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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年2月号

時代を読む28

点字投票の実現を目指して

明治23(1890)年、第1回の帝国議会が召集された。明治憲法下における近代立憲国家がここに歩み始めたのである。しかし、その際の議員を選んだ選挙有権者の資格は、直接国税15円以上を収めた25歳以上の男性に限られており、その数は総人口の1.1%に過ぎなかった。

時は下って大正デモクラシーと言われる時代を迎えると、商工業者や農民など、一般労働階級の人々が目覚めて、社会運動に立ち上がり、同時に、すべての制限を取り払った普通選挙の実現を求める運動を始めた。また市川房枝や平塚雷鳥らに指導された婦人たちが、女性の選挙権獲得運動を展開するようになっていた。その普通選挙実現を機に、点字投票も有効にしたいという視覚障害者が現れたのである。

この運動に最も熱心だったのは愛知県在住の失明者たちだった。大正12(1923)年12月に、長崎照義らを中心とするリーダーたちによって、「点字投票規制連盟」が組織されたのである。この連盟の呼びかけによって、翌大正13年1月には、全国から2千名に余る失明者が名古屋に集合して「全国盲人大会」を開催し、点字投票の有効性を世に訴えた。この大会において「我らは盲人、点字投票有効の実現を期す」との宣言決議文を採択し、これを発表するとともに、その大会の名をもって、点字投票有効のための請願書を貴衆両院へ提出したのであった。そればかりでなく、名古屋に滞在中の尾崎行雄を旅館に訪ね、点字投票について直接訴えたというエピソードも残っている。

さらに、この規制連盟から全国各地の視覚障害者団体に対して、次の4項目にわたる勧告状を発している。

(1)内務大臣宛、点字投票有効に関する請願書を提出すること

(2)点字投票有効運動のための団体を各県に組織すること

(3)各県下の貴衆両院議員を訪問して、点字投票に対する理解を求めること

(4)県下各地で行われる政談演説会に失明弁士を出演させ、点字投票に関して民衆にも訴えること

このような運動が実って大正14(1925)年、第50回帝国議会において、普通選挙法の成立と共に婦人参政権に先立って点字投票は認められたのであった。

実際に衆議院選挙で点字投票が行われたのは、昭和3(1928)年のことであった。

(阿佐博 日本点字委員会顧問)