音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年8月号

文学やアートにおける日本の文化史

鬼・障害者・江戸川柳(中編)

花田春兆

鬼に出会うには、(前編で紹介したように)冬の東北の岩山の頂上まで追わなくてはならなかったように、人類が誕生させた相棒は、どうも冬や雪がお好みのようだ。

そもそも直接の生みの親が、家々の火・囲炉裏の守り役の古老たち、その本領発揮、待望の晴れ舞台冬の夜噺に躍り出て、話の盛り上げ役を承った身近な相棒たちなのだ。

なんと表音で示されたオニは、鬼、隠忍ともに、見る目のせいもあってか、障害の状況を暗示しているようで、魅かれてしまう。極論すれば、文明誕生期の人類では、鬼と障害者は、共通・同一化視されていたと思われる。

強靭さを強調して、適当な恐ろしさを付加されてはいるが、そこに畏怖の念があったのは否めまいが、明るくユーモラスな面を豊かに備えて、同じ空の下、隣り合って交流しながら、共に明るく生きていた生き物の、仲間たち同士なのだ。

加えて私流の解釈では、鬼と、一般的標準社会型人間との、中間的存在の障害者は、比較的自在に、双方の世界に出没していたはずなのだ。

ここはどうでも、障害者の方の範囲を、一般世間の標準規格には収まりきらない、特色持つ人すべての総称、くらいの存在まで拡げないと追いつきそうもない。

そんな生まれたての鬼たちを求めて、そのまま、古代の囲炉裏端のぬくもりの世界へと突っ走って、鬼と障害者だけの社会に浸りそうになったのを、辛うじて引き止めて、川柳を加えた三題に戻してくれたのが、清水勲の川柳解説書『江戸のまんが』(講談社学術文庫)。その『まんが』で偶然見たような気がするのが、

――怪物という化け物と、人間の間に居るのが、鬼という存在――

という指摘なのだ。

読める状態でなく、眼にした程度だったのが運の尽き(付き)。確かめられないのを逆に幸いに、連想が連想を呼び、ちょうど眼にしていた、わが慶福苑の機関紙の挿絵、七福神の図から、なんと選りによって、

弁天を除けばかたわばかりなり

を川柳の代表みたいに、浮かべていた。

眼前の長寿の園・特養の光景にも通じあって、まことに結構にしても“片端、片輪、かたわ”を謳い上げた作品を書き添えることなど、少し以前まで絶対にご法度だった。

吹き荒れた差別語狩り旋風の名残だ。消せない記憶がよみがえる。

平成4(1992)年「国連・障害者の十年」最終年記念国民会議のイベントの一つとして都庁広場で催された芸術祭で、『えびす曼陀羅』原画展示会での撤去事件だ。

北斎漫画の写しだったと思うが、長い竿で地を突いて動かす、小太りの男の乗ったのを、箱車くらいにしておけばよかったのを“いざり車”と明確を期して打ち出したのが、逆鱗に触れたのだ。

都の担当者の迷惑を思って、解説文は撤去したが、その場から外しても、言葉そのものを消せるわけではなし…と、恨み骨髄なのだ。

それに、そんな一部の一方的暴力などで、消されるものでもあるまい。

それよりも差別は差別として、お互いが認め合い、時には、からかい合いながらも、朗らかに共生している江戸庶民の川柳生活の方が楽しそうだ。

福の神七福神も仲間扱い。

ところが、そんな七福神を巻き込んだような文化祭が、この港区で開かれたのだから、なんとも楽しくなる。

多民族の同好グループの多種多様のメンバー七福神が醸しだす雰囲気を、思い切り拡げて、盛り上げようという集いが開かれていた。

駐日公館の8割が集まっているという、港区ならではの区民文化祭の一環として、普段は秘められている広大な増上寺の裏山を舞台に繰り広げられるその催しには、在留外国人の家族参加も多く、人種の枠を超えて、交流を楽しむ、賑やかなお祭りになっていた。

国際親善にも一役担われて、企画・立案から、当日の進行まで、裏方で支えておられる人々。そのお一人、岩楯さんに連れ出してもらった参入だったが、来て見てビックリ。多種・多様・多民族の七福神の笑顔が溢れている。おまけに、招かれて歌舞を披露されている中国の宮廷舞踊団?の皆さんに紹介され、握手まで求められての酔い心地。

その半分、夢の中のような光景に、私は最近、取りつかれている幻の天山北路へ迷い込んでいた。

まさに人や鬼が、東西に往き交う往還の“道の駅”の賑わいの中に居るのだ、という実感に包まれていた。

もちろん、道の駅で一服したら、東への人の流れに乗って長安まで辿りたくなる。その先にふるさと日本がある。

だが、うまくいけば途中の、ヒマラヤかチベット山中で、鬼とか隠忍とか岩に刻んでいた遠い先祖を、日本人と同じにしているような、懐かしい顔の人々に会えるかもしれない。

昼寝の夢楽し天山の雪を見に

(はなだしゅんちょう 俳人、本誌編集委員)