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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年5月号

時代を読む79

障碍者運動の1ページに残る川崎バス闘争

川崎バス闘争のきっかけをつくったのは私と、私の親友のH氏であった。1970年代後半、私は秋田市に住んでいて、H氏は福島県郡山市に住んでいた。2人とも全国青い芝の会の常任委員を務めていた。川崎にあった全国事務所で、月1回開かれていた常任委員会に出席するため、夜行急行列車で秋田駅と郡山駅から、私とH氏が乗り込んで一緒に行ったものだ。

初めのうちは、全国事務所の近くの駅まで電車を利用していたが、川崎駅から路線バスを利用した方が便利なので2人でバスを利用するようになる。私たちがバスを使っていることが川崎に住む脳性まひ者たちに知られるようになり、みんなでバスを利用するようになっていった。

運転手が車いすの乗客を持ち上げて車内に移動しなければならないので腰を痛めた者もいたのであろう。停留所で待っている車いす使用者がいても、そのまま走り去っていくバスが続出した。車いすの乗車拒否に怒った川崎の脳性まひ者の会(神奈川県青い芝の会の支部)の会員たちが、乗車拒否を行なったバスの前に座り込みを敢行していった。その当時、バスによる乗車拒否の事件は、川崎にとどまらず全国各地で起きてきていた。バスの問題の件で、全国青い芝の会は、運輸省や東京陸運局等と度々話し合いを持ったが、解決策は見えてこなかった。

そして、1977年4月に全国青い芝の会の脳性まひ者60人が川崎駅前に結集し、駅前に止まっているバスに次々に乗り込んでいき、30台のバスに籠城したのである。川崎駅前はバスの乗客でごった返して騒然たる状況であった。私は若くて血気盛んな年齢だったので、バスに備えてあったハンマーで窓ガラスを割って、そこから拡声器を出して、乗客に向かってアジテーションを行なったり、バスの運転席に腰かけてハンドルを叩き割ったりして暴れ、夜の11時までバスの中に籠城し続けた。この事件の報道が新聞に載ったが「全国青い芝の会、孤立無援の闘い」という表題であったことを記憶している。

時を同じくして、アメリカでも車いす使用者がバスに籠城する事件が起きたが、警察に捕まって牢獄に連れていかれたと聞いている。そのような障碍者運動があって、アメリカではADA法が創(つく)られ、ノンステップバスが数多く走っている。一方、わが国ではハンマーでバスを壊したにもかかわらず、無罪放免の扱い(障碍者差別)をして、現在でも私が住んでいる郡山(地方)では、ごく少数のノンステップバスしか走っていないという現状がある。

今年の4月1日から障害者差別解消法が施行された。障碍者が人権を認められ、対等に生きることのできる社会が創設されるよう、これからも障碍者運動を続けていこう。

(白石清春(しらいしきよはる) NPO法人あいえるの会理事長)