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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年6月号

列島縦断ネットワーキング【東京】

基本合意と総合福祉法を実現させる!
4.21全国フォーラム

新井たかね

4月21日(木)、参議院議員会館講堂において「基本合意と総合福祉法を実現させる!4.21全国フォーラム」(主催・障害者自立支援法訴訟の基本合意の完全実現をめざす会)が開かれました。

3月11日に起こった東日本大震災、被害の全容も掴(つか)みきれない甚大な震災に加えて、福島原発事故の収束の目途も立たないという、大変な事態のなかでの開催となりました。参加者は実行委員会の予想を大きく上回る400人を超え、用意された資料も、いすも足りないという、熱気あふれる集会となりました。被災地への思いを抱きながら、こんな時だからこそと、集まってきた人たちの胸の内が伝わってくる、いつもと違う空気が流れるなか、太田修平事務局長の「人間らしく地域で生活できるような、障害者基本法改正に向けて運動していきたい」との挨拶で開会されました。

続いて挨拶に立った竹下弁護団長は、基本合意に基づき、障害者権利条約の批准に向けた大きなうねりがつくられてきた一方、基本合意を踏みにじろうとする非常に危険な発言や動きがあること。自立支援法が廃止され、権利条約の内容に沿った総合福祉法が制定されるまで、訴訟を起こした時の思いは続いており、その日まで闘いを弱めるわけにはいかないと、力強い決意が述べられました。

【第1部】3.11までの制度改革、総合福祉法の情勢と課題

藤井克徳さんより「推進会議の到達と課題」、尾上浩二さんより「総合福祉部会の到達と課題」、藤岡毅さんより「訴訟団として総合福祉法をどう実現するか」について、それぞれ報告がされました。

昨年の1月7日「基本合意」に調印し、1月12日から始まった「障がい者制度改革推進会議」は31回を、「総合福祉部会」は12回を重ね、その会議の運営に心血を注いでこられた3人の方の報告からは、自立支援法に対する考え方や立場を越えて、新法を生み出すために重ねられてきた努力が伝わってきました。それだけに、そこでの論議が基で作られたはずの障害者基本法改正案が、最も大切にしてきた「権利の主体」を蔑(ないがしろ)にする等のあまりの不十分さに、改めて憤りが迫ってきましたが、それぞれの方の報告から、今後に向けた課題を整理することができました。

藤井さんからは、基本法改正案の国会審議で、どこまでレベルアップできるか、重要な局面に入ること。運動が何と言っても頼りであること。他の市民のみなさんにどれだけ理解を拡げ、世論をつくるかにかかっていること等が話されました。

尾上さんからは、新法の骨格提言をまとめ上げて行く大切な時を迎えているなか、各地からの総合福祉法の早期制定を求める意見書を、国にあげる運動の必要性と提起がされました。

藤岡さんからは、基本法の不備な点を自覚しながらも、運動の成果に胸をはって、総合福祉法、差別禁止法の次のステップにつなげていく闘いが大切なこと。大震災と基本法改正、そして自立支援法に代わる新しい法律作りの方向性は「人権としての支援の確立」という点で共通しており、運動を進める視点も同じ方向であることから一体的に取り組む必要性が強調されました。

【第2部】3.11からの東日本大震災と私たちの課題

全日本ろうあ連盟の久松三二事務局長から、東日本大震災に対する支援と今後の課題について報告がされました。

日本障害フォーラム(JDF)は、震災直後に被災者支援本部を立ち上げ、障害者団体が力を合わせて、被災地支援に取り組んできている具体的な活動について話されました。なかでも、個人情報保護の名の下に、実態の把握に困難を来しており、宮城県内で障害者手帳所持者5万人のうちJDFで安否確認ができたのは、わずか140人だったという紹介がされ、行政と連携した支援の必要性が強調されました。

復興構想会議への障害当事者の参画の必要性や、社会保障費の削減が危惧されるなか、拡充すべきが本来であること等々が指摘されました。

震災とともに新たな困難を抱えた人々に思いをよせ、被災者支援と重ねて、障害者制度改革の大切な局面を切り拓いていく、その歴史的な時に、今立たされていることを胸に刻みました。最後に、総合福祉法実現と震災支援を強く政府・国に訴えるアピールを採択し、その後の議員要請行動で国会議員にアピール文を届け、実状を訴えました。

元原告の補佐人として、1.7から今を考える

第1部三氏の報告後、フロア発言者として意見を述べさせていただきました。

2010年1月7日、障害者自立支援法違憲訴訟団と国とが、基本合意文書に調印したこの日は、重い障害をもちながら、がんばって生きてきた娘を誇らしく思い、この時代に生きる者としての役割を担うことができた記念すべき日になったと思ってきました。

そして、1月12日、推進会議の初会合では、権利条約とともに基本合意文書も配布され、会議の冒頭、担当大臣からの挨拶は、合意の意義、合意の内容にも丁寧に触れ、歴史の一歩が確かに踏み出されたことをこの目で確認しました。さらに4月21日、東京地裁での和解を経て、第1回検証会議、訴訟団と総理大臣との首相官邸での面談と続きました。

しかし、それからの1年は激動の一途を辿(たど)り「第31回推進会議」では、内閣府から示された「基本法改正案」に対し、「権利条約の理念を踏まえていない」と、委員のみなさんから反発の発言が次々と続きました。傍聴者の私たちでさえ「30回もの審議は何だったのか。協議でまとめてきた、大切にしてきたものが、ことごとく蔑にされているのではないか」と思うのですから、障害をもち、困難を抱えながら、身を削るようにして会議を重ねてこられた推進会議の委員のみなさんの心中は想像に余ります。

殊に意見が集中し、私自身の憤りが収まらないのは、基本法改正案の随所に出てくる「可能な限り」の文言です。「すべて障害者は、可能な限り、どこで誰と生活するかについての選択の機会が確保され」「すべて障害者は、可能な限り、言語その他の意思疎通のための手段についての選択の機会が確保され」等です。基本的な考え方、方向性を示すのに、なぜ「可能な限り」の文言が必要なのか、障害者は主権者ではなく付属物と言われているように思え、怒りの涙がにじみました。

訴訟の基本合意文書に明記されている「障害者福祉施策の充実は、憲法等に基づく障害者の基本的人権の行使を支援するものであることを基本とする」との大きな乖離を到底認めるわけにはいきません。

私は、推進会議の傍聴のなかで、娘たちのように意思表示することが困難な知的障害の重い人たちの、暮らしの場や支援体制のことなど、実態や願いを委員のみなさんに理解していただきたい思いで、推進会議の度に資料を届け、お話させていただきました。一方、福祉の谷間に置き去りにされてきた精神障害の方や希少難病の方、ひきこもりの方たちの実態をはじめ、他の障害の方たちの切実な願いにも触れることができました。

基本的な方向が定まり、これから障害の種別を超えて実態や願いを共有する努力が始まるものと思ってきましたが、事態はそう簡単には運んでくれません。しかし、31回を重ねてきた推進会議、12回を重ねてきた総合福祉部会の意義と重みは、事態を打開できうる力を蓄えてきていると確信します。

国難ともいう大震災に遭遇した今、社会の有り様を大きく変えていかなければならないこの時、すべての障害者、関係者が大同団結し、「国連の障害者権利条約」と「基本合意」の2つの宝をしっかり握って、次の世代に誇れる道を切り拓いて行く時だと、その思いを強くしています。

おわりに

私の娘は、泣いて訴えることも、笑顔で応えることも困難な大変重い障害を抱えていますが、娘の暮らす支援施設では、プライバシーを最大限守り、人権を瞳のように大切にしながら、それと同じくらい、共有の場で支え合って暮らすことも大切にして、支援を惜しまない職員集団の努力のなか、本当に豊かな人間関係が築かれています。

明日に不安を抱え、犠牲を払いあって暮らしている大勢の障害者と家族を思う時、娘たちのような暮らしの場が一日も早く用意されることを願っています。実態をしっかりみつめ、改善と実践を重ね、インクルーシブな社会の構築へ確かな歩みが進められることを心から望んでいます。

(あらいたかね 元原告 新井育代・補佐人)