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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年3月号

時代を読む29

1965年 精神衛生法改正

わが国の精神保健医療福祉の制度・政策や具体的サービス、その供給体制や展開方法は大きく変化してきた。精神疾患・精神障害を巡る課題は、今や国民的マターであり、10年先には飛躍的な変化が想像できる転換期にある。

その一方で、先進諸外国と比較して、10年単位で遅れを取ってきた歴史的事実も否定しがたい。1965(昭和40)年の精神衛生法改正も、その要因の一つに数えて差し支えないであろう。

今からおよそ半世紀前の当時、1950年に制定された精神衛生法の全面的改正に向けて、日本精神病院協会(当時)や日本精神神経学会をはじめとした関連団体は積極的な議論を展開していた。向精神病薬の開発や新たな治療法への取り組みが進展する中、精神疾患に係る発生の予防、治療、社会復帰までの総合的な内容を取り込んだ改正への準備が進められていた。

そのような矢先、事態を一変させる事件が起こった。いわゆる「ライシャワー事件」である。1964年3月24日、米国駐日大使ライシャワー氏が、19歳の日本人青年に右大腿部を刺され重傷を負った。青年には、精神科治療歴があった。60年安保の問題も収束し、日米協調体制の強化が重要課題という背景の中、親日家大使が刺傷されたこの事件は、時の政府に衝撃を与えたことはいうまでもない。また、国民の精神障害者に対する眼差しにも大きな影を落とすことになった。

事件は「精神障害者野放し論」に火をつけ、折しも国会会期中でもあったため、精神衛生法改正をめぐり紆余曲折の議論が展開された。その中心には「個人(精神障害者)の人権より、多数(一般市民)の人権を考える」といった社会防衛・治安的色彩を強く帯びた論調があった。現実には、警察庁から厚生省(当時)に改正の要望が提出される等、政治的対応として、緊急的な一部改正も検討された。

実際には、1965年6月30日、改正精神衛生法が公布、施行された。保健所による在宅精神障害者への訪問指導等の強化や精神衛生センターの設置、また通院医療費公費負担制度が新設された一方、警察官等による通報・届出制度の強化、緊急措置入院制度が設けられる等の改正となり、精神衛生審議会による答申を十分に反映したものではなく、入院治療に偏った内容にとどまったことは否定できない。

現在において、過去の事実を消去することは不可能であるが、未来を実りあるものに創造することは可能である。

(中村和彦 北星学園大学社会福祉学部)