち4分の1の約2000人が、より良いサービス環境の下、家族と共に元住んでいた地域などで暮らせる道が開かれた。

BIA-MAのアドボカシー活動は、まさに当事者とその家族が、声を上げ、裁判で訴え、政治家や議会を動かして、自分たちが必要だと考える要求を勝ち取ってきた。ここから分かることは、障害をもつ人の望む生活が実現されるためには、当事者が声を上げることが重要だということである。またBIA-MAは医療者と協力関係を築き、交流や教育活動を行っている。障害当事者と医療者が、対立しているではなく、互いに対等な立場で意見や情報を交換したりすることが大切なのである。

戦争と障害

ところでそもそも、なぜボブは脳損傷になる大けがを負わなくてはならなかったのか。それは言うまでもなく戦争があったからだ。

爆弾に遭う直前にボブが取材していたニュースは、イラクの首都バグダッドの小さなアイスクリーム屋のことであった。このアイスクリーム屋は文字通り戦場のオアシスだった。自動車爆弾や爆撃が近所で起こるたびに、何度も閉店のうわさが立ったが、日が暮れるとイラク人家族たちが子どもたちを連れてそこに集まり、たったひとつのアイスクリームをみんなで分け合っていた。それは最悪の戦渦にあって、ほんの短い間でもそれを忘れようとしているようだった、とボブは言う。

イラクの人たちが営むこんな日常の生活をニュースで伝えることで、ボブは、イラクの人は異星人などではなく自分たちと同じ人間であることをアメリカ人に知らせ、戦争を続けることの無意味さと残忍さを問い糾したかったのだろう。そして彼は、同じ人間同士が傷つけ合い、殺し合うことの帰結を身をもって示したのだった。この本は、声高にではなく、静かに反戦を訴える本としても読める。

戦争、医療、障害、そして生きるとは何かを考えさせる本書は、残念ながら今のところ日本語で読むことはできない。翻訳が待たれる。

(ほそだみわこ ハーバード公衆衛生大学院)


◎『In An Instant: A Family’s Journey of Love and Healing』(日本語訳:瞬く間に―愛と癒しの家族の旅路)、ランダムハウス、2008