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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年10月号

ワールドナウ

ADA25 Lead On! Tour

海老原宏美

今年の夏、ワシントンDCで、世界初の障害者差別禁止法であるADA(障害のあるアメリカ人法)の25周年記念式典があり、全国自立生活センター協議会とDPI日本会議で、日本の若手障害者がそのセレモニーに参加できるツアーを企画してくれた。

私は、昔アメリカに短期留学した際に、自分が障害者であるということを忘れるくらい自由に動き回ることができ、ADAの効果を実感した。しかしその後、日本で障害者運動を継続してきた中で、アメリカでいう「平等」と私が考える「平等」とは、ちょっとズレがあるということも感じてきた。

アメリカの「平等」という概念は、あくまでもqualified individualのための、という考え方である。つまり、仕事をする能力がある障害者が、環境が整わないために仕事ができないのは差別だ、という考え方。しかし、超重度の障害者が働けないことに対しての価値観はどうだろう。「社会の一定の基準を満たすこと」が平等なのではなく、自分が持ちうる力や能力を、持っている分だけ、自分なりに存分に発揮できる、そんな社会が平等なのではないか?という疑問が残っていた。

アメリカは、ADAができて25年も経つ。重度の知的障害者、精神障害者、医療的ケアが必要な障害者などは、どうしているのか。ADAの今を、自分の目で、耳で、確かめてみたい。そう思って参加を希望した。

7月26日はADA25周年記念日。American History Museum前にて、ADAを普及啓発するために全米を回っているADA FREEDOM BUSを迎えた。Museumの前には、ADA制定のための障害者運動のトップリーダー、故ジャスティン・ダートさんの巨大人形がセットされ、ハーキン元議員、レックス・フリーデンさんなど、ADA制定運動に携わったたくさんの人も集まった。ジャスティンさんの奥さま、淑子(よしこ)さんのお話を伺える時間があった。

ジャスティンさんは、超有名なビジネスマンだった親の栄光のプレッシャーから、「悪い子」「いたずらっ子」としての名声を極めようとして、7回も高校を追い出されたという意外な生育歴が!ポリオにかかり3日で死ぬと言われ、最後に辿(たど)り着いた病院で、看護師、医師から最上級の愛情を受け取ったことで人生が180度変わり、「抑圧の中でやりたいことがあるのに身動き取れないという人々を一生支援していこう」と決めたそうだ。

「すべての人が自分の人生のリーダー。誰かに決められ指示される人生じゃなく、自分の生き方を見つけ、その人生を生きるのは、自分。それを実践していくことが、リーダーシップ。それができるようになったら、他の人もそうなれるように応援できるようになる。まずは、自分のために、自分を生きること」とおっしゃる淑子さんの言葉が印象的だった。

7月27日からは、全米のCILの全国事務局であるNCIL全米集会開幕。全米から障害者が集まった。翌日は、NCILの会議場ホテルグランドハイアットから国会議事堂までマーチング。日本メンバーも、「Lead on, ADA!」とシュプレヒコールを上げて参加。NCIL会議最終日の午前中は、日米のCILメンバー交流企画。4つのグループに分かれ、日米混合フリートークセッション。会場は参加者でいっぱいになり、プログラム終了後も、会場のあちこちで日米交流は尽きず。日本にIL運動を伝え、CILを広めた功績を称えられ、日本の中西正司(なかにししょうじ)さんが、マックス・スタークロフ賞を受賞!夕方のユース交流会では、てんかんを持っている人が障害当事者として参加していた。アメリカって、障害のとらえ方が広いなぁ、自らを障害者として認識、受容し、当事者として活動できる人も多いんだなぁ、と、しみじみ実感。そして、とにかく女性の障害当事者パワーがすごかった!

今回のツアーの助成金を出してくれていたUS Japan council、TOMODACHIイニシアチブの方とお会いした時、「アメリカでは、なるべく自分でできるようになること、周りの人、街、国のお世話にならないことが自立という価値観が大きい。そのために、少しでも働いて、社会に貢献できることが、人としての価値を高め、自分の存在に自信を持つことになる」との話を聞いた。

また労働省の中の、障害者雇用促進部署である労働局の方も、「私たちは、超ハイテクテクノロジー等を使って、どんなに重度な障害者でも、少しでも仕事ができるように支援しています!」と言う。働ける人は、もちろん働けることに生きがいを感じるだろうし、働くことは重要である。しかし、どこか、日本でCILをやっていく中で教わってきた概念と逆!?と思うことも。あらためて、自立って何?自立支援って何??というところに戻ってしまった。

ツアー後半では、今、全米でもっとも活発に活動しているという自立生活センター「Access Living」を訪問。地域移行支援部、地域生活支援部、ファンドレイジング部、社会資源開拓部、医療保険ホットライン、権利擁護部等、さまざまな部署があり、女性障害者支援、若手障害者支援、障害児教育活動、就労支援や、地域でのADA活動等、具体的な活動内容についても研修できた。

ADAを社会に効果的に浸透させていくための相談窓口であるADAセンターの話も印象に残った。

ADAセンターは、障害者を雇用する時にどう配慮を整えなければいけないか、建物改修の際にADAの規定に合っているか等、「Reasonable Accommodation(合理的配慮)」についての相談窓口になっている。興味深かったのは、「ADAでこうしなさいと書いてあるからこうしてください」と言うだけではなく、ADA制定の背景までちゃんと説明することで、相談者の価値観を一気に変え、自発的に、合理的配慮のあり方を考えてくれるようになったりもする、という話だった。

シカゴ市役所庁舎の中には、MOPD(Mayor's Office For Persons with Disabilities)という、障害者の課題を扱う部署があり、障害者への対応やADAの規定についての行政職員への研修・相談、市民への啓発、障害者市民からの苦情救済等を行なっている。

これらのように、客観的な判断・相談・教育を請け負う公的な機関があることも、差別解消成功への必須条件だろう。

町の中にADAが浸透している部分もたくさんあった。カフェでも、本屋でも、コスメショップでも、必ず入口のドアに、自動ドア用の車いすマークボタンが付いている。バス乗車の際は、ドライバーが運転席に座ったままスイッチオンすると、入口の床がパタンと外に開いて、すーっと入っていける。アクセスは本当に良い。

しかし、一方で、24時間介助の必要な障害者や医療的ケアユーザーは、まだ施設にいる。もちろん州によって環境は違うだろうが、地域生活保障も、地域格差があるのは日本と一緒だ。

働けないより働ける障害者の方が上、ということではなく、どんな状態・状況にある障害者も、その存在そのものに尊厳があり、地域に「いる」ことに意味を見いだせる。そんな社会になって初めて権利条約の言う「インクルーシブ」が達成され、「平等」な社会が実現すると言えるのではないかと思う。

ADAのプロセスから学ぶことも多い。すべての人が、ADAをしっかり「公民権」として捉え、障害者のための「特別な優遇」ではなく、市民としての人権追求を徹底すること。自分のための運動ではなく、他の障害者のために運動していくこと。自分の体験や経験を通して気付いたことから行動につなげていくこと。しかし、それでも課題は多い。日本は、アメリカと比べると、運動の中に、重度障害者がたくさんいる。呼吸器ユーザーも地域に増えている。勝ち抜き戦ではない社会。ツアーが終わった今、アメリカの上を行ける可能性を、十分に感じている。

(えびはらひろみ NPO法人自立生活センター・東大和理事長)