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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年9月号

フォーラム2015

柔道事故でこれ以上障害者をつくってはならない

小林恵子

はじめに

5年前に「全国柔道事故被害者の会」を立ち上げるまで、学校内で毎年毎年4人以上の子どもたちが柔道事故で死亡していた。息子のような重度障害児はもっと多く生まれていた。しかし、学校も教育委員会も「あいにくの事故」と言うばかりで事故調査すら行おうとしなかった。柔道関係者に至っては「柔道は武道だからけがはつきもの」の一言で片づけていた。

なぜ子どもたちは死んだのか。なぜ子どもたちは障害者になったのか。犠牲者の名前だけが取り換えられたそっくりの事故がなぜ繰り返されるのか。子どもたちの命を奪ったり、障害者をつくり続けるのは柔道の宿命なのか。障害者となった息子と悪戦苦闘しながら、このような苦しみはわが家を最後にしたいと強く願い、会を立ち上げた。事故を防止するためには、まず事故原因を調査して事故分析すべきだと考え、脳神経外科医、法医学者、乳幼児虐待専門医、教育社会学者、工学専門家などあらゆる専門分野の先生方に事故分析をお願いしてシンポジウムを何度も開催した。やっと全柔連も重い腰を上げて事故防止に動き始め、その結果、この3年間死亡事故はゼロが続いた。

新たな犠牲者

事故原因がかなり解明され、リスクマネジメントが定着してきたとほっとしていた矢先の今年5月、福岡の中学校で死亡事故が発生してしまった。この事故は、私共がこの5年間警告し続けてきた「1年生」「初心者」「体格差あり」「技量差あり」「受傷時の技は大外刈り」「急性硬膜下血腫の発症」「事故前に頭痛」「5~8月に事故集中」という柔道事故特有の特徴がすべて当てはまる事故だった。

さらに驚くことに顧問教諭は四段で、全柔連の指導者資格制度Aライセンス保有者だった。最高指導者資格であるAライセンスを持っていても、顧問教諭はリスクマネジメントの基本中の基本すら知らなかったのか。

しかし、事故はこれだけではなかった。なんと福岡の死亡事故の前日に大分でも、高校1年生が遷延性意識障害となる重篤事故が発生していた。ところがこの事故は、7月2日に朝日新聞がスクープするまで1か月半も隠され続け、全柔連にも7月3日になってようやく事故が報告された。さらに、生徒が倒れてから30分後に消防署に通報している疑惑まで明らかになった。

指導者の資質

脳損傷の救命は1分1秒が生死を分ける。「柔道は武道だからけがはつきもの」と承知しているならば、柔道指導者は他のスポーツ指導者以上に医学知識を持ち、いざという時に子どもたちの命を守る義務と責任がある。柔道指導者の何人が「脳震盪(のうしんとう)」の恐ろしさをきちんと説明できるだろうか。何人が「セカンドインパクトシンドローム」という言葉を知っているであろうか。「繰り返し脳損傷」を何人が説明できるだろうか。一般の人は知らない用語だろうが、柔道指導者はこの程度の医学知識を持ち合わせていなければ子どもたちを守れない。この程度の医学知識すら持ち合わせていない指導者に柔道を指導する資格を与えてはならない。

フランスでは、柔道指導者に救急救命士の資格まで取らせている。2年間で300時間以上もの講習を義務付け、最後は国家試験が待っている。フランスでは柔道指導者は国家資格なのだ。かたや日本では、10時間の講習で指導者資格が得られる。未経験でも体育教師ならば、たった3日の講習で黒帯が貰える県すらある。イギリス柔道連盟の子どもたちを守るためのガイドラインSafelandings Child Protection PolicyとSafeguarding Toolkit注1を私共の会で翻訳したが、ここまで書くかと思うほど、リスクマネジメントが徹底している。海外で子どもたちが死亡していないのにはちゃんと理由があるのだ。

脳震盪の恐ろしさ

先日ある講演会で、柔道経験者に挙手をお願いしたところ20人以上が手を上げた。そしてその方々のうち、1回たりとも頭を打たなかった人に再度挙手をお願いしたところ一人もいなかった。つまり、柔道経験者全員が頭を打った経験をしていたのだ。

脳震盪は意識を失うことだと誤解している人が多いが、意識があっても、頭痛や吐き気、ぼうっとしていたら脳震盪を疑わなくてはならない。頭を打たなければ脳震盪ではないと考える人がいるが、これもまた間違いである。椅子に座り損なって床に腰を強打した時、頭がくらくらした経験をお持ちの人がおられるだろう。体幹部が強い衝撃を受けても脳震盪は発症する。柔道では頭を打つことも多く、絞め技で落ちる(意識を失うこと)こともあるため、「いつものことだ」と脳震盪を軽視しやすい。しかし、意識を失っていたら即救急車を呼ぶべきなのだ。「絞め技で落ちたりするのだから、いちいち救急車を呼んでいたら稽古にならない」と反論がきそうだが、絞め技で落ちた時も、実は脳はダメージを受けている。わざわざ絞め技で落とす必要は無いし、ましてや成長期の子どもを落とすのは論外だ。

少しだけ膨らませた風船は弾力があり、鉛筆を強く突き立てても風船は割れない。しかし、パンパンに膨らませた風船に軽く鉛筆を突き立てると、風船はすぐに破裂する。正常な脳は少しだけ膨らませた風船と同じで、少々の衝撃(脳震盪)を受けても破裂することはない。しかし、衝撃(脳震盪)を受けると、脳は当然腫れ上がる。固い頭蓋骨に囲まれているので外部から見ても脳の異常には気づけないが、脳は固い頭蓋骨の中で圧迫されたり神経が引っ張られたりして、頭痛や吐き気、めまい等の異常信号を発している。それを軽視して柔道を続けて再度衝撃を受けると、その衝撃がさほど強くなくても急性硬膜下血腫を発症する。これがセカンドインパクトシンドロームである。パンパンに膨れた風船が鉛筆を軽く突き立てるだけで破裂したのを思い出してほしい。手足を強く打撲した時、当然患部は腫れ上がる。何日かして痛みが無くなっても、腫れはさらに何日も残ったご経験を皆さんはお持ちだろう。手足の腫れがひくのに時間がかかるように、脳の腫れも時間がかかることを忘れてはならない。常に頭部に回転運動がかかる柔道は、特に要注意である。急性硬膜下血腫は回転加速によって引き起こされるのだ。

ここまでお読みくださった皆さんは、脳震盪を繰り返す危険性にもうお気づきだと思う。アメリカで5千人以上の元NFL選手たちが、脳震盪を繰り返したことで脳に被害が生じたとしてNFLを相手に起こしていた集団訴訟で、2015年4月22日、NFLが総額で10億ドル(約1200億円)を支払う見通しとなった。多くのNFLの元選手たちが、鬱(うつ)状態や暴力的精神障害、頭痛、めまいなどの後遺症に苦しんでいる。脳震盪を軽視するのは恐ろしいことなのだ。

当会では、指導者のかけた絞め技で死亡した子どももいる。息子も急性硬膜下血腫を発症する直前に、指導者から気管を絞める袖車絞めで2回も落とされている。通常は頸動脈を絞めて脳への血流を止めることで意識を失わせるが、息子は気管を絞めて意識を失わされている。窒息死と一緒だ。

AccidentとInjury

5年前に全国柔道事故被害者の会を立ち上げた時、日本でこんなに子どもたちが大勢亡くなり続けているのだから、海外でも当然死亡事故が発生しているに違いないと考え、フランス、イギリス、ドイツ、アメリカなどに問い合わせた。私は英語が苦手なので、事故をAccidentと表現したところ、各国からのお返事は皆Injuryであった。何度かやり取りするうちにAccidentは「人智を尽くしても、なおかつ避けられない事故」であり、Injuryは「予測でき、避けられる事故」だということが理解できた。つまり、柔道事故は「防げる事故」「避けられる事故」というのが、欧米の認識なのだ。

おわりに

柔道はもともと人を殺めるために生み出された技だ。だからこそ、嘉納治五郎師はそこに「精力善用」「自他共栄」の人の道を埋め込むことで、安全な柔道を確立した。海外が嘉納治五郎師の教えを守って子どもたちが死なずに柔道を楽しんでいるのだから、発祥の地の日本でそれができないわけがない。

柔道人口が激減している。私共が被害者の会を立ち上げたからだという声も聞かれるが、1998年全柔連だより3月号に、中高生の柔道人口が半減したことが取り上げられている。2002年中学生の柔道人口は53,059人だが、2014年には36,673人となり、31%も減少している。2002年高校生の柔道人口は約39,000人だが、2014年には約25,000人となり、36%も減少している。わが子を死なせたり、わが子をわざわざ障害者にしたいと思う親はいない。人口が日本の半分のフランスで、なぜ日本の柔道人口の3倍の人たちが柔道を楽しんでいるのかを、指導者たちは真摯に学ぶべきだ。

(こばやしけいこ NPO法人脳外傷友の会ナナ会員)


注1:全国柔道事故被害者の会 http://judojiko.net/