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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年4月号

知り隊おしえ隊

描かれた「障がい者」
~絵本を中心に

桂律也

小さなころから読書好きでした。ジャンルは問いません。幼いころからマンガでさえも読書だと信じており、いまだにそう思っています。ですから、児童文学も絵本も私の中では読書の一環で、成人してからも普通に読み続けています。

今回のテーマの「障がい」が描かれている絵本をたくさん持っていますが、それに特化して「蒐集(しゅうしゅう)」しているわけではなく、これらは所有している絵本の一部にすぎません。そもそもは、車椅子SIGで車椅子の歴史に関するさまざまな資料を集めている中で、古い車椅子が古い絵本の中に描かれているのではないかと調べ始めたことが始まりで、今では車椅子関連で300冊以上、障がい全体では500冊近くの絵本があります。きっかけは、当時連載が開始された井上雄彦さんの漫画「リアル」だったか、福音館書店の「ハイジ」で復刻された19世紀の挿絵の「クララの車椅子」だったかよく覚えていません。

私の知る限りでは、「障がい」を描いた古い絵画的資料は、1862年にパリ郊外で発掘されたイオニア人の花瓶(紀元前500年ごろ)に描かれた棒義足の人の絵です。中国では、後漢時代の武氏祠画象石(ぶししがぞうせき)(推定147~168年)に刻まれている孝子伝の董永(とうえい)の絵です。董永が足の悪い父親を手作りの車に乗せて牽いている場面が描かれています。西洋絵画では、聖書のヨハネ福音書に見られる「盲人の治癒」の場面を描いた宗教画がいくつか存在します。ドゥッチョ作の絵(1308―11:ロンドン・ナショナル・ギャラリー)あたりが古いものだと思います。

日本では、病草紙(平安時代末期~鎌倉時代初期)にいくつかの障がいが描かれています。その後は、一遍聖絵、奈良絵本(車僧)、説教説(山椒大夫・小栗判官など)、など宗教的な要素を濃くしながら、やがて、能(土車など)から歌舞伎(箱根権現躄仇討など)など大衆演芸へと発展していきます。歌舞伎で車に乗っている人物は主役のヒーローで、歌舞伎演目を紹介する浮世絵にも舞台で使われた車が登場することもありました。

江戸時代後期には、銀座・日本橋界隈を「いざり車」で自立移動していた人が実在したと思われ、北斎漫画や熈代勝覧(きだいしょうらん)にその姿を見ることができます。もちろん、このような障がい者はごく一部で、国内外を問わず、中世から近代に障がい者がどのような社会的存在であったかについては、障害学を含むさまざまな学問的検討がなされていますので、ここで述べるつもりはありません。ただ、この時代、障がい者が街に繰り出すのが日常的な光景であったということをこれらの絵は示していると思います。

明治以降、終戦までの国内の絵画資料はほとんどありません。西洋医学が瞬く間に主流となり、それに伴い、義肢装具や車椅子なども輸入されるようになり、さらには国産のものが出始めたため、現存する医療機器輸入・製造・販売会社のカタログに、当時の製品の図譜を見ることができます。

前段が長くなりましたが、絵本は、海外では子ども向けに限らず、出版の一形態として19世紀中ごろから登場していました。国内では戦前から「コドモノクニ」や「講談社の絵本」など存在していましたが、戦後になってからの子ども向け絵本が主流だと思います。古い絵本については、障がい全般について探し求めているわけではないので何とも言えませんが、車椅子については、国内では、福音館書店の月刊絵本「こどものとも」昭和32年10月号(通巻19号)「きしゃはずんずんやってくる」に登場するアームクランク・チェーン駆動車椅子の少年が最も古いものだと思います。「ハイジ」は大正9年に初めて訳本が出版されています。戦前のものを確認できておりませんので、クララの車椅子の挿絵があったかどうか定かではありません。

「山椒大夫」や「耳なし芳一」など、視覚障がい者が登場する民話などの挿絵付きの本は古くからあったかもしれません。林不忘作の隻腕隻眼のヒーロー丹下左膳は、昭和2~3年にかけて大阪毎日新聞と東京日日新聞に連載されましたが、小田富弥の描いた挿絵も人気の一端を担っていたとされています。

「きしゃはずんずんやってくる」の先進性は特筆すべきものです。私の集めた海外の絵本で、最も古く車椅子が登場するのは、1966年の “Curious George Goes to the Hospital”(邦題:ひとまねこざるびょういんへいく)ですが、病院備品の車椅子に乗ってふざけるおさるのジョージが描かれているだけです。車椅子ユーザーの日常が描かれているものは1977年の “Rachel”(邦題:車いすのレイチェル)です。

「車いすのレイチェル」では、脊髄損傷の女の子の学校生活が生き生きと描かれているのに対し、日本の1970年代は1981年の国際障害者年に向けて、障がい者の人権、差別の廃絶、自立生活、社会参加などの運動が活発であり、絵本にもそれが反映された時代でした。なかでも、ヒ素ミルク事件の被害者でもある長谷川集平さんの「はせがわくんきらいや」(1976)と、脳性マヒで車椅子ユーザーである吉村敬子さんの「わたしいややねん」(1980)は、障がいのある作者による周囲からの差別や偏見への静かな怒りと、それに対して、声を出せないでいた自身に対するもどかしさや腹立たしさを描いています。吉村さんはその後も障がいを描き続け、「ななしのごんべさん」(2003)では、大空襲で逃げることもできずに死んでしまい、名前も分からなくなってしまった障がい児を描いています。

国際障害者年とそれに続く国連・障害者の十年、アメリカでのADAの成立などを受け、障がい者の社会参加が進んだ1980年代になると、障がいを個性として表現する絵本がたくさん出てきました。これらは、さまざまな障がいや障がい児に対する理解を深めるのに貢献したばかりではなく、誰にでも苦手なことがあることの理解を通じて、多くの子どもたちや子育てに悩む親たちに広く受け入れられていきました。なかでも先天性四肢欠損を描いた「さっちゃんのまほうのて」(1985)は「絵本ベスト100」のような企画では、今でも上位に入るほど広く読まれています。

このころから2000年ごろにかけての絵本には定番になっているものも多く、難聴児を描いた「ぼくのだいじなあおいふね」(1986)、ダウン症を描いた「わたしたちのトビアス」(1978)や「となりのしげちゃん」(1999)、自閉症を描いた「たっちゃんぼくがきらいなの」(1996)、学習障害(LD)を描いた「ありがとう、フォルカーせんせい」(2001)などが挙げられます。これらの絵本に共通する、障がいを個性やむしろ長所としてとらえようとする視点が最も顕著に示されているのは、「ありがとう、フォルカーせんせい」の中にある「おばあちゃん、わたしって みんなとちがう?」という主人公の問いに、祖母が応えて言う「もちろんだよ。でも、みんなとちがうってことは、一番すてきじゃないか」という言葉です。

2000年代になってくると、ICFを反映して、さまざまな社会的障壁が取り上げられるようになってきました。「わたしの足は車いす」(2004)「見えなくてもだいじょうぶ?」(2005)「わたしたち手で話します」(2006)の3冊は、社会的障壁を分かりやすく伝えています。目が見えないことや声が聞こえないことを体験しようとする「どんなかんじかなあ」(2005)では、体験を通じて友達を思いやる気持ちを伝えます。

最近では、高齢化社会を反映して、認知症や車椅子になった祖父母との関係や祖父母との死別を描く絵本も多くなってきました。たくさん出版されていますが、個人的に一番好きなのは、絵の美しさがもの悲しさを強調する「マールとおばあちゃん」(2013)です。

障がい者の社会参加が進んでくると、街や駅やデパートや学校など人が大勢集まる風景を描いた絵本の中に、当然、そこにいるであろう障がい者が描かれていることも当たり前になってきました。これらは、本編とは全く関係なく描かれていることも多く、それを見つけるのも私の楽しみの一つになっています。安野光雅さんの「旅の絵本シリーズ1~8」(1977~2013)には、すべて車椅子のご婦人が描かれています。

「きずついたつばさをなおすには」(2008)では、都会の雑踏で傷つき道路に横たわる鳥に、一人の男の子以外は誰も気づかずに通り過ぎるのですが、この通り過ぎていく群衆の中に車椅子の人が描かれています。その他大勢の一員として車椅子の人が描かれていることは、当たり前なのですが、初めて見た時には感慨深かったことを覚えています。

このように、障がい者と社会の関係性の変化とともに、描かれる障がい児・者も変化してきました。2020年の東京パラリンピックの時には、このような絵本を読んで育った世代が中高生から青年層となり、世界にお約束した「おもてなし」の主役となります。パラリンピアンだけではなく、応援する障がい者も含めてたくさんの人がやってきます。ご紹介した絵本のいくつかが何かのプラスとなれば幸いです。「あきらとジョニーのめざせパラリンピック」(2012)をご紹介して、拙文を終わりとします。

車椅子SIGでは、絵本以外にも古い車椅子に関する情報を集めています。古い車椅子の情報をご存知の方、あるいは情報をお求めの方はご連絡ください。

(かつらりつや 社会医療法人社団三草会クラーク病院リハビリテーションセンター長)