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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年7月号

復興・新生への提言
生きとし生けるものとの共存のみち

中澤正夫

1 まず何から考えるか

東日本大震災の特異さはM9.0、東日本太平洋沿岸一帯を襲った大津波だけではなく危惧されていた発電用「原子炉」の破壊が起こったことにある。原発が事故を起こしたのではない、地震で破壊されたのである。原子炉がいったん暴走を始めれば防ぎようが無いことを事業推進者たちは良く知っていた。だから「絶対安全神話」が必要だった。あらゆるメディアや教科書の副読本までが動員された。私たちもスリーマイル島やチェルノブイリ(これは事故だった)を知っていながら「安全神話」に乗っていた。その結果、人類史上初めての特異な災害が出現したのである。したがって、復興も原子炉災害対策を抜きにしては立てられなくなっている。

私が行動を起こしたのは、10日後、「東京武道館」に避難して来ていた半径20キロ圏内の人々への救援であった。8日間行った相馬支援も強制避難によって生じた広大な「精神医療空白地帯」への救援だった。勿論(もちろん)、地震や津波被害を受けた人たちへの「こころのケア」やPTSD対策のため避難所の巡回も行ったが、放射能被害に対しては何の救援もできなかっただけではなく、私も同じ被災者であったのである。

朝夕の会議や避難者に対する対策本部報告も、「どこで何uSv/時だった」かが必ず報告された。ここに、阪神・淡路大震災や中越大震災との決定的な違いがあるのである。夕食後、訪れると原発論議になる。「田植え」・「魚を捕る」を禁じられている避難者の嘆きの中に「あなた方は遠くから来なくても〈支援〉はできる!自分の地で原発と向き合うべきだ…そうしないと次はあなた方の番になる」という問い返しが隠されていると感じたのは私だけではないと思う。静岡の医師会チームの離任時の挨拶は「帰ったら浜岡原発を何とかする」であった。災害の本質抜きには対策は立てられない。

2 災害は今も拡大進行中である

今回の災害の中核というか、本命の原子炉破壊は今なお進行中であり、新たな拡大を見せている。3.11直後、地震により原子炉そのものが破壊され、早期にメルトダウンを起こしたことははっきりしている。そうなれば核燃料棒は勝手に核反応を起し、手がつけられなくなる。充満する高放射能のため人は中に入って修理することもできず姑息的な場当たり的な防御策しかないのである。溜(た)まるばかりの高汚染水を海にも流せず、大地にしみ込ませることもできない。それをすれば、いずれ生態系を通して人間に蓄積するからである。

こうなると、復興という概念も変わらざるを得ない。とりあえず復旧、それに新たなる画期的思想や対策を組み入れるというこれまでの「復興」の概念は通用しなくなっている。強制退去させられた人々・自治体・医療機関・障害者施設は、原発破壊の終息(廃炉)の見通しがつかない限り「復旧対策」さえ立てられない。故郷を追われ各地を転々とし、長い避難所生活の中で、疾病や障害を悪化させている。自治体や施設の責任者は精神的疲労が蓄積し、放置できない状態にある。

これまで撒き散らしてしまった放射能物質はこれからじわじわと人体を侵してくるのであり、今後排出されるはずのもっと大量な放射性物質を防ぐ有効な対策は今のところ無く、退避地区が拡大する可能性の方が高いといえる。

3 原発と人は共存できていなかったし、これからもできない。

原子力を人間の「手の内」に入れようとし「負けてしまった」ことを教えたのが今回である。

原子力による発電は安全でもクリーンでも廉価でもない。原爆・核戦争がラピッド・デス(rapid death)とすれば、原発破損はスロウ・デス(slow death)である。「すぐには、影響は無い」と詐称して未来へツケを回しているだけである。

原発という「現代科学の粋」を凝らした装置は、最初から故障続きである。無事故宣伝は電力会社の言い分で、事故は下請け会社のレベルで隠され続けてきている。故障や定期点検時、さぞかしハイテクな技術やロボットなどが当たると思いきや、下請け未熟練労働者の手作業という人海作戦しかない。放射線管理も杜撰(ずさん)、大量な被曝のため限られた時間しか働けない。その実態は、1979年のルポ「原発ジプシー」(堀江邦夫)、東海村JCO臨界事故(1999)を経ても変わってはいない。

メルトスルーが起こっている今、有効な手立ては無い。原発とは「トラブれば、手がつけられない」ものである。通常運転していても核廃棄物や使用済み核燃料の永久的安全保管は不可能なのである。地中深く埋めようと、厚いコンクリートで覆おうと生態系を壊し続ける。福島第一原発がこれまで撒き散らした放射性物質は何万年もの間、日本だけでなく世界中を汚染し続ける。うまく冷温収束できたとしても、それまでに排出した大量な放射性物質が子どもたちに重篤な疾患を生じさせ、たくさんの障害者を生む可能性を持っている。他の原発も多く活断層の上に立ち、地震でフクシマ化する運命にある。

4 「there is no immediate danger」は「先のことは知らないよ!」ということ

これくらい浴びても大丈夫と世界で決めている被曝量は、年間1mSv(一般人)、放射線作業従事者は50mSv・または5年間で100mSvである(国際放射線防護委員会)。この世界中で使われている基準値の基礎になったのは、オークリッジ研究所でつくられたT65Dである。これは、アメリカの核実験のデータと広島・長崎で投下された放射線量と白血病・癌の発生率などから推定した暫定値(1965)である。その後「広島・長崎の投下放射線量はオークリッジの推計の1/10に過ぎない、もっと低量被曝で危険とわかった(ローレンス・リバモア研究所)が無視された。1977年、マンクーゾ博士(ピッツバーグ大)は厳密な疫学調査から原子力産業で働く者の発ガン率は一般人の10倍である、安全基準値を下げるべきである」と発表した。調査依頼者は当の米原子力委員会である。

この発表後、博士は「好ましからぬ人物」として職を追われ、資料はオークリッジに持ち去られ「研究が不備である」という攻撃にさらされた(『日本の原発、どこで間違えたのか』内橋克人、朝日新聞出版、2011/5〈30年前の『原発への警鐘』の復刻〉)。T65Dはその後改定され(DS86、DS02)たが外部被曝に限定し続け、肝心の内部被曝の実態をまったく反映していないことが明らかにされた(被爆者認定裁判…国側の敗訴)。内部被曝には安全値は無いのである。本来、よりかかってはいけない、いわくつきの(国際)基準値なのである。それでも安全値の目安としていま、国も東電もマスコミもこれを使っている。

この原稿を書いているとき(6/4)の福島市・郡山市の空中の放射能値は1.5uSv/時である。1年では13mSvを超える。いわくつきの基準でも危険な線量である。それに対して、政府が取った手は「安全値を年間20mSvに上げる」(原発労働者は250Sv/年と変更)という驚くべきものであった。私が復興プランの柱に「近い将来大量な障害者を作らない」対策と運動が盛り込まれなければならないと考える理由である。それは「脱原発」化である…そんなことができるものだろうか。

5 Gross National Happiness is more important than Gross national Product

今回の大災害は、日本人の考えを変えつつある。「自分だけでなく、他人も」「今だけでなく…将来のために」「人間だけでなく、動物やすべての生き物との共生へ」である。そのためには不便に耐えようとしている。GDPに代表される、効率・(自己)利益追求行為、能力主義や新自由主義の延長上に自分や地球を考えることを疑問視しだしている。「人類だけ1人勝ちしても、生物多様性を無視すれば、人間も滅びる」「自分だけ豊かになっても、放射性物質を止めなければ自分も滅びる」のである。

人は何を求めて生きているか?幸せであろう。その幸せの中身が変わろうとする兆しが見える。国民総幸福量(GNH)が世界一のブータンの人々の「幸せ」とは、〈他人とのよき関係〉、〈自然とのよき関係〉、〈未来(生まれ変わりも含め)とのよき関係〉の中にある。

3.11後、日本人も、打算をもとに自分の行動を決定する慣習に疑いを持ち出してきている。それだけのインパクトがあったのである。ここが育ってゆけば「本当の復興を果たすこと」ができるであろう。「ノーマライゼーション」も掛け声や「タテマエ」から「当たり前のもの」になるだろう。そのためには「明日を期しても明日は無いかもしれない、いま立って闘わねば…」(五百旗頭真 復興構想委員会議長:防衛大学長、日経4/21夕刊)である。

(なかざわまさお 代々木病院 精神科医)