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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年8月号

沖縄戦が語りかけるもの

蟻塚亮二

1 戦争体験を現在進行形のPTSDという視点からみる

戦後70年を迎え、戦争体験者も高齢化の淵に立たされ、このまま戦争記憶は消滅するのでないかと、憂える声は大きい。しかし脳の中の記憶は風化しない。

私は戦後60数年経過してから発症した沖縄戦の晩年発症型のPTSDを見つけた。それを書いた拙著『沖縄戦と心の傷』(大月書店、2014)は地元新聞の沖縄タイムスから平成26年度出版文化賞をいただいた。いわく「沖縄戦に関する出版物が数多ある中で「心の傷」(トラウマ)という切り口から沖縄戦を描くという新しい地平を開いた」と。

「沖縄戦PTSD」という言葉は、沖縄県民のものになった。基地反対集会のときに「沖縄では今もたくさんの高齢者が戦争記憶に悩まされているのです」と壇上から叫ぶ人もいたし、地元のお笑いチームが「戦争記憶が原因で足が痛いおばー」をめぐる物語を作って県内各地で上演した。2017年に刊行される『沖縄県史』では、沖縄戦のトラウマ記憶が「現在につながる戦争体験」であるとして、初めて採録・編集されることとなった。

2 沖縄戦PTSDとの偶然の出合い

いま思うと沖縄と出合い、その後に通り過ぎてきた日々なしには、私は今回この世に生まれてきた甲斐(かい)がなかったとさえ思う。ひょんなことで病を得て沖縄に移住したのは2004年のことだった。その数年後、那覇市の病院で外来診療をしていた時に、「奇妙な不眠」を訴える何人かの患者さんに出会った。

晩年になってから夜中に断続的に目が覚める、それはうつ病の場合のような中途覚醒型の不眠であるものの抑うつ傾向がない、診察してみてもうつ病ではない、これはなんだろう、と思った。

それは全くの偶然だが、その4か月ほど前に、渡嘉敷島(とかしきじま)の「集団自決」の体験談を金城重明牧師から伺い、とてもショックを受けた(金城重明著『「集団自決」を心に刻んで』、高文研、1995、を参照)。私はそれ以来、「戦争と精神医学」に関する論文を読み漁(あさ)っていた。そして前記の「奇妙な不眠」と全く同じものを、米国の論文の中に見つけた。それは、ナチスのホロコーストからの生存者たちの40年後の精神症状調査に関するものだった。その論文には、「過覚醒型不眠」という、一晩に何回も覚醒を繰り返す不眠が続くものの、しかし抑うつ傾向は少ないとあった。

そこで私は、もしかしてと、「沖縄戦の時、どこにいましたか?」と患者さんに聞いてみた。すると、「米軍の爆撃によって目の前で肉親を殺された」「日本軍にガマから追い出された」「艦砲射撃の中で死体の山の中をひたすら逃げた」などという戦場体験が次々と語られた。

同時に患者さんたちには、「運転していていまどこかわからなくなる」とか「戦場の場面がフラッシュバックしてくる」「日の丸を見ると体が戦慄する」「死体の匂いがする」など、トラウマ性の解離、パニック発作、身体化障害(注、精神的なストレスによって体が痛む症候)など一連のトラウマ反応(外傷性精神障害)が見られた。そこで高齢者の診察に当たって、沖縄戦体験を意識して聞くようにしたところ、10か月で100例ほど見つかった。

彼らのほとんどは、その人生の壮年期においては適応的な社会生活や家族生活を営んでいて、しかし晩年に、定年退職や肉親の死亡などの喪失体験を契機に発症することが多く認められたので、これを「晩年に発症するPTSD」(沖縄戦による晩発性PTSD)と名付けた。

3 沖縄戦によるストレス・トラウマ症候群

沖縄戦によるストレス・トラウマ症候群を次のようなサブタイプに分類した。誌幅の都合でここでそれらを紹介しきれない。詳しくは、拙著『沖縄戦と心の傷』に目を通していただければありがたい。

〈沖縄戦の精神的被害のサブタイプ〉

1.晩発性PTSD

2.命日反応型うつ状態

3.匂いの記憶のフラッシュバック

4.パニック発作と中年からの心気的愁訴

5.身体表現性障害(身体化障害)

6.戦争記憶の世代間伝達

7.破局体験後の持続的人格変化および精神病エピソード

8.認知症に現れる戦争記憶

9.非精神病性幻聴、色覚異常、幻視、幽霊(再体験記憶)

10.その他、うつ病、統合失調症、てんかん、DV、アルコール依存、自殺、幼児虐待、離婚などへの影響

トラウマ記憶に対する社会の態度が不寛容であれば、その記憶は個人の心の中に封印される。それは統合失調症の患者さんの場合に、社会的なスティグマが患者さんを直撃し「自分は生きている価値がない」と思い込むプロセスと似ている。トラウマ記憶による精神症状の現れ方は、社会の態度と連動している。

4 戦争トラウマと統合失調症

2014年4月に、コペンハーゲンで開かれた欧州ストレス・トラウマ・解離学会(ESTD2014)では、統合失調症の発症に果たすストレスの大きな役割が報告された。私は、沖縄戦によって統合失調症の発症が増大したと考えている。

1966年沖縄県精神衛生実態調査で、統合失調症の有病率は『本土』の3倍以上に上った。当時、この調査にあたった岡田靖雄医師にその中身をお聞きしたが、他の調査団員の顔ぶれから見ても診断の精度については問題ないと確信した。

一方、配偶者の死亡や、津波や戦争などのトラウマ的な体験によって、非精神病性の幻視や幻聴や幻嗅が現れることを、私は沖縄戦の体験者や東日本大震災の体験者に見出した。欧州学会で、高齢の配偶者の死後に、同様の非精神病性の幻覚が見られるという報告を聞いた。

日本で「幻聴がある」といえば、ただちに統合失調症に結びつけてしまう現実があるが、それは間違いだ。統合失調症の病理をもう一度再検討する立場を、トラウマ疾患は提供するだろう。精神医学が変わるかもしれない。

5 琉球処分とマイノリティ差別としての沖縄戦

国内唯一の地上戦だった沖縄戦では、住民の4人に1人が亡くなった。前年の1944年7月にサイパン島は陥落して、日本本土空襲が可能となった。この時点で戦争をやめていたなら、20万人という沖縄戦の死者たちはありえなかった。

しかし、軍部はその後本土決戦を叫びだし、「北は千島列島、南は沖縄本島以南や台湾を「本土防衛の前縁」とし、ここで米軍と出血消耗の持久戦を展開して本土決戦のための時間稼ぎをする」ことにした(『帝国陸海軍作戦計画大綱』、1945年1月)。つまり「本土防衛のために沖縄は見捨てる」ことにしたのだ。

このようにして凄惨な沖縄地上戦が行われたことの原点には、1879年の琉球処分がある。

明治開国(1868年)後、日本は領土の拡大と確定を急いだ。そして1876年、朝鮮半島への覇権拡大の足掛かりとなった江華島条約を結び、これが朝鮮半島侵入の始まりとなり日清戦争の原因となり、日韓併合につながる。

江華島条約の3年後の1879年には、兵力を持って首里城から琉球国王やその臣下を追放した。これが琉球処分である。全く同時期に行われた朝鮮と琉球への領土と権益の拡大の本質は、ともに植民地主義的侵略行為である。

これ以後、沖縄は日本の版図に編入されるが、やがて琉球人も朝鮮人も「一等国民日本人、二等国民琉球人、三等国民朝鮮人」と『内地』では差別された。

こうして沖縄は、琉球処分によって日本の版図に編入されたものの、「本土」では「二等国民」として就職や結婚などで差別されたマイノリティだった。そして、マイノリティだったから沖縄を「本土防衛の捨て石」とした。

さらに、戦後はサンフランシスコ条約で日本が独立するのと引き換えに沖縄を米軍統治下に売り渡した。沖縄「返還」後には、日本にあった米軍基地の多くを沖縄に集中して「平和国家日本」を演出した。今も日本全体の米軍基地の74%が面積にして0.6%の沖縄県に集中している。これは沖縄に対するマイノリティ差別だ。これが「平和国家日本」である。

(ありつかりょうじ メンタルクリニックなごみ所長)