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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年2月号

障害者プロレスラーとして

鶴園誠

鶴園誠(つるぞのまこと)、1977年生まれ。鹿児島県出身。先天性の脊髄に障害があり、胸から下が麻痺。5歳から手動車いすを利用。小さい頃は、病院や施設を転々とし、小学3年生の時に家族のもとでの生活が始まりました。小学校、中学校は共に特殊学級のある学校へ通い、高校は定時制へ通いました。

親から暴力を受けていた僕は何度か家出をしていましたが、17歳の時の家出で3か月と長い期間、外でホームレスと過ごしました。その時に褥そうができ、それを放置していたため、バイ菌が入って救急で運ばれました。それがきっかけで左足を切断しました。この時、9か月と長い入院になったので高校は辞めました。

20歳の時、職業訓練校へ通った後、オペレーターの仕事に就きましたが、半年後に経営難のため退職。すぐに就職活動をし、現在も勤めている自立生活センター・立川で、ピア・カウンセラーとして相談員を14年ほどやっています。格闘技はもちろんのこと、音楽鑑賞やギャンブル(パチンコ)も好きです。

障害者プロレス「ドッグレッグス」は、障害のある人同士が殴り合いの喧嘩(けんか)をしたことがきっかけとなり、その2人と代表の北島行徳さんが始めたものです。最初は5人しかお客さんが入らなかったそうですが、今では200~300人は観戦者がいます。試合は主に3分3ラウンドで行われ、打撃あり、寝技ありで、どちらかの選手がギブアップするか、レフリーストップや判定での勝敗が決まる総合格闘技に近いルールになっています。

階級は体重別ではなく、障害の程度によって分けられます。立位のとれる障害者はヘビー級、座位が保てる障害者がスーパーヘビー級、寝たきりに近い障害者がミラクルヘビー級、専用の拘束具を付け、座位を保てる障害者と同じ条件になって健常者、障害者関係なく試合をする無差別級と4つの階級があります。僕はスーパーヘビー級に属しています。

プロレス興行は年に2、3回程度行なっており、主に下北沢(世田谷区)にある北沢タウンホールで開催しています。

僕が障害者プロレス「ドッグレッグス」を知ったのは中学生の時です。担任の先生が「こんなのあるよ」って言ってくれたのが『無敵のハンディキャップ』という障害者プロレス「ドッグレッグス」の本でした。その時は「そんなことをしている障害者もいるのね」程度の思いでした。

そして、僕が大人になり自立生活センターで仕事を始めた頃、同じ仕事をしていた茅原康弘さんと出会いました。ある日、茅原さんから「プロレスに興味ある?」と聞かれ、「嫌いじゃないです」と答えたら「僕やっているけど、来てみる?」と誘われました。僕はよく分からなかったけれど、格闘技は好きだったので興味もあり、練習を見に行くことにしました。その時、中学時代に知ったあの本のことを思い出しました。

練習当日、茅原さんに連れられ、練習場へ向かいました。道中、茅原さんがノーシンパシーというリングネームで、選手として試合に出ているという話を聞きました。練習は団地の集会場で行われており、数名の選手の方々と代表の北島さん、スタッフの方がいました。僕は自己紹介を済ませ、練習風景をしばらく見てから、実際にスパーリングをさせてもらいました。練習終了間際に北島さんから「次の試合、出られるなら出場しなよ」と言われ、「そんな簡単に出られるの?」と思いながらも「出場して構わないならぜひ」と答え、プロレスデビューが決まりました。

デビュー戦は、ウルフファング・鶴園組対ナイスガイ・アームボム藤原のタッグマッチ(2人対2人で戦う)。リングに上がってみると、想像していたよりもたくさんのお客さんがいてびっくりしました。今、思うとかなり緊張していたのだと思います。当時の自分の動きを振り返ってみると、かなりぎこちない動きをしていたと今でもはっきり覚えています。

試合をしていると自分の行動によって、お客さんの声援だったり、罵声だったり、どよめきだったりと反応があって、そこに楽しさを感じました。今でも自分のパフォーマンス一つ一つにお客さんの反応があって、それを感じられることもプロレスをやり続けている楽しみの一つとなっています。その後もシングル戦、トーナメント戦、タイトルマッチなど試合をしてきました。

試合後の観戦に来られた方々からの感想が「次も楽しんでもらいたい」という気持ちにさせてくれます。今でも付き合いのある中学の時の担任も観戦に来て、「まさかあの本のプロレスを誠がやるようになるとは思っていなかった」とうれしそうに話してくれました。職場の自立センターの仲間も僕がプロレスをやることを応援してくれて、よく観戦もしてくれます。仕事柄、いろんな人とお話をする機会が多く、「プロレスをやっている」というのは話題づくりにもなったりして役に立っています。

「障害者が格闘技なんて危険なものをさせるべきではない」とか「障害者を見世物にして」みたいな批判的な意見を持たれる方もいます。「ドッグレッグス」では、自分が何者でもどんな状況でも自分がやりたいと思ったことを実行できる場になっています。それがたまたま、プロレスという形だったにすぎない。そんな突拍子もないものだったからこそ、さまざまな人に対して強いメッセージとして発信できたのだと思います。

僕はそんな障害者を同じ枠の中だけで見てしまう人に、障害があっても自分の好きなように生きていたいのだということを知ってもらいたい。そのことを伝えていける一員にもなっているのだという実感もプロレスをやっているやりがいの一つになっています。

障害者プロレスに出合って、大きく変わったことは「自信」というものが持てるようになったことです。小さい頃から「自分には障害があるし、何をやっても他人より勝るものなんて何一つない」と思いながら生きてきました。たぶん、そんなふうに僕が思っているとは誰も気付いていなかったと思います。普段の僕は、人に対する接し方がなれなれしかったり、横柄な態度をとったり、何でも自信があるように振る舞ってしまいがちなところがあったからです。

これまで何試合も強い選手たちと戦わせてもらってきました。試合を何度もしていくうちに「誰にも負けたくない」「一番でいたい」「これだけは自分が一番だ」と強く思うようになりました。興味のない人からみたら「プロレスに自信を持てても…」とくだらないと思われるかもしれませんが、一つも持っていなかった「自信」。その一つができたのです。0だったものが、1になるとそこから2にも3にも広がる可能性を感じました。

この「自信」を実感してから、いろんなことが本音で言えるようになってきたと思います。だから、人それぞれ、なんでも良いと思います。僕はたまたま「プロレス」というものだっただけですが、自分に一つでも自信が持てるものができるとその他のことまで楽しくなってきます。

僕も今年で36歳になり、体力も衰えてきているのを実感しています。これから先、できることならずっとやり続けていきたい気持ちもありますが、そういかない日がいつか来ると思います。その日が来るまでに、障害者プロレス「ドッグレッグス」をもっともっと多くの人に知ってもらい、ドッグレッグスが必要な人のために、ドッグレッグスがあり続けられるよう、僕は僕のできることをやっていきたいと考えています。

まだ、観戦に来られたことのない方はぜひ、見に来てください。楽しませる「自信」が障害者プロレス「ドッグレッグス」にはあります。


○障害者プロレス「ドッグレッグス」
http://doglegs.a.la9.jp/

第85回興行:3月16日(土)北沢タウンホール、全席指定3000円、18時試合開始。