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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年2月号

障害者観の革命
―バリバラ“障害者情報バラエティー”の目指すもの―

玉木幸則

みなさん。毎週金曜日20時、NHKEテレ「バリバラ~障害者情報バラエティー~」という番組を知ってますか。この番組のコメンテーターをやっている玉木です。今日は、この番組の誕生秘話やこれからのことについて、ぼくの目線でお伝えしようと思っています。

この番組の前身で「きらっといきる」(1999年~2012年)という番組がありました。実は、2003年にぼくも、「きらっといきる」にゲストとして出してもらったことがあるんです。そして、その番組の最後で、「あなたの夢は、何ですか」というコーナーがあったんです。まあ、30歳も半ばを迎えてたぼくに思いつく夢なんてたいしたものもなく、ついつい口から出てしまったことは、「ぼくの夢は、きらっといきるのような番組がなくなっていくことです」なんて言うてしもたんです。

簡単にまとめると、インクルーシブな社会が来ると障害者の普通の暮らしに特化した番組も必要なくなるということなのですがね。また、NHKもやめときゃいいのに、それをそのまま流してしまったらしくて…。(笑)まあ、この発言がきっかけにもなり、プロデューサーから「あんたの手できらっといきるなくしてもらってええんやで」とまで言われて、きらっといきるの司会を引き受けることになってしまったのです。

しかし、いざ司会を引き受けたものの、なくせばいいと言われても、どうしていいのかもわからずに、1年間はこれまでのきらっとを踏襲?するような形ですすんでいきました。その中でも、ぼくが感じたことやがんばってる感だけが目立たないようにやっていたつもりです。そして、1年の終わりの反省会(飲み会)でディレクターからの不満が噴出したのです。玉木が言うようながんばった感を出さないってどういうことだ。がんばってることを見せて何が悪いというようなことです。

こればっかりは感覚的なものですから、うまいことは説明もできませんでした。それでも、昨年までぼくが勤めていた自立生活センターメインストリーム協会で、日頃から話してるアホなことやエンターテーメント的なことを話しているうちに、MCである山本シュウさんが、それってバラエティーやなぁと言いはじめたのです。それを受けてプロデューサーが、じゃあバラエティーしますかと言って、「きらっといきる」の「バリバラ」が始まったのです。それから1か月半、恐ろしいスピードでバリバラが始まりました。NHKは、どこかおかしいかも…(笑)。

そして、2010年4月から「きらっといきる」の月一企画として始まったバリバラは、「バラエティーを通してバリアフリーを考える」をコンセプトとした、日本のテレビ史上初の障害者のバラエティー番組としてスタートしました。

内容は、メインストリームでぼくたちの仕事の一つとしてやっていた、介助者養成のための言語障害クイズが最強ヘルパー養成塾に、バリアフリーの活動がバリバラ珍百景に、と姿を変え、番組として成立し始めたのです。賛否両論はあったものの、障害者による障害者バラエティーが動き始めたのです。他のメディアも注目をし始めてくれています。そして、「きらっといきる」は、13年の歴史に幕を下ろしました。玉木がなくすと言ったからやと言う人もいますが、おそらく時代の流れやったと思います。

そもそも何でバリバラなのか

○○時間テレビなど、一般にテレビでは、「頑張っている障害者像」「障害を乗り越える障害者像」を取りあげがちです。それによって、「障害のある人はこうでなければならない」とか「こうであるはずや」といった勝手な思いこみを、障害のある人もない人もさせられてしまいます。

○○時間テレビにしろ学校の福祉学習にしろ人権学習にしろ、これまであまりにも、障害のある人に対する偏った見せ方をしてきています。それをちょっとずつでも、障害をもった人のありのままの姿に戻していきたい。そうすることによって、地域で普通に暮らすということを再確認するというか、「ああ、こういう人も地域に住んではるんや」ということを知ってもらうきっかけになったらええかなと思う。

ただ、微妙に難しいのは、バラエティーとかでやりすぎた場合に、障害のある人から怒られることがあります。なんで怒られるかというと、他人事で笑ってるからです。そのバラエティーやお笑いに障害のある当事者が切り込んだときに、本人が笑ってね、ということまで封印してしまえるかというと、それは無理なんですよね。障害のある人だからこそできるバラエティーやお笑いがあるんですよね。大げさかもしれないけど、ぼくは、障害のある人の職業選択の一つとして、芸人とか芸能界があっていいと思ってるんですよ。

障害者が自ら笑いをとるバラエティー番組「笑っていいかも」をNHKでやりましたが、それを見ていた、ときおり記憶をなくす高次脳機能障害の青年が「自分もやってみたい」ということで、次の「笑っていいかも」に出演したいと希望を持ち、翌年には、出演を果たすことができました。そのネタもむちゃくちゃおもしろかったです。

そういうのが、実は、大事やと思いますね。「あっ、やっていいんや」「ぼくもできるんや」と思ってもらえたんですよ。これまでの障害者支援というのは、限られた中で、「これをしようね」と、あてがいの人生だったのが、高次脳機能障害の青年が、記憶がとんでもこういう特技があんねんということで笑かしてくれる。それはOKなんであって、そのへんの微妙なニュアンスが伝わっていくことが大事やと思います。

その青年にとって、バリバラが自分の殻を破るきっかけになったと思います。そういうのが大事なんですよね。

確かに文句もいっぱい来るんです。それでも本質を見てもらったら、べつに悪いことをやってるつもりはありませんので、確かに意見は受け止めますけど、番組として謝罪するかというと、しません。ことあるごとに、こういう意図でやってるということを伝えていかないといけないと思います。わざわざその意図を言う必要がなくなったら、こっちのもんやと思います。

そして2012年4月、新番組「バリバラ~障害者情報バラエティー~」がスタートしました。これは、恋愛、仕事から、スポーツ、アートに至るまで、日常生活のあらゆるジャンルについて、障害者が「本当に必要な情報」を楽しくお届けする番組です。

モットーは「No Limits(限界無し)」。(ほんまかいな)これまでタブー視されていた障害者の性やお笑いのジャンルにも果敢に切り込みます。本音をとことんぶつけあい、一緒に笑って、一緒に考えて、本気でバリアフリーな社会を目指します!!っていうような番組です。いろいろな人が出てきて、深刻な話からバカげた話までいっぱいしますので、おもろいと思いますよ。もうすでに、中絶や出産、子育て、作業所の工賃など、これまでの「きらっといきる」とは違って、個人にフォーカスする作り方ではなく、テーマに基づくトークを展開する番組になっています。

前から見てくれた人の中にも、「きらっといきる」がよかったと言う人もいれば、「バリバラ」になっておもしろくなったと言ってくれる人さまざまです。ただ、これらの話を通じて感じることは、人が生きるということについて、まだまだ踏み入れて話をしてこなかったことが多いことに気づきました。

障害者が主人公のドキュメンタリー番組などでは、個人に焦点を絞って放送していました。そのやり方は、受け取られ方によっては、「障害があって気の毒に」とか「障害を乗り越えて頑張っている」といった、障害のない人が一般にもちがちな、型にはまった見方でとられかねませんし、そういった見方を助長することにもなりかねません。障害のある人の生活は、決して「気の毒」といった言葉だけで片付けられませんし、頑張っていない障害者もたくさんいます。

そういう見方をされないためにも、障害者がもっている問題を普遍化、一般化していく放送がいいとぼくは思っています。さらに、障害のある人の暮らしの困難さが社会の仕組みなどとどう関わっているのか、どうしてこの社会でそのような困難が起きているのか、ということが伝わる放送がいいと思います。

(たまきゆきのり 「バリバラ」コメンテーター)