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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年2月号

列島縦断ネットワーキング【北海道】

わたしの呼吸はわたしが決める
―ベンチレーター使用者ネットワークのあゆみとこれから―

安岡菊之進

ネットワーク設立20周年と記念事業

ベンチレーター使用者ネットワークが設立されたのは1990年12月1日。昨年20周年を迎えた当会は、その記念事業として、DVD「ベンチレーターはパートナー」を製作し、東京都自立生活センター協議会・ベンチレーターネットワーク「呼ネット」の協力の下、札幌(11月23日)と東京(12月3日)の2会場で、DVD試写会&記念講演会を開催しました。延べ180人ほどの参加者があり、ベンチレーター使用者の自立生活に向けた社会づくりのための貴重な機会となりました。

DVDでは、当会のあゆみと支えてくださった方々からのメッセージをはじめ、介助者研修にも使っていただけるよう、ベンチレーターの種類としくみ、気管切開や鼻マスクなどの説明、さらには吸引ケアについても学ぶことができるようになっています。何よりも、全国のベンチレーター使用当事者からの力強いメッセージを伝えることをメインに編集されており、医療・福祉関係者の方々に、当事者の体験と情報の確かさ、大切さ、そしてネットワークの必要性を感じとっていただけたらと願っています(DVDは無料配布しています。ご希望の方は事務局までご連絡ください)。

さて、当会が発足した当時は、ベンチレーター使用者の自立生活について、情報といえるようなものは何ひとつなく、代表の佐藤きみよが、90年4月に日本で初めてベンチレーターをつけての自立生活を始めるも、右も左もわからないまま、暗中模索の中でのスタートでした。そこで、全国の当事者とつながりたい、仲間を作りたいという思いで、ニュースレター「アナザボイス」を発行したことから、その活動が始まりました。

「わたしの呼吸はわたしが決める」。振り返ってみると、20年前も、今も、活動の中心となるテーマはこの言葉で表現できるかもしれません。

自分の呼吸に合ったベンチレーターを選びたい

1994年には、それまで1台300万円もするベンチレーターを自費で購入するか、病院の善意の貸し出しに頼るしかなかった在宅でのベンチレーターの利用が、健康保険の診療報酬に「在宅人工呼吸指導管理料」として点数化され、ベンチレーターのレンタルが可能となったことは大きな前進でした。

けれども、これによりすべての問題が解決したわけではありません。ベンチレーター使用者は、「自分の肺」の代わりをするベンチレーターを、数ある中から自分でチョイスすることができません。現在のベンチレーター市場では、数多くのメーカーがさまざまなベンチレーターを製造販売しています。しかし現状では、病院と医療機器ディーラーとの縦割りの契約によって、契約メーカーただ1社のベンチレーターしか使うことができないのです。

健常者が自分だけの肺という臓器を「道具」として持っているように、今後は、数あるベンチレーターの中からもっとも自分の呼吸にフィットしたものを選べるようになる必要があるでしょう。長い外出をするためにはバッテリーが長持ちするものを。自分の慣れ親しんだ呼吸フローに合ったベンチレーターがいい。タービン音ができるだけ静かなものを、といった具合に、「わたしのベンチレーターはわたしがチョイスして決める」のです。

さらには、呼吸回数や1回換気量などの設定値も、一定の範囲内で自分で設定できるようになることが必要です。しかしこの呼吸設定は、慣例により医師の管理下に置かれており、当事者が自由に設定することができません。健常者が、深呼吸をしたり、早くしたり、浅くゆっくりの呼吸にすることを無意識のうちに調整しているのと同様に、ベンチレーター使用当事者も、生活のさまざまなシーンに合わせて、呼吸量を調整していいはずです。

在宅人工呼吸療法の先進地米国の医師は、呼吸量の設定値にあらかじめ幅を持たせ、睡眠時など安静時の下限呼吸量と、入浴時や日中発声をしながら社会的な活動をしたりするときの上限呼吸量という幅の中で、当事者が自由に設定できるようにしています。「わたしの呼吸量はわたしが決める」のです。日本でもそうなってほしいと願っています。

当事者の声を聞いた医療的ケアを

地域で暮らすベンチレーター使用者にとって、吸引や導尿、胃ろうチューブ交換などの医療的ケアをだれにやってもらうのかという問題も大きな壁です。

時折しも、厚生労働省が2012年度の法制化を目指して、現在、検討会等で議論がなされている最中ですが、もっとも重要なのは、どのような介助者に吸引や導尿などの医療的ケアをやってほしいのか。それを決めるのは、決めていいのは、地域で生きている当事者であるという視点を欠いてはいけないはずです。

そして、施設や病院に入所している場合と、地域の中で当事者が主体的に生活している場合とでは、状況も責任の所在も大きく異なっています。また、病状が不安定で集中治療室で行う吸引や導尿と、障害が安定していて地域生活の中で行う吸引や導尿とは全く異なります。それらをまぜこぜにして、同じテーブルにのせて議論するのも止めるべきです。

ヘルパー2級や介護福祉士等の有資格者がいいのかどうか。事前に一定の研修を受けた介助者にやってほしいのか、それとも現場で徐々に教育していくのか。研修の内容と時間等、それを決めるのは、地域の中で自分の生命を守りながら生きている当事者です。自分の医療的ケアのニーズについてもっともよく認知していて、地域の制度や人的資源を賢く使いながら生きている専門家なのですから、その生活を成り立たせていくためにこそ法制化が必要です。

何が医療行為で何が医療行為でないかは、時代のニーズにより常に変化しており、その定義づけは、これからも不可能ではないかと思います。たとえばその昔、血圧計を使って血圧を測る行為は看護師しかできませんでしたが、家庭用の簡易血圧計が普及してからは、だれもそれを医療行為などと思う人はいないでしょう。

この医療的ケアを狭義に解釈しようとする人々は、ベンチレーターの電源スイッチを入れるだけでも医療行為だと言います。十分な訪問看護制度の人的資源がない中で、当事者にとって、それは「死になさい」と言われているのと同じですし、電源スイッチを入れるために、わざわざ看護師がやってこなければならない合理的な理由は何もないはずです。

20年前と比べて、ベンチレーターを使って地域で生きる人は、10倍以上、全国でも数万人になります。このような非現実的なことを言う人々は、もっと当事者と現場の声を聞くべきです。当事者にとっては、医療的ケアも生きるための介助であって、医療行為かどうかなどという線引きそのものが無意味だということ。医療看護の専門家や、介護福祉の専門家、行政関係者は、このことをよく理解し、ベンチレーター使用者の地域での生活を危うくするような言動は慎むべきでしょう。「医療的な介助をだれにしてほしいのか、わたしが決める」のです。

ベンチレーター使用者の自立生活の根底を支えるのは、1日24時間以上の介助制度です。その介助制度が量・質ともに十分かつ当事者主体の制度となるよう、今後も活動していきたいと考えています。

ベンチレーター使用者が地域の中で安心して生きることができ、社会参加が可能となる世界をつくれるかどうか。そのために人々の意識が変わることができるかどうか。それは、私たちの文明が真に豊かになれるかどうかの指標にもなるのです。

(やすおかきくのしん ベンチレーター使用者ネットワークスタッフ)

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