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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年1月号

1000字提言

「紙一重」の地で

及川智

「更地と復興は紙一重やな」

大阪から震災復興支援のためにいらしてくれた方の呟きである。

私はこの言葉が耳を離れない。津波が飲み込んでいったもの、そして、犠牲となられた方から託されたものは途轍も無く大きい。ただその双方を今後に必ず活かすこと、それが我々に課せられたことではあるまいか。

平成23年3月11日。大地震とそれに伴う津波が襲い、多くの方が亡くなり、太平洋沿岸の広大な範囲が被害を受けた。

私は所属するCILたすけっとの会議中に被災した。

指定避難所である小学校には6時間ほどしか居られなかった。身動きがとれず、トイレにも行けず、出るほかしかたなかった。事務所に戻り、毛布にくるまりながら、じっと目を閉じていた。ラジオから相次いで入ってくる津波被害の状況に、ただただ耳を傾けることしかできなかった。

あのときから約1か月経ったある日、私は、宮城県南の亘理町に聞き取りへ出た。その時に聞いたのが冒頭の呟きである。津波が来たところは、更地とかした。建物、道路等は失われはしたが、その地の風土や根付いていた文化は継承されていくと固く信じている。そしてそれらを基礎として、新たに地域を創っていかなければならない。そう固く決意させてくれた言葉だった。

これまで、東北・宮城は地方部で福祉が遅れている、ということを話してきたが、この間、全国各地からさまざまな方から支援をいただいている。

当センターで活動してくださったボランティアは口々に「街に障がい者がいないことに驚いた」と言った。そして過日、私自身も関西を行脚した時、そこで分かったことが一つあった。福祉が遅れているのではなく、遅れさせてしまったのである。つまり、我々障がい当事者が、もっともっと発言しなければならない、ということである。

再三言われてきたことであるが、これまでの自省もしつつ、当事者自らが声を上げ、生活をつくっていく、という当事者運動の原点に立ち返り、「復興」を目指していきたい。

8か月が経った今、ようやく地元住民が震災のことを振り返りつつある。センターみやぎとしても、今後に向け、活動データや提言のためのアンケートを集計中だ。我々が地震や津波から逃げられず、支援から漏れ続けていた状況を明確にしていくとともに、当事者の手による復興に向け歩んでいきたい。

「我ら自身の声」を持って。

(おいかわとも 被災地障がい者センターみやぎ)