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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年6月号

文学やアートにおける日本の文化史

ヒルコは生き残った。

猿渡達明

本誌編集委員の花田春兆先生から、今回のテーマを頂いた。正直、大変大きなテーマで荷が重いと思った。そこで、先生はすかさずご自身が約20年ほど前に作られたビデオ「ゑびす曼陀羅~日本障害者文化史絵巻」(現在はDVD)を私に渡された。

ビデオは冒頭から、

「天地(あめつち)の 分かれし始め
流れ寄る 葦船の中
いと小さき 命は育つ
足萎えの 神のエビスよ」

と私たちにとってはなじみの薄い詩から始まるものの、それが障害者の遠い歴史、いや、歴史のさらに前の神話の話だということを理解すると、少し興味がわいてきた。

日本の国のかたちが出来上がっていく神話(古事記)の冒頭に、見落とされがちな大事なところを花田先生は取り上げられ、「日本のアダムとイブにあたる、イザナギノミコトとイザナミノミコトの間に、最初に生まれたのが実は障害児だったのです」「現代風に解釈すると、未熟児による重度脳性マヒともとれ、3歳になっても歩くどころか、体はグニャグニャで、田んぼなど水の中をヒラヒラ泳いで、動物の血を吸うヒル(蛭)に似ているので、ヒルコと名付けられました。

新しい国造りに忙しい両親に見捨てられ葦舟に乗せて海に流され、歴史から消されてしまいます。そのヒルコが、民衆の信仰の中に蘇るのです。福の神のエビス様がそれです。

葦舟は海岸に流れ着いてヒルコはそこで、漁業の神のエビスになるのです。蛭子をエビスと読ませる例があるのがその証拠です。」

との説明をされていたのだ。

つまりは、歴史から消されたかのように見えたヒルコは、エビスとして庶民の伝承の中に蘇った、ということをこのビデオを通じて先生は伝えたかったと思う。

現代風に言えば、「地域の中にしっかり登場した」という言い方かもしれない。

そしてこのビデオの最後には、

「エビスになる可能性は、誰にでもあるかもしれませんし、エビスにする力も誰にでもあるかもしれないのです。

大宇宙の 中の地球は
銀河行く 小さき葦舟
福の神 エビスを生むは
人々の 心ひとつよ」

と21世紀を目前にした当時の高らかな思いと理想を込めたメッセージでビデオは終わっている。

それから20年。先生のエビスに託した気持ちがどれほど社会に伝わったのだろうか…。

21世紀に入っても、残念ながら問題は山積みのままだ。最近は、生きることが脅かされているような気がする。生活保護の改悪、秘密保護法、戦争に向かっている気もする。原発問題。消費税も福祉目的税としてあったはずが…。

本誌本年2月号特集の高齢障害者の問題もある。自立支援法第7条の介護保険優先適用問題が、また新たに浮上している。障害のある私たちは、年齢によって法律も制度も変わり、いきなり障害者から高齢者になってしまう。

さて、そうした重苦しい思いを抱きながら、春兆先生のビデオをもう一度繰り返して見る。何か今後へのヒントが掴(つか)めるかもしれないからだ。ビデオには中世、江戸、明治を過ぎて、昭和の時代がある。

「戦雲が世界を覆った。銃をとれぬ者、つくれぬものは非国民と罵られて人間扱いを受けられなかった」という障害者に悲惨な戦争を経て、

「乏しさは なお尾を引けど
民主化の 嵐活き活き
福祉法 また雇用法
勝ち取りし ものの尊さ」

に始まる戦後の障害者運動へと続く。車いすに乗っての主張の絵だ。

私たちの運動もある意味で、その先に位置するものだろう。そういう歴史を私も先輩方々から伺ってきた。

ところが今、制度が整いつつあるなかで、欠陥はあるにしても、その欠陥が見えにくくなってきたことで、当時のハングリー精神が薄れてきたと思うのだ。

自立生活をするにも昔は、制度の未整備、差別や偏見、バリアの数々がある中で、金銭面も生活保護や全身性障害者介護人派遣や自薦ヘルパーで、あるいは、ピアカウンセリングや自立生活プログラムで、制度の勉強をしたり、行政交渉の仕方をプログラムで学んだりして、自立生活運動をしながら自立をしていった。自分たちで地域にビラをまいたり、学校に行って話をしたりして情報を集めてきた。それが今は、家族や本人が介助を使いたいと行政に相談に行き、事業所に介助をお願いするという流れに変わってきた。「介助を受けて生活できればいい」という感じになった。介助者と生活のために闘う「運命共同体」という原点を歴史に学ぶ時かもしれない。

「炉端は情報の集散場所。火吹き男、ひょっとこも炉の番人。歩けない神、案山子(=くえびこ)も情報をたっぷり。

人々の 寄り合う炉べは
情報の 集まるところ
語り部の 足は行かねど
(あま)が下 すべてを知れり」

ビデオには、こんな一節も登場して驚いた。私がもと通っていた相模原市にある地域活動支援センターの名前が「くえびこ」だったからだ。くえびこは、もとは、脳性マヒ者地域作業所。1982年の開設者は、今は福島県郡山市の自立生活センターオフィスILで活動されている白石清春さんだ。その白石さんからも、古事記に出てくる「くえびこ」のお話を教えていただくことができた。

大国主(おおくにぬし)の元に海の向こうから小さな神がやってきた。くえびこにその小さな神の名を聞こうと思うが、くえびこは歩けない。大国主がくえびこのもとに行って教わる。くえびこは「山田のそほど(案山子の古名)」だった。

昔から案山子は、一本足で田畑にいる鳥から農作物を守る役割をしていたという。

昔は障碍をもつ人々も炉端で大切な火を守る仕事や、案山子のように畑に群がる鳥を追い立てて村のために役立っていたと伝えられている。そしてそうした役割を持つことで、ビデオにある「足は行かねど」いろいろな情報を手にし、語り部になっったり、頼られたりしたのだと思う。

そしてまた、先ほどの高齢障害者問題にも、囲炉裏や案山子など高齢者にも身近な共通の話題として、お互いの真の理解のために使えるのではないだろうか。

ちなみに地域作業所「くえびこ」は現在、帽子マグネット、手漉きハガキなどを作り販売。パソコンによる書類作り、地域の清掃活動、「いどばたニュース」の配布活動、制度やサービスを知るための学習会なども行なっている。地域の公民館のお祭りやケア付き住宅シャロームの周辺で、地区社協の行事、ふれあい交流会を行い、行政やPTA、民生委員、福祉団体、当事者、中学生などいろいろな立場を超えてグループに分かれ、地域を歩き、バリアフリーチェックを行い、ゴミを拾い、地域との関わりを持っている。

くえびこは、居場所として運動体として、(足は行かねども)“社会での役割”を権利と責任を持って活動していると思う。

歴史を知れば知るほど、そこには辛い歴史があるが、そこを当事者たちが乗り越えてきた歴史もあることが分かってくる。優生保護法が母体保護法に代わったものの、障害のある僕たちは生まれて良い命と悪い命に、受精する前から分けられる 。なぜ分けられるのか? 優生思想によって、若い者を徴兵制などで侵略戦争の兵士として育てあげる一方、障害のある者は座敷牢へ閉じ込められたり、断種させられた辛い歴史。

現代は、確かに、そうした側面が見えにくくなっている時代。

アートや文化は一見、明るい側面ばかりが強調されるが、やはりビデオの中の、エビスの笑顔の裏に常にヒルコの辛い歴史を忘れないようにすべしという強烈なメッセージが感じられる。そのことが重要だ。

エビス顔を見ながら、「ヒルコは生き残った」といつも感じていたい。また、それだからこそ、このコーナーの文化やアートの意義も改めて重要に思えたのだ。花田春兆さんや白石清春さんといった先輩にも感謝するきっかけ作りにもなる。

(さるわたりたつあき 文京区在住)