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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年10月号

知り隊おしえ隊

日本最大級のバリアフリーイベント「とっておきの音楽祭」(仙台市)

伊藤清市

第1回全国障害者スポーツ大会が開催された宮城県

毎年6月第1日曜日、仙台市役所前の市民広場をメインステージに、商店街、公園、ビルの入口等、市街半径1.5キロメートル内に約30か所のステージを設け、障害の有無を問わず、参加グループ数320、約2,700人、観客数延べ26万人(本年)もの出演者が思い思いのパフォーマンスを繰り広げているイベントが、私が実行委員長を務めている「とっておきの音楽祭」(以下、音楽祭)です。

2001(平成13)年、それまで別々に行われていた、全国身体障害者スポーツ大会と全国知的障害者スポーツ大会が統合され、第1回全国障害者スポーツ大会(以下、全スポ)が宮城県で開催されました。この大会は、2つの大会が統合された意味合いと、当時の浅野史郎宮城県知事が標榜(ひょうぼう)していた「日本一の福祉県先進づくり」の理念に合致し、全スポと併催されるみやぎ国体とともに、宮城県では「バリアフリー国体」というスローガンが設けられました。全スポは、統合された第1回の記念大会であると同時に、これまでにない規模の大会となり、音楽祭はその併催イベントの一つとして企画されました。

街中をステージに

当時仙台市では、仙台市街の各所にステージを設けた「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」(以下、ジャズフェス)が2日間で出演者約3,300人、観客数延べ45万人を数える全国規模のイベントになりつつあり、仙台市民のみならず県内外から多数の来訪者を迎えていました。そこで県内の音楽関係者や福祉関係者が、これまでのような、建物の中で興味関心のある人しか訪れないようなイベントではなく、ジャズフェスのように街の至る所で音楽が奏でられ、道行く人がその音楽に誘われ、障害理解も進むようなイベントにできないかと模索し、在仙のプロの音楽家をはじめとして、市民ボランティアが主体となった実行委員会を結成。行政、商工会議所、商店会などのご協力を得て音楽祭の実現に至りました。

第1回の音楽祭は、みやぎ国体と全スポの間の10月8日。参加グループ数133、総出演者数1,300人、ステージ数13、延べ観客数45,000人と、成功裏に終了し併催イベントとしての役割を終えたのですが、障害のある人が繁華街で音楽を奏でるというイベントの新しさや、出演者からの「来年も青空の下で演奏したい」等の継続を求める声など、終了後から大きな反響を呼び、実行委員会では県と協議し、早々に次年度の開催が決定し、現在に至ります。

音楽祭の理念とコンセプト

私たちが掲げるコンセプトは「Music breaks barriers!(音楽でバリアを打ち壊せ!)」と「みんなちがって みんないい」。前者は出演者と観客が一体となり、音楽の力で障害の有無、建物、心のバリアなどを打ち壊そうという願い、後者は金子みすゞさんの“私と小鳥と鈴と”の一節で有名ですが、十人十色、音楽を通じてお互いの違いを認め合おうという願いです。

よく誤解されるのですが、私たちの音楽祭は障害がある人の音楽祭ではなく、障害の有無にかかわらず参加できる国境や人種、そして、障害などあらゆるバリアを取り払ったボーダレスな音楽祭。出演者は毎年3,000人前後ですが、その4割以上が障害のある人のグループであり、障害のない人たちと共にグループを結成している人たちも多くいらっしゃいます。また、医療的な問題等で会場での出演ができない方々のために、作詞での参加というシステムがあります。これは、実行委員会で作詞を公募し、応募作品の中から、音楽祭への出演者が作曲を行い、当日会場で演奏するというもの。歌いたくても歌えない、でも街中で自分の詞を多くの人に届けたいという声から実現したものです。

誰もが音楽祭を楽しめるために

音楽祭当日には音楽祭の概要、その年の目玉企画、出演者の出演場所、プロフィール、そして、会場のバリアフリー情報等が掲載された、約40ページのガイドブックを無償配布しています。

バリアフリー情報としては、会場となるエリアのステージはもちろんのこと、仙台市街のバリアフリートイレ、駐車場、休憩所などのバリアフリーマップを掲載。このマップは、障害当事者を含めた実行委員が毎年調査更新をしており、音楽祭当日のみならず、他のイベントや1年を通して活用されています。

当日のバリアフリーサポートとしては、市内の大学や専門学校、高校、そして社会人からなる400人ものボランティアを各会場に配置。会場間の移動は基本的にはご本人にしていただきますが、各インフォメーションでは、車椅子で入りやすいレストランなどの情報提供を行い、好評を得ています。

来場される障害のある人は、それこそ千差万別ですが、医療的に重度の人には、障害児支援事業を行なっているNPO法人のご協力を得て、会場に介護ベッドを設置し休憩スペースを設けているほか、レスパイトサービスを提供していただいています。

情報保障については、これも他団体のご協力を得て、各ステージやインフォメーションセンターには手話通訳を配し、夜間に行われるフィナーレにはステージ側面に大型スクリーンを設置、パソコン要約筆記団体にご協力をいただいています。このように、実行委員会だけではサポートが難しいところも、多くの市民ボランティアや障害者支援団体のご協力を得て、毎年音楽祭は開催できているのです。

また前述のとおり、音楽祭の会場は仙台市街の商店街となっており、ステージ設置、電源使用、PR等で各商店会からの全面的なご協力をいただいています。そのこともあり、買い物客や通行人が、音楽の音色に誘われて自然に観客となるという効果や、回を重ねていくうちに商店街のご理解も深まり、当日特別営業してくださるレストランや、無料休憩所として開放してくださるカラオケボックスもあります。このように、街中でイベントを行うことが自然と障害理解に繋(つな)がっています。

震災そしてこれから

2011年3月11日に起きた東日本大震災は、音楽祭にとっても大きな爪痕(つめあと)を残しました。開催まで3か月を迎えた中での発災。まだ余震が残る中で緊急会議を続け、音楽祭開催の是非を議論しながら、エントリー済みだった298団体に対して安否の確認とともにアンケートを行い、270団体以上から開催を望むメッセージが届きました。その中には「津波で家を流されました」「まだ仲間が行方不明です」など、震災被害の深刻さや心の傷を受けているものが多かったのですが、「このような時だからこそ開催してほしい」「亡くなった仲間のために出演したい」という熱いメッセージが書かれており、「たとえ1ステージしか確保できなくても開催する」と私たち実行委員会では決断しました。その後、行政や商店会など関係各所のご協力もあり、その年の音楽祭は、震災からの復興を願い、参加グループ数286、ステージ数30という、とっておきの音楽祭史上最大の開催となりました。

そして、15回目を迎えた今年のテーマは「これまでも そして これからも~音楽のチカラ信じて~」。28ステージ、320グループ、出演者2,600人、延べ観客数26万人の規模で開催。フィナーレでは、第1回開催時に宮城県知事であった浅野史郎氏を迎え、音楽祭の成り立ちを熱く語っていただきました。

現在、とっておきの音楽祭は、その理念やコンセプトに賛同した各地の有志により実行委員会が立ち上げられ、宮城県内では東松島市、栗原市、東北では秋田市、山形市、福島市、南相馬市、本宮市、会津若松市、盛岡市、近畿では大阪府枚方市、九州では熊本市、人吉市、鹿児島市、鹿屋市でも開催され、今年は群馬県安中市、兵庫県篠山市、佐賀県佐賀市での開催が予定されています。

また、NPO法人日本バリアフリー協会が主催するゴールドコンサートとコラボレーションしており、このような他団体とのネットワークを図り、全国にとっておきの輪を広げたいと考えています。

6月の第1日曜日、杜の都仙台は建物も人の心も何のバリアもない青空の下、とびきりの笑顔にあふれます。全国のみなさん、機会があればぜひ仙台にお越しください、一緒に「とっておき」の輪を広げましょう。

(いとうせいいち とっておきの音楽祭実行委員会SENDAI実行委員長)