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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年1月号

証言3.11その時から私は

震災復興から共生・協働のまちづくりへ

細谷一

確定申告の提出が遅れていた私は、隣の大船渡市の税務署にいました。経験したことの無い長く凄まじい揺れは、私に「避難しろっ!」と警告していました。若い職員は「おさまったら続きをやりましょう」と。「何言ってるんですか、逃げましょう!」という私の言葉に怪訝(けげん)そうな顔。「先に逃げますから、必ず避難してくださいねっ」と言い残し、税務署を後にしました。

避難場所の目星は付いていました。いつもお世話になっている県立大船渡病院がすぐ近くの高台にあります。何が起きても自分にとって一番安心だと確信していたのです。ところが、車での移動は容易ではありませんでした。病院に向かうバイパスは渋滞の波でした。5分と掛からない距離なのですが、一向に動く様子もない状況に、頭の中では経験の無い津波への恐怖が巡っていました。

やっと病院の駐車場に着きホッとしていると、弟から電話で「家が地震で酷(ひど)い状況だ。親父もいる」「病院にいるなら動くな」と。私から母に電話してみると「家まで送ってあげる」という方に「大丈夫よ」と断るやりとりが聞こえる。「送ってもらえっ」と繰り返す私の声の途中で電話は通信不能に…。なす術もなく駐車場のフェンスに凭(もた)れ掛かっていると、辺りから「津波が来てるっ!」の声、ワンセグ放送からはどこかの街が波に飲まれる映像。間もなく眼下の街からもサイレンの声が…。

帰ることもできず、家族のその後の安否も確認できぬまま、災害シフトになっている病院内でただじっとしていました。通路のソファに腰掛けていると、昼間の税務署の方が通り掛かりました。「皆さん無事ですか?」「えぇ、みんなで走って避難しました」良かったぁ!

日付も変わる頃、救急車の搬送があり、隊員を見ると「陸前高田市消防」の文字。尋ねると市の西側からだと。道は大丈夫だっ!

看護師さんたちに止められながらも、救急車ゲートを無理に通してもらい、三陸縦貫道を使って尾根づたいに家に向かいました。地震で裂けた道路にハンドルを取られながらも、やっとの思いで集落公民館まで辿り着くと、そこから下のわが家までの道は瓦礫(がれき)の下でした。その瞬間「家族はもういない」頭の中は真っ白でした。

どれくらいその場でじっとしていたでしょう?私の車に気づいた車が合図していました。降りて行ってみると集落の区長さんでした。「家の人たちはみんな無事で、集落の一番上の家にいる」。折り返して上がって行くと、人混みの中にわが家の車もありました。家族の顔を確認できた時の安堵感は今でも忘れられません。

家は流失こそしなかったものの、修理できる状態ではありませんでした。しばらくは母の実家や公民館でお世話になっていましたが、大津波から3か月、市内の仮設住宅入居を待ちきれず、隣接する住田町の木造一戸建ての仮設に行くことにしました。何よりも、市内の悲惨な状況を毎日見ないで済むのが、私にとっては幸いでした。仮設入居後、間もなくわが家は解体されました。

一時的仮住まいでも心休まるのは、仮設団地の方たちや優しい地元地域の皆さん、そして住田町の手厚いサポートのおかげでした。しかし、この環境にいつまでも甘んじる訳にはいかないのも事実。自宅再建を考えながらも、まちの復興への思いも強くあります。

持病の悪化を理由に、震災の1年前に市の仕事を早期退職し療養生活を送っていましたが、自分の戻るべき故郷の復興に何かしらの形で関わりたいと、復興に関するさまざまな所へ可能な限り足を運びました。

戸羽市長は震災直後から「ノーマライゼーションという言葉のいらないまち」を標榜していました。また「世界に誇れる美しいまち」を創るとも。私もそのあり方に賛意し思いを巡らせていると、福祉関係の代表者から市の障害者福祉計画策定事業への参加要請をいただきました。多くの方とさまざまな意見をやりとりする中で、数えきれないほどの問題が表面化してきました。防災集団高台移転や高層階の災害公営住宅がハンディをもつ方や高齢者には、多くの負担が生じるであろうこと。かつてあった福祉関連施設が流失したために、情報交換や交流の場が失われ、自分たちへの関心が薄れていくことへの懸念。早急な復興を求めるさまざまな事業の影に、福祉行政が置き去りになってしまうのではないかという不安。

戸羽市長が標榜する理念とは裏腹に、その実現には多くの「障壁」があることは想像に難くありません。今般、陸前高田市において「障害者と防災について」をテーマにシンポジウムが開催されたことは、その理念を実現させるためにも大きな一歩です。しかし、市行政は復興予算執行期限の関係から、まずはハード面の整備を優先し、その後に活用のためのアイデアを出せと言います。そもそもの間違いはそこにあります。福祉施策や防災対策は、まずどのような運用や対策を講ずるかを十分議論し、その上で必要なハード面の整備を模索すべきです。復旧工事を急ぐあまり、十分な住民との協議もないまま進められる各事業は、必ずや将来に禍根を残すことでしょう。

障がい当事者だけではありません。多くの市民が市行政に疑問の声を投げかけています。私の参加するワークショップでは「共生社会の実現」をテーマに話し合いを続けていますが、障がい者ばかりではなく多くの市民が参加し、行政と手を取り合って行うべきであり、この非常時を乗り切るためには最も大切なことだと思います。

ノーマライゼーションも美しいまちも「市民と行政の協働」にかかっていると思います。

(ほそやはしめ 住田町応急仮設住宅中上団地自治会事務局)