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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年11月号

1000字提言

知的障害をもつ人にとっての「自立生活」!?

渡邉琢

「自立生活センター」(CIL)と関わるようになってから15年くらいになる。CILは、障害種別を問わずにサービスを提供するという理念だが、身体障害の人たちがメインとなっていることは否めない。ぼくは最初、そのCILに介助者として関わり、当事者の指示を待つこと、相手の先回りをしないことなどの介助の基本について新鮮な気持ちで学んだ。同時に、重度の身体障害の人たちが24時間介護をつけて「自立生活」している現場に出会い、あぁ、こんなふうに、重度の障害があっても、自分のスタイルでの生活を貫くことができるんだ、ということに衝撃を受けた。その後、自分も健常者の立場ながら、自立生活運動に主体的に関わるようになった。

ところが、知的障害者のガイドヘルプに入るようになった頃からある種の壁にぶちあたるようになった。待っているだけでは介助が成り立たない、介助者自身が先の見通しを持って積極的に働きかけを行うこともある程度必要になるなど、それまで学んだ介助の原則は再考を迫られた。

そして、身体障害の人たちの自立生活においては、自分で自分の体調やお金、スケジュールなどを管理することが基本的に求められるが、そうした自己管理や金銭管理について、認知面でのインペアメント(損傷)ある人たちにとって「自立生活」とはどんなものなのか、なかなかイメージがしにくかった。

また実際、今の社会では、契約の責任能力などが一人暮らしや自立生活の前提とされているようにも思う。すると、そうした責任能力に欠けるとみなされる人たちは親元やグループホームや施設など、誰かに保護された環境の中でしか生活できないのだろうか。住みたいと思う地域の中で「自分の家」で暮らすこと、そうした当たり前の生活のかたちは、ほとんどの知的障害をもつ人にとって許されていないのだろうか。

いうまでもなく、障害者権利条約では知的障害があろうと、支援を受けての自己決定や自立生活、あるいは地域社会から排除されないこと(インクルージョン)が権利として定められている。けれど、実際の現場では、そうした権利は空文化しているのが実情だ。

知的障害者の「自立生活」とは?という疑問を抱いてから10年近く経っている。その間、知的障害をもつ人とさまざまに関わるようになっていた。そうすると本人の意思や、あるいは家族の事情等で、一人暮らしや自立生活の話がでるようにもなってきた。その都度、どう支援していくのか、試行錯誤の連続なのだが、それでも曲がりなりにも「自分の家」で暮らし始める人がぼくの周りでは増えてきた。課題はいつも目の前にあるけれど、その課題と向き合うことを大切にして次の10年も迎えていきたい。


【プロフィール】

わたなべたく。京都在住。日本自立生活センター(JCIL)事務局員、介助コーディネーター。ピープルファースト京都の支援者。著書『介助者たちは、どう生きていくのか』(生活書院、2011年)、共編著『障害者介助の現場から考える生活と労働』(明石書店、2013年)。