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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年10月号

列島縦断ネットワーキング【北海道】

障がい者雇用が創り出した共生文化

大垣勲男

はじめに

伊達市は北海道の南西部に位置する人口3万7千人の農業と漁業を基幹産業とする小さな町です。北海道でも雪は少なく、夏は涼しく気候温暖で北の湘南と称され、定年退職後に伊達市に移住してくる方が多い町でもあります。この伊達市に人口の1.5%を超える約560人の知的障がい者が町で働き、町で暮らしています。市内の一般住宅地には知的障がいのある方が120戸のグループホームやアパート・借家に住み分け、伊達市を中心に隣接する4つの市町では200人を超える人たちが約60事業所で働いています。1994年には障がい者の地域移行や地域生活支援の取り組みが評価され、第1回バンクミケルセン記念賞を受賞した伊達市です。

この稿では、40年を超えて取り組まれてきた北海道伊達市における知的障がい者を中心とした就労支援の取り組みについて報告します。

伊達市地域支援マップ(改変)拡大図・テキスト

雇用促進の源流は「太陽の園」から

こんなに多くの知的障がい者が伊達市で働き暮らすようになった源流は、定員400人の児童から成人まで利用できる知的障害児者総合援護施設「道立太陽の園」が、1968年6月に全国に先駆けて伊達市に開設されたことによります。福祉理念と施策の変遷とともに障がい者の地域移行は加速度を増し、かつ利用定員も縮小の一途を辿り、現在の太陽の園は児者定員170人となっています。開設以来の太陽の園の運営指針は、「決して閉ざされた社会にせず、可能な限り社会参加を実現する!」でした。

太陽の園開設3年目の1970年11月、伊達市内の5つの企業の職場実習に11人が取り組み、翌年の1971年6月、太陽の園からの就職第1号が誕生しました。これがこの地域における障がい者雇用の第一歩で雇用促進の源流でした。その後、理解ある企業主や先輩諸兄の果敢な取り組みにより年々その数は増えていきました。

筆者は、太陽の園開設から12年目の1979年に入職し障がい者の就労支援に関わり始めました。当時、太陽の園から市内の企業へ職場実習に出ていた人は80~90人ほどおりましたが、企業就職していた人は現在の4分の1の約50人でした。先輩職員からは、常に太陽の園の定員の2割の80人以上を通年で職場実習に出し、年間10人は就職に結びつけるようにと引き継ぎを受けたのを覚えています。

事業主が手を繋ぎ、障がい者職親会を結成

40年前、5事業所11人の職場実習から始まった企業就労の取り組みは、年々加速度を増し、伊達市を中心に障がい者を雇用する事業主が増えていったのは前述のとおりです。この、障がい者を雇い入れた雇用主たちが手を繋ぎ、北海道に特有の文化が生まれていったのが障がい者職親会です。

当地では、西胆振心身障がい者職親会が1981年3月に道内3番目として設立されました。北海道の西胆振地区5市町村の障がい者を雇用している事業主と、雇用をお願いする障害福祉施設や養護学校、障がい者が暮らすグループホームやアパートの大家さん等約70会員で結成されました。現在までに道内25自治体に設立され、社団法人北海道障がい者職親連合会を結成、北海道行政とタイアップしながら道内の障がい者の雇用促進領域において重要な社会的役割を果たしています。

さて、当地区の西胆振心身障がい者職親会は「障がい者の雇用促進と地域生活の推進」を活動目的として設立され、今年設立30周年を迎えます。活動内容としては、当地区の事業所はほとんどが中小企業のため、合同で「新規就職者を祝う会並びに永年勤続者表彰式」を毎年開催し、「永年雇用継続事業主の表彰」を行っています。

会の活動も活発ですが、特筆すべき点は、障がい者雇用がこの地域のノーマライゼーションを推進してきたことでしょう。雇用事業主が別の事業主を紹介してくれたり、職親会の事務局には年に何件もの求人情報が入ったりすることは珍しくありませんでした。また、働く障がい者は住まいを必要としますし、消費者でもあります。伊達の町に住まい、伊達の町で働き、伊達の町で買い物をする。障がい者が町に慣れたというよりも、町が、市民が、障がい者に慣れたと言えるのではないでしょうか。障がいのある人を優しく包み込む市民の文化が醸成されていったわけです。

就労支援に携わる人に求められる「知識」と「スキル」と「センス」

これまでの雇用事業主の話とは別に、この地域の文化を共に推進してきた福祉施設や養護学校進路部等の就労支援者に求められる6つの要件について、全くの持論ですが述べたいと思います。

(1)就労支援に従事する職員はしっかりとビジネス感覚を持つこと。ビジネスとはギブ&テイク。一方が利潤を得たり負担を感じてはいけない。

(2)看板の裏側に仕事がある→足と目と口で職場開拓(各所に出かけ、診断、安心感)

(3)頼る関係から頼られる関係へ→「あの人に連絡してみよう」と思いつく存在に。

(4)月に一度は職場に顔を出す。「(ついでに)話しておくけど…」と早期に就労継続を不安定にするかもしれないサインをキャッチ。

(5)利用者にとって大切な所得の手だての場であり、自己実現の場である「職場」を訪問する際に気をつけたいこと。1.職場の中で利用者がどんな位置にいるかの掌握。2.健全な職場環境で自己実現を図っているか。3.働く現場を訪問するにふさわしい身なりか。時には一緒に仕事に入れる服装か。4.職場によっては訪問順序を配慮したり、同日の訪問を避けているか。5.見地や考えが福祉・教育サイドに偏重していないか。相手は企業であり、利用者は賃金労働者であるということを念頭に置いているか。6.職場からも本人からも信頼に足る代理人の役割を果たしているか。

(6)就労支援者には、五枚舌(5つの役割)が必要。1.コーディネーター、2.マネージャー、3.アシスタント、4.アドバイザー、5.セールスマン

終わりにかえて

今年、勤続30年を迎えた62歳になるMさんは北海道知事表彰を受賞しました。古紙回収業を営む勤務先の社長さんは、「会社の誉れだ!」と授賞式に向けてスーツやワイシャツ、ネクタイや革靴など一式をお祝いに贈ってくださいました。一昨年の秋、Mさんのささやかな還暦祝いを市内の料亭で催しました。精神病院や障がい者施設を長く利用していたMさんは、自分の人生を好転させてくれた社長さんを招待し、たどたどしくも心のこもった感謝の言葉を精一杯述べていました。

伊達の町には単なる雇用関係ではなく、人と人との温かい人間関係の上に立った雇用関係が数多くあります。伊達の町には、農漁業の基幹産業と障がい者を市民として包み込む温かい文化があります。この文化を創造したのは、一人ひとりの障がい者を温かく職場に受け入れた雇用主、そして、働くことで自己実現に努力した障がい者、橋大工の役割を担った支援者たち、この三者の努力が市民の意識を変え、今世紀求められている共生社会の文化を創り上げたのだと思います。

(おおがきいさお 社会福祉法人伊達コスモス21常務理事)