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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年6月号

文学にみる障害者像

ジャン=ドミニック・ボービー著
『潜水服は蝶の夢を見る』

細田満和子

著者のジャン=ドミニック・ボービーは、ファッション雑誌『ELLE』の編集長を務める、おしゃれでダンディ、そして社会問題にも関心のあるフランス人男性である。彼は2人の子どもの父でもあるが、ガールフレンドと一緒にパリで優雅な生活を送っていた。

そんなある日、突然、ジャン=ドミニックは脳出血に襲われた。働きざかりの43歳だった。20日の間生死の境をさまよった後、彼は後遺症で身体が完全にマヒするようになってしまった。手足を動かすことも、話すこともできない、いわゆるロックトイン・シンドロームである。唯一動かせるのはまぶただけで、やがてまばたきを使ってコミュニケーションをとるようになる。本書は、こうしたジャン=ドミニックが発症後過ごした、北フランスの海辺の病院での日々の記録である。

働き盛りに脳卒中になった方々を、私は何人も知っている。大学院生だったころ、脳卒中による失語症の患者会で数年間ボランティアをしたり、リハビリテーション病院で参与観察をさせていただいたり、いくつかの脳卒中の方の患者会の例会に参加させていただいたりしてきたからである。その過程で、患者と呼ばれる病いになった人自身が、その痛みと苦しみの中で、周囲に支えられながら、自らの〈生〉を生き抜いている姿を目の当たりにしてきた。また、脳卒中になって数年後の晩年の多田富雄氏にお会いする機会もあった。すっかりバリアフリーに改装されたご自宅で、珠玉のエッセイの数々が生まれてきた現場を垣間見させていただいた。

このような方々のお話には、それぞれの数多くのドラマがあった。ジャン=ドミニックのこの本は、翻訳本の帯にあるように「今世紀最高の作品の一つだ」(フィナンシャル・タイムズ)と評価されているが、私が聴いてきた方々のお話も、「最高の語り」、高潔な魂の表出であり、心を揺さぶられる物話であった。これらは拙著『脳卒中を生きる意味』(青海社)にまとめられている。この作品もこのような話の一つであると私には思われ、フランスらしい背景が織り交ぜてあり、ユーモアもちりばめられている点で独特の読後感があった。

ジャン=ドミニックがまぶたでコミュニケーションをとるとき、アルファベットを使う国の人なので、ひらがなの日本とは少し異なる特別なアルファベット表を使う。それは、「学問的な計算」によって、頻度が高い順番に並べられているもので、ESARINTULOMDPCといった具合である。相手がこのアルファベット表を読み上げる、そして、現したい言葉の文字が読まれたとき、ジャン=ドミニックがまばたきをする。この文字を、相手の人は覚えるか書き留めるかして、次々に文字を連ねて単語を完成させ、文章にしてゆくのである。

ジャン=ドミニックは、だれがこの方法をやすやすとできるか、どんな人が全くこのやり方をできないのかを鋭く観察している。たとえばクロスワード・パズルが好きな人や女性は得意で、せっかちで血の気の多い人は向かないのだという。そして、完璧主義者も最後まで文字をたどらなくてはならないので時間がかかって困るけれど、ひらめき型の人も、時に全くの誤解をしてしまうのでダメだという。患者は医療者をよく見ているのだ。

ジャン=ドミニックは脳出血の後遺症で、「自分という人間が内側に閉じ込められてしまったよう」(8ページ)という。これは、ロックトイン・シンドロームの状況をまさに表している表現だろう。ロックトイン・シンドロームというと、高校時代に岩波文庫で読んだフランス文学の傑作『モンテ・クリスト伯』に出てくるノワルティエ・ド・ヴィルフォールをいつも思い出す。以前どこかで、このノワルティエこそ最初に文学に現れたロックトイン・シンドロームの患者だということを読んだことがある。どういうわけか私はノワルティエに魅かれていた。動くことはできないけれど、暗闇の中で深い思考を重ねる賢者。人付き合いというものはないが、唯一孫娘からの愛情を得ている人物。私には、この孫娘だけが物事の表面だけではなくて、奥深く佇む真実を知っているかのように思われた。

驚いたことにというか、やはりというか、ジャン=ドミニックも『モンテ・クリスト伯』のノワルティエに言及している(55ページ)。ただしジャン=ドミニックは、「鋭い眼をした生ける屍、既に棺桶に片足を突っ込んでいる男」と、ノワルティエに対して厳しい見方を示している。多田富雄も、脳卒中になってからのご自身の姿を、鶴見和子との往復書簡のなかで「お化けのような老人」(『邂逅』22ページ)と書いている。こうした当事者による障害をもつものに関する残酷な記述には、胸をえぐられるような思いがする。

ジャン=ドミニックは本書の至るところに、食べ物や飲み物に関する記述、フランスの名所を訪ねた思い出、60年代のフランスの流行歌など、フランスらしさをちりばめている。

食べ物や飲み物では、リヨン産サラミソーセージ、エスカルゴ、牡蠣(かき)に猟肉(ジビエ)、シャンペン、アルザス・ワイン、アニス風味のパスティス、アプリコット・タルト、フランボワーズなど。文字を見ただけで豊かなフランスの食事が彷彿とされ、味覚が刺激される。

彼は、ストレッチャーで病院内を移動する途中、職員が道を間違うと食事のにおいをかげることもあると楽しみにしていたという(36ページ)。食堂からの食べ物のにおいを、もう食べることはできないけれど、運が良ければかぐことができたと書いている。このくだりは、多田富雄が『邂逅』(藤原書店)の中で、流動食の中に胡麻の香りを嗅ぎ当てて感動してむせび泣いたと書いた箇所を彷彿とさせた。

思い出の場所では、パリのアパルトマン、カフェ・ド・フルール、クレヴァン蝋人形館、聖地ルルド、ノルマンディー、ベルクなど、いかにもフランス的な異国情緒を感じさせてくれる。道中本に夢中になっていて、ガールフレンドの怒りをかってしまったルルドの旅は、まるでフランス映画を見ているように、エロス的愛と激情と諍(あらそ)いと和解に満ちていた。

また音楽でいえば、ジョニー・アリデー、シルヴィー・ヴァルタン、ロリシャール・アントニーという歌手の名前から、優雅で鼻に抜ける、時にちょっとくぐもるようなフランス語で歌われる数々の曲が思い出される。息子のセレストが、かつてジャン=ドミニックが12歳のころに聴いたクロード・フランソワの45回転レコード『ボーブル・プティット・フューユ・リシュ』を歌う場面では、当時の出来事の細部まで描写される。レコードを買った北駅の地下の父のいとこの小さな店。母の死、優しかった父のいとこの死。

そう、ジャン=ドミニックにとって、愛する人と共に、美味しいものを食べたり飲んだりすること、素敵な場所に住んだり訪れたりすること、音楽を聴くことが、喜びであり幸福だったのである。全く動かなくなり、まるで潜水服に締め付けられて動きを止められているかのような身体になっても、思考の世界で彼は、蝶のように自由に、好きなものを食べ、行きたいところへ行け、愛する人たちと会話ができるのだ。

本書のフランス語のタイトルは、文字通り訳せば『潜水服と蝶』であるが、翻訳者の河野万里子氏は、『潜水服は蝶の夢を見る』というしゃれたタイトルを付けている。内容に即して、読者の理解を促すためなのであろう。

本書の中で、彼の心意気を最も鮮明に表していると感じたのは、次の記述である。「もしこれからの人生が、半ばあいたままの口からよだれを流し続けなければならない定めであるとしても、僕は、カシミアの上に、流したい」(24ページ)。ここには名だたるファッション雑誌の編集長だったジャン=ドミニックのプライドが、彼一流のユーモアに包まれて表されている。

ジャン=ドミニックは、本書がフランスで出版されてから2日後に亡くなっている。感染症による合併症だという。本書の最終章は「新しい季節」と題されている。言語療法の成果で、唸るようにではあるが声を出すことができるようになり、潜水服を開ける鍵を見つけに旅立とうという意思が表明されている。さぞ無念であったろう。

落馬による脊髄損傷で全身マヒとなった映画『スーパーマン』で有名なアメリカの俳優クリストファー・リーブも、リハビリテーション訓練に励み、医療研究の発展に捧げた生活を送っている只中(ただなか)で、床ずれによる感染症で亡くなっている。障害をもつ人が抱える問題を考えるとき、社会的問題や心の問題とともに、医療ケアについても真剣に取り込むべきであることを改めて強く感じた。

(ほそだみわこ ハーバード公衆衛生大学院研究員)


【文献】

○原著:Le Scaphandre et le Pappillon, Jean -Dominique Bauby(『潜水服は蝶の夢を見る』講談社、1998年)