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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年10月号

1000字提言

社会的障壁と「非典型的知性」

岡島実

沖縄で個人事務所を開設して12年になる。連れ合いのコネクションにも頼らず(気兼ねせず。神戸生まれだが、偶然にも父方、母方のいずれも国レベルで深く沖縄と関わった親戚がいる)奮闘してきたが、振り返ってみると、沖縄の人権状況を少しばかり進展できたのではという自負はある。

中等度の感音性難聴があることが分かったのは中学生の時だった。母親は医師から、「成績を伸ばすのは難しいかもしれませんね」と言われた。幸い、文章を読んだり書いたりするのは得意だったので作家にでもなれたらと思い文学部に入った。アフリカへの1人旅など模索の末、新聞記者になろうと思いマスコミの試験を受けたが、面接試験で面接官の質問が聞き取れずに落とされた。

20代前半の私には記者の仕事のニーズに応え得る高価な補聴器も執着もなく、予備校の講師になった。幸いある大手予備校で、模擬授業でも評価を得て仮採用されたが、研修中に生徒役の声が聞こえず、「大きな声で話して」と言ったのが問題にされ、本採用を拒否された上、「応募の際に難聴のことを隠したのは経歴詐称に当たる」とまで言われた。

大きな転機になったのは、連れ合いとの出会いと娘の誕生だった。結婚をすると男女いずれかが姓を変えなければならないという法律に私が違和感を持ったのも、連れ合い曰(いわ)く「非典型的知性ゆえ」、だそうだ。名前はその人固有のものである。多くの場合は女性が姓を変えるのも差別的な慣習だと感じ、初めて法律書を手に取り読み漁(あさ)った。その過程で、そのような民法の規定は違憲無効だと主張できると知って、我流で申立書を書いて家庭裁判所に審判申立をした。法律の勉強にはそれまでには感じたことのない充実感を味わい、その道に進んでみようと思い独学を続けた。司法試験にも口述試験があったが、今度は幸い、面接官の質問が聞こえないことを正直に言っても落とされることはなかった。

「社会的障壁の除去」は、「障壁」を認知する主体なくしてはそもそも何も始まらない。「障壁」を認知し乗り越えようとする主体自身の取り組みと、その中で出会う人々との関係が、「非典型的知性」を育てるのではないだろうか。知識や条件の限られた子どもでありながら「非典型的知性」を働かせ、自分や仲間のために大きく貢献したルイ・ブライユの跳躍(14歳の時に軍人の暗号に手を加えて点字を考案した)は鮮やかである。「障壁」を認知する主体は潜在的に「非典型的知性」を持つ。障害をもつ子どもたちの「非典型的知性」を、自分や仲間たち、ひいては社会全体のために貢献し得る潜在力を、障害をもたない子どもたちの能力同様に信じて伸ばす教育を提供し得る社会のためにできることはないだろうかと、考え始めている。


【プロフィール】

おかじまみのる。1964年愛知県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。中等度感音性難聴の障害を理由とする採用拒否などを経験する。法律を独習し2001年沖縄弁護士会に弁護士登録。主な著作に『裁判員制度とは何か』(生活書院)など。