音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

  

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年2月号

1000字提言

誰もが“生まれてきて良かった”と思える社会のために

竹内哲哉

8年前、私は息子を授かった。体重は650グラム、いわゆる“未熟児”=「超低出生体重児」だった。「超低出生体重児」は、現代の医療技術がなければ助からず、一命を取り留めたとしても、母胎で十分な発育をしていないため、さまざまな後遺症が残る子も少なくない。小学2年生になった息子は、何とか普通級には通えているものの弱視や運動発達遅滞、高機能自閉症といった“障害”がある。

こういった“障害”が残ることは容易に予想でき、将来、息子が苦労するであろうことも頭を過らなかった訳ではない。一方で、親が苦労するかもしれないということは、なぜか考えなかった。私自身が下肢麻痺のため車いすの生活を送り、ディレクターとして福祉番組をずっと制作してきたにもかかわらず、だ。もともと「どんな子でも育てる」と決意していた私たちは、ただただ「目の前の小さな命を救いたい」と願い、医療スタッフも全力を尽くしてくれた。

医療の進歩は時に難しい問題を生じさせることがある。新たに導入される予定の出生前検査がそれだ。これまで以上に簡便に胎児の障害の有無が分かる可能性が高いため、安易に“障害児の堕胎”が行われるのではないかと危惧されている。そのターゲットにされてしまっているのが「ダウン症候群」の人たち。当事者である彼らは、一連の議論や報道により「生まれてきて良かったのか」と本当に悩んでいる。

親の立場で考えれば、障害児を育てることは綺麗事では済まない。手もかかるし、お金も要る。障害のある人に対する偏見があることも否めない。また、当事者たちが生きていくには、それなりの困難も強いられる。経済的な問題や子どもの将来を考え、“堕胎”という選択をしなければならないことも致し方がないかもしれない。でも、親はもちろん障害児を十分に支援する体制や、彼らの特性を活かせる社会であれば、そうした選択を減らせるかもしれない。

ダウン症候群の場合、海外では「社交性に富んでいる」「世話好き」「音楽が好き」などの彼らの特性を活かし仕事をしている人も少なくない。アメリカの医師の調査によれば、「生まれてきて良かった」と答えたダウン症候群の当事者は90%に上る。

1年生の時、「宝物は?」という問いに「生まれてきたこと」と書いた息子。あの時の判断は間違ってなかったと思わせてくれた。その一方で、負わせなくても良い苦労をさせているのではないか、と思うこともある。いわゆる“普通ではない”状態を見るにつけ、将来のことも心配になる。ただ、その心配を現実にしてしまうかどうかは、私たちの責任だろう。息子がこれからも、そして誰もが“生まれてきて良かった”と思える社会にするために何をすべきか、自分自身に問いかけながら番組を作っていきたい。

(たけうちてつや NHKディレクター)