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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年7月号

フォーラム2012

国際セミナー「アメリカから日本へ、そして今、アジアの国々へ~障害分野における人材育成のあり方から考える~」の報告

千葉優子

去る5月25日、港区赤坂にある日本財団ビル大会議室において国際セミナー「アメリカから日本へ、そして今、アジアの国々へ~障害分野における人材育成のあり方から考える~」が開催された。このセミナーは、在東京米国大使館および公益財団法人ダスキン愛の輪基金の助成と公益財団法人日本財団の協力を得て本協会が実施したものである。本協会は研修課を中心として、過去10年以上にわたり障害分野における国内外の人材育成に関わってきた。当日は、200人に及ぶ参加者が日本全国、そして海外から足を運んでくださった。この場を借りてセミナーに参加してくださった方々にお礼を申し上げるとともに、当日の様子について報告したい。

当日は、開会宣言に続いて、来賓である米国大使館のカート・トン首席公使と元郵政大臣の八代英太氏の祝辞から始まり、中西由起子氏の司会によってセミナーが始まった。

最初に米国のラーニー・パトリック氏が基調講演を行った。パトリック氏は現在、シカゴのアクセス・リビングにおいてリーダーシップ研修のトレーナーを務めている。アクセス・リビングは1980年に設立された障害者団体で、前記研修のほか、ピア・サポートやアドボカシー、芸術イベント開催など広範囲にわたって活動を展開している。

基調講演のタイトルは、「2011年、現在の障害者リーダーシップについて考える」。パトリック氏は、幼少期よりリウマチと乾癬(慢性皮膚病)とともに生きてきた。イリノイ州で過ごした子ども時代には、両親の期待に応えられない苦悩を抱えたが、大学在学中に障害者の友人と学生組織を作ったことをきっかけに障害者運動に従事するようになった。その活動は時に反市民的行為とみなされ、これまで十数回に及ぶ逮捕も経験したが、信念を貫いて今に至る。パトリック氏は今日の障害者ニーズについて分析し、「障害者リーダーはできる限り協力し合って運動すべきである。そして、楽しみながら社会変革に取り組むべきである」と強調した。

続いて、米国国務省特別顧問のジュディ・ヒューマン氏が特別講演を行った。ヒューマン氏は世界中の障害者から「自立生活運動の母」と呼ばれている。1947年にニューヨークの肉屋の家に生まれたヒューマン氏は1歳半の時にポリオに罹り、その後遺症ゆえに小学校から入学を拒否され、10歳まで学校に通うことができなかった。教育を受けるために、そして世間の多くの人々が当たり前に送っている社会生活を手にするために、ヒューマン氏は自分で道を開拓する必要があった。もちろん当時はリーダー育成プログラムなどなく、ヒューマン氏をはじめとするアメリカの若い障害者たちは自分でリーダーになるしかなかった。そうして仲間を作り、自立生活運動を起こした。車いすの若者たちがニューヨークの交差点をハイジャックした時のこと、そして、リハビリテーション法504の履行を求めてサンフランシスコ市庁舎を取り囲んだ時のことなど、ヒューマン氏のエキサイティングなライフ・ストーリーを聞いていると、当時のアメリカにタイムスリップしたような感覚になった。

タイトルにもあるとおり、この国際セミナーの目的は国際的な人材育成について考えることである。午前中の事例報告では、2つの財団による日本人障害者支援事業について紹介された。

まず、ダスキン愛の輪基金の谷合文廣氏が同財団について説明し、その派遣プログラムに参加した熊本県会議員の平野みどり氏がアメリカ留学の経験を語った。次に、日本財団の石井靖乃氏と同財団の奨学金プログラムでアメリカに留学した岡田孝和氏(日本社会事業大学)が登壇し、日本人障害者が海外で学ぶ意義について語った。平野氏・岡田氏ともに、海外研修の経験を活かして現在すばらしい活躍をされている。

午後の第2部では、アジアの国々―パキスタン、モンゴル、台湾、そして日本―の若者によるパネルディスカッションが行われた。立命館大学の長瀬修教授のファシリテートのもと、これからの障害者運動を担っていく次世代リーダーたちが発表を行った。海外から来た3人は、ダスキン・アジア太平洋障害者リーダーシップ育成事業の卒業生である。

パキスタンのシャフィク・ウル・ラフマン氏は、研修終了後の2002年に南アジアで初となる自立生活センター(CIL)を立ち上げ、現在はその親団体の障害者団体マイルストーンの代表であると同時に、パンジャブ地方政府のアドバイザーも務めている。

次に、モンゴルの首都ウランバートル出身のオンダラフバヤール・チョロンダワ氏は、大学在学中にアルバイトで事故に遭い脊髄損傷の障害をもった。当初は事実を受け入れることができず目標を見失っていたが、2007年に来日して研修を受けているうちに、モンゴル初の自立生活センター設立を志すようになった。2010年にその目標を達成し、自立生活の概念をモンゴルにもたらした。

台湾のリン・チュン・チェ氏は、台北新活力自立生活センターの事務局長である。骨形成不全のため、生まれたときから障害をもっていた。ほとんど学校へ行くことができず、友達と遊んだ記憶もない。教育熱心な両親に育てられて大学を卒業したが、もし両親がいなくなったらどうやって生きていけばよいのか、当時は全く分からなかったという。

しかし、2005年に日本で一人暮らしを体験したことが大きな転機となった。介助者を使っての生活を通して「一人で何でもやることが自立生活ではない」ことを学んだ。障害者運動においても、一人では何もできなくても仲間と一緒に活動すれば社会を変えることができる。10か月の研修中には、土砂降りのなか合羽を着てみんなでデモに行ったこともあったが、そういった経験が現在の活動につながっている、とリンさんは語った。帰国してからの活動が実り、試験的にではあるが、ようやく台湾で介助制度が導入されるようになったことも報告された。「ここまで6年かかったが、これからも絶対にあきらめない」と強い決意を語った。

八王子のヒューマンケア協会の事務局次長を務める光岡芳宏氏は、14歳の時に脊髄手術を受けたあと歩けなくなった。その直後から2年間、リハビリ漬けの毎日を過ごした。思春期の多感な時期に病院という閉鎖空間で過ごす毎日は苦痛そのものであったが、医者には「障害者は周りに迷惑になるから頑張らなければならない」と言われ、自分を否定されたような気分を味わう。その後、普通学校に復学し、大学院では社会福祉を専攻したが、講義で聞く福祉・障害者支援のコンセプトと自分の考えにはギャップがあった。

2005年にダスキンリーダー育成海外研修派遣事業に参加し、渡米。そこで「障害」の新しい概念―すなわち、障害があっても人は尊敬されるべきであり、また障害者であるからこそできることがある―に出合った。

一方、自立生活夢宙センターの内村恵美氏は、大阪を拠点に活動しながらアジア近隣諸国の障害者リーダーらとネットワークを築いている。内村氏はシャルコー・マリー・トゥース病という障害をもっており、小さい頃から家に引きこもりがちであった。同じような障害のある仲間と出会って元気になったが、初めは「運動することの意義」が分からなかったという。しかし、タイの田舎に住む障害者の状況を見て、障害者運動の必要性を理解した。その後は、センターの活動に積極的に取り組みながら、アジアの障害者支援にも関わっている。現在は被災地の障害者支援も積極的に行っている。

各パネリスト発表後のディスカッションでは、来場者からの質問やコメントを反映して討論が行われた。その中には日本とアジア諸国の格差の指摘もあり、国際協力に伴う課題についても触れられた。実際に、登壇した障害者リーダーたちは、国籍はもちろんのこと、言葉や文化、性別、障害も異なっている。しかし、彼らはリーダーとしての自覚と目的を共有しており、物理的距離を超えて協力し合っている、その様子がよく伝わってきた。

ヒューマン氏は、国際的な人材育成研修の真髄は「同志に出会うこと」にあると語った。研修そのものは数か月という期間である場合がほとんどだが、その効果は、時空間を超えて拡大・深化していくものであると気付いた。そして、一人では不可能でも仲間と一緒にならできる、これは、国レベルにおいても言えることであると思う。

アメリカ・日本・そしてアジアの国々へ、これからの障害者運動は今後いっそう国際的な広がりと強固なつながりを持って取り組むことが必要であろう。

(ちばゆうこ 日本障害者リハビリテーション協会研修課)