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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年7月号

復興・新生への提言
見えない明日、見えない未来

古川敬

5月某日、出勤のためにいつものように海岸沿いの工場地帯を走る。

車窓から見える一見平穏な風景に、あの惨事があったことなど忘れ、初夏の日差しを心地よく感じながら工場地帯を抜け一本の橋にさしかかり視界が一気に広がると、見える風景とともに私の気持ちも一変する。

丘に打ち上げられたおびただしい数の船は相変わらずそのままで、倒壊寸前の家々も立ち並ぶ。

現実なのだと自分自身に言い聞かせ、仕事へのモチベーションを保つために今やるべきことだけを考えようと努力する。

そんなことの繰り返しの日々をどれほど送ってきただろうか、そして、この先どれほど送らなくてはならないのだろうか、そんな思いを日々抱きながら、多くの福島県民が日常生活を送っているに違いない。

いや、「日常」とは表現できないのが現実の、そして今後の長期にわたるであろう福島県での生活なのである。

この原稿の依頼を受けた際、執筆予定者には錚々(そうそう)たる方々の名前が並び、そこに私のような者の名があってよいものかと躊躇(ためら)った。

しかしながら、ここ福島県の特異な現状を多くの方々へ広く伝えることをだれかがやるべきと思い、筆を執った次第である。

冒頭に記した惨事の風景は、岩手、宮城、福島の東北三県の海岸沿いでは多くの地域で目にするに違いない。

ただ、福島県は様相が異なる。

地震、津波という自然の猛威に成す術なく命を奪われた多くの方々がいて、残された命を、跡形もなく破壊された港や街並み、田畑などを復旧し復興するために費やそうと立ち上がった多くの方々がいる。

希望を捨てずに、次の世代へ繋ぐための努力を皆が始めていることが互いの励みや勇気となっているのは間違いない。

しかし、人々の努力も、勇気を持とうとする気持ちも押しつぶす「原発」という巨大な力が重く圧し掛かっているのが福島県なのである。

ラジオからは毎時ごとに県内各所の放射線量測定値が流れ、小中学校では屋外活動を控え、風評も相まって売れるかどうか分からない作物のために田畑を耕し、同じく漁港や水産加工場の復旧にあたる人々を見ると、その先の夢や希望を持てないことへの努力が、いかに辛く切ないものかが伝わってくる。

そのことは、我々のような障がいをもつ方々の支援に当たる立場の者にとっても同様であり、私の働く法人も原発の緊急時のために避難計画を持ち、県外の受け入れ先や移動手段もすでに確保しているのである。

そんな中で働く者が、平常時と同じモチベーションを、今後長期にわたって保てるか否かは想像に難くないはずである。

では、現実の県内の障がい者支援事業所への原発の影響はどのようなものかを記したいが、その前に現在の原発事故に伴う避難関連区域を示したい。

計画的避難区域と緊急時避難準備区域など
図 計画的避難区域と緊急時避難準備区域など拡大図・テキスト

これら警戒区域、緊急時避難準備区域、計画的避難区域である12市町村には、44の通所・入所の障がい者支援事業所とグループホーム事業所(相談支援事業所を除き、多機能型は1カウント)が存在する(存在していた)。

確認が取れた事業所の中で、移転の21事業所のうち10事業所は「着の身着のまま」で避難を命じられ、半月ほど県内避難所を転々とした後、県外に拠点を移した。現在も区域内で事業継続を行っているのは2事業所であるが、残りの21事業所は休止中と思われる。

特に警戒区域では町が丸ごと移転し、電話の復旧工事さえ不可能な現状の中で、正確な情報は県も市町村もつかみきれていないのが実情のようであるが、行政に頼らずに自らの力で点在する利用者の方々を探し、移転先の市町村に活動拠点を設ける動きもある。

しかしながら、新たな拠点に通えるのは限られた方々であるため、利用者数を満たさないとの理由で県から事業指定を受けられず、無認可無報酬で動き出す事業所もあり、これら原発被害の事業所と利用者を救済するためにも、事業指定基準の緊急的な特別措置が必要である。

県外に避難した知的障害2法人10事業所を5月15・16日に訪問した。群馬県高崎市「国立のぞみの園」と千葉県鴨川市「鴨川青年の家」である。

「のぞみの園」は国立の知的障害者入所施設であり、25人定員の空き棟を3棟借り受け、68人の利用者を家族離散状態の31人の職員が支援しているが、職員の約半数は退職したという。

国立施設の整った設備や住環境の中であっても、地元へ帰りたいとの意向は施設長はじめ全員の望みである。

鴨川青年の家は研修施設であり、1階に事務機能を置き、2階の大部屋にグループホーム利用者など軽度の方々、3階の2段ベッドの部屋には入所系施設の重度の方々が生活しており、利用者数278人を、やはり家族離散状態の職員92人が支援し、約70人が退職、約40人が休職とのことである。

2階の大部屋での対応が困難なため、3階の「2段ベッド以外スペースの無い部屋」が連なる重度の方々の住空間は、一間幅(いっけんはば)の廊下が活動スペースとなり、「ラッシュ時の駅ホーム」の光景を髣髴(ほうふつ)とさせる。

そのような状況を早急に改善するために、県議会、行政に働きかけ、県職員2人が他業務をすべて外した専任職員として張り付き、利用者、職員の総意である「福島県内での生活」を実現するべく動き出している。

また、ここでは原因の如何には触れないが、避難中に2人の利用者が亡くなった事実もあり、少なくとも原発による緊急避難がなければ起こりえなかったことは確かである。

さて、私の住む「いわき市」は、それらの避難関連区域には指定されなかったが、この地でもまた、復興へ向け立ち上がろうとする障がい福祉関係者の思いを原発が絶っている。

5月13日、市内の小規模な障がい福祉サービス事業所11か所を訪問した。

海沿いの事業所は人命の被害はなかったものの、建物や田畑が津波にのまれ、利用者と職員が一丸となって復旧に当たり、以前のように無農薬有機米や野菜作りを目指そうと動き出した矢先、原発の影響で取引先から一方的に契約を切られた。

ダンボールの組み立てを行う事業所では、福島県で組み立てた物は輸出に使えないとの理由で仕事の量が減った。

いずれも、具体的なデータも根拠もない所謂(いわゆる)「風評」である。

ここまでの列挙の通り、震災被害県の中でも福島県は特異な状況下に置かれている(5月27日現在の状況であり、発行時の状況が異なる可能性をあらかじめお断りしておきたい)。

あらためて、このコーナーのタイトルは「復興への提言」であるが、私にはおよそ提言などできようもない。

なぜなら、努力や協力、頑張りなどの我々の力ではどうしようもない原発問題は、常に精神状態を不安定にさせるだけでなく、将来の夢や希望さえも奪っているからである。

以降、タイトル趣旨から外れることをお許し願いたい。

原発で懸命に作業をする東電社員を「英雄」と賛美する声もあるが、私は間違いだと思う。原発を持つ会社を自らが望んで社員となったのだから、職責を全うするのは至極当然と思うからである。

国策の下、利権絡みで進められてきた電力業界の雄である世界最大の電力会社「東電」は、社員数5万3千人、一般企業の約2倍に当たる年収8百万円弱の平均給与、19人の役員報酬平均が3千7百万円、経産省からの副社長ポスト割り当ての天下りなど、我々障がい福祉業界とは別世界の化物(ばけもの)である。

この化物が起こし、人知での制御が不能になった原発の問題が解決しない限り、福島県の障がい福祉の未来も復興も存在しない。

だからこそ、原発被害の対象として忘れ去られないために、障がい関連の被害状況を調査し、データ化し、さまざまな立場の方々へ発信することを、今行わなくてはならない。

福島県の真の復興への道筋は、原発事故収束と保障の後に訪れると思うからである。

(ふるかわたかし いわき希望の園)