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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年2月号

障害女性が抱える困難を集めて
~「障害のある女性の生きにくさに関する調査」から~

佐々木貞子

1 はじめに

『DPI女性障害者ネットワーク』は、国内の女性障害者の緩やかなネットワーク組織として、障害女性の自立促進と優生保護法の撤廃を目指し、1986年に発足した。優生保護法が優生条項を削除し母体保護法となった1996年以降、一時活動を休止していたが、2007年DPI世界会議韓国大会で障害女性の世界的連帯が求められたことをきっかけに、活動を再開した。

現在、障害女性を中心に、障害種別や障害の有無、子どもがいる・いない、結婚する・しない、性的指向など、異なる属性・多様な生き方をしているメンバーが集まり、障害女性に関する法律や制度、施策のあり方をめぐる、国内外のさまざまな課題に取り組んでいる。

また、女性同士心おきなく語り合う「しゃべり場」の開催や、障害への理解啓発にも力を入れ、東日本大震災直後「あなたの避難所にこんな方がいたら」というリーフレットを作成。障害のある被災者、特に障害女性への支援について提案し、HPで公開し注目を浴びた。

さて、私たちは障がい者制度改革推進会議で検討される今後の法制度に、障害のある女性の施策が盛り込まれるよう意見具申する等々、働きかけを行ってきた。その成果があってか、障害者基本法への第二次意見で、障害のある女性の複合差別について言及があり、女性の項が盛り込まれた。しかし結局、成立した改正基本法では、性別の文字がわずか3か所に記されるのみであった。

2 複合差別調査の経緯と概要

現在の社会の中に障害者差別は存在し、女性への差別も根強く現存している。障害があり女性であることは、重複した差別を受けることであり、問題は錯綜し、解決も容易ではない。このような状況を、私たちは複合差別と呼び、障害女性の被る困難の根本的な原因ととらえている。

ところが、障害女性の複合差別について社会的認識は低い。国は「障害者」という集団をひとくくりにし、「性のある存在」として対応してこなかった。それは、公的な障害者統計に男女別の集計がほとんどないことからも分かる。

また、障害者運動も、女性固有の困難やニーズに焦点を当てたものは少なく、私たちが抱える問題は気づかれずに放置されてきたと言わざるを得ない。「公表されている事例は?」「数は?割合は?」官庁や議員、マスコミに障害女性の問題を語る時、しばしば返ってくる問いだ。基礎的データがなく、事例は個人のプライバシーに触れることで、容易には明かせず、答えにくい。私たちは自分の体験や伝聞をつなぎ合わせて説明するほかなかった。

そんなもどかしさの中、障害女性の困難を可視化しようと自分たち自身で調査を行うことになった。複合差別調査は、Aチーム(障害女性の経験を集め分析する)とBチーム(国・公共団体の制度・政策の調査研究)の二つのチームに分かれ、開始された。本稿では、Aチームが行った「障害のある女性の生きにくさに関する調査」について報告する。

この調査は、障害や病気があり、女性であるために生きにくい、暮らしづらいと感じた経験を集めるもので、調査票による回答は、2011年6月から9月末までで75人。並行して対面での聞き取りを1都4県で実施、16人の方々が答えてくれた。調査票・対面ともに応じてくれた女性もあり、90人近い障害女性の声が集まった。障害種別、年齢、居住地域はグラフの通りである。現在、4月発行予定の報告書作成に向けて分析の途上であり、本稿はその中間報告ととらえていただきたい。

グラフ1 回答者の年齢
円グラフ 回答者の年齢 拡大図・テキスト

グラフ2 障害種別
棒グラフ 障害種別 拡大図・テキスト

グラフ3 回答者の現在の居住地域
棒グラフ 回答者の現在の居住地域 拡大図・テキスト

さて、大枠ではあるが、寄せられた障害女性の声をご紹介しよう。

3 障害女性の声から

1.性的被害

直接的な性暴力や性的虐待、本人が望まない性的行為、脅かしなどの性的被害は、実に回答者の3分の1以上の女性が経験していた。

性的被害は女性全体の問題で、また男性も被害者になるが、障害女性は、障害のため自由に動くことができず、身を護(まも)りにくい上、さらに複雑な要素が絡み合う。たとえば視覚障害女性は、相手の顔が見えにくいため、加害者の特定が困難となる。「タクシーの運転手にホテルへ連れて行かれそうになった」「数人の男性に囲まれて車に押し込まれそうになった」等、恐怖の体験が寄せられている。

また、障害種別にかかわらず、介助時、必要以上の身体接触が不快と訴える声が多かった。介助方法の無知か、それを装う痴漢的行為か、判断しにくいことも多いのだ。障害女性にとって拒絶したり、不快感を訴えられない場合も多い。「~してもらっている」という引け目や、「不利益な介助をされないか」という不安が付きまとうのだ。

思わぬ危険は、街で出会う見知らぬ人ばかりではなく、職場、家族、福祉・医療の現場など、障害女性の身近に存在する。同居の義弟に襲われ、おびえながらも、妹の家庭を壊してしまうと、事実を言えない人がいる。家族に保護される暮らしから逃れたいが反対されるという。職場でたった一人の女性そして障害者、しかも派遣社員という不安定な立場の中で、上司から受けた被害を裁判に訴えた女性もいる。

性にまつわる体験は言葉に出しにくい。被害者であるにもかかわらず、何か落ち度があったのかと自分を責め、ともすれば打ち明けた家族にさえ非難される。相談員も、女性の立場に寄り添うとは限らず、話すことでさらに傷つけられる。

2.性のない存在と見なされて

異性介助が常態化している場は少なくない。ある筋ジストロフィー病棟に暮らす女性は、「物のように扱われているようだ。そのことに次第にマヒしそうな自分は、さらに辛い」と語った。

学校現場でも「女子生徒の排泄介助が男性教員により行われている」という声も複数あった。「盲学校の修学旅行で男女同室で仕切りもないまま、宿泊させられた」という事例もあった。これは40年前のことだが、当時でさえ健常児の学校で同様のことは起こりえない。

車いす用トイレが男性側にしかない場合がしばしば見られることも指摘されている。「以前ならともかく、今もあることにショックを受けました」と書かれていた。「障害に男女の視点が入らないこと、配慮されないこと、そのこと自体が差別だ」という文字に深くうなづく。

障害者を無性と扱う象徴的な事象は、優生手術だ。優生思想に基づいて、障害を子孫に伝える可能性があるとみなされた人を、妊娠できないようにするため行われてきた。ある女性は、自身に行われた手術への謝罪を、長く国に求め続けている。他の聞き取りの中でも、「以前は結構行われていたらしい」と語る人が複数いた。

また、婦人科に受診した女性は医師から「子宮を取れば治る」と、妊娠・出産は想定外のように言われ、「私は赤ちゃんが産みたいです」と答えたところ、とても驚かれたという。

3.労働・経済的な不利

就職面接で「うちは本当なら障害者は要らないんだよ。まだ男性で見た目に分からん障害やったらエエねんけどな~」と言われた人がいた。「障害女性だから無理して働く必要がないのでは?」と言われることも多い。妊娠・出産を機に、職場での働き方の変更を求められたという回答も複数寄せられた。

また、交通事故に遭い障害を負って、男性より低い賠償金しか得られなかったという若い女性もいた。逸失利益の計算は男女別に平均賃金で計算されるためだという。「障害をもつ女性は経済的自立を前提とした自己実現が難しいのでしょうか?」という言葉は重い。

4.女性観や家族をめぐる生きにくさ

「子どもの頃から女性として扱われていないと感じる」「障害をもってから、周囲に女性として期待されなくなった」「女性として劣ってしまったような感覚がある」「家族構成を聞かれた時、何も答えないうちから、両親と同居?と言われた。実際は、夫と子どもという構成なのに」「出産後、里帰りした時、近隣の人から『女の子でよかったね。将来世話してもらえる。あんたのお母さんも助かる。面倒見てもらうために産んだんでしょ』」等々、従来の価値観のものさしによって、過小評価されてしまう障害女性の痛みが多く寄せられた。

性別役割分業は障害があろうと付きまとう。うつ病の女性は「家事をやらなくてはいけないということは分かっていても『できない』のです。決して怠けているという訳ではないのです」と書いている。ある女性は「夫が家事育児をすると必要以上に褒められる。私はやって当たり前、できないとすべて障害のせいにされる」と語った。

また、現在の介助制度の不備についての指摘もあった。知的障害の女性は、夫も障害がある。家事のサービス量が減らされ困っていたが、福祉関係者から「あなたがやれば」と言われたそうだ。

ある肢体不自由の女性は子どもがほしかったが、パートナーも重度で踏み切れなかった。「解決策はあるでしょうか?」という問いに「子育ての介助が保障されること」と答えてくれた。

4 まとめに換(か)えて

調査の中で、数多くの障害女性の人生に触れさせていただいたことに感謝している。困難の中、前向きに主体的に生きようとする姿に、しばしば励まされた。

私たちは保護を求めているわけではない。束縛と引き換えの、家父長的な保護などだれも望んではいない。人が本来持っている力を削ぎ、無力化し、おとしめられる原因を分析し、改善の方策を思考したいのだ。障害者差別に比べ、女性差別は見えにくい。男性ばかりか、女性自身気づかないことが多いのではないだろうか?

障害女性の苦悩は、裏返せば障害男性の困難を照らし出す。さらに障害の有無にかかわらず、社会全体が抱える生きにくさをひも解く鍵になるのではないだろうか?たとえば、従来の画一的な価値観は、すべての人の生き方を縛り、自分らしさを否定しかねない。

この調査で、障害女性が負っている問題をどれほど明らかにできたかは分からないが、原因の一つとして、社会の根底に根付いている優生思想があり、医療技術の進歩によって助長されていると感じている。回答票の中に「妊娠して、障害児を産むのではないか?育てられるのか?といった理由で、医者と母親から堕胎を勧められた」「高齢出産だからと出生前診断を勧められた。自分も障害者なのに、障害児を産まないように言われることは、子どもの存在はもちろんのこと、自分の存在も否定されたように感じた」とあった。

ある女性が言った。「人と違うことを恐れず、安心して、そこにありたい」と。そのような社会を目指して、今後とも努力を続けていきたい。

(ささきさだこ DPI女性障害者ネットワーク)