音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年6月号

1000字提言

「大輔、ヨーグルだぞ」

天畠大輔

皆さんは腐った豆乳を飲んだことがありますか?

親の庇護の元で暮らしていた私は、いままで腐った物を口にしたことがありませんでした。足元にある石を全部取り除かれていた私は、これまで一人で転ぶこともけがをすることもありませんでした。親の優しさによる安全圏へのこだわりは、ヘルパーの選択にまで及び、私がどんなに気に入っていても弾かれてしまったこともありました。親から「見えている」生活から逃れ、失敗しても、自分で選び、自分で体験することをどうしても試してみたくなり、私は自立へ向けての活動を始めました。

自立への最初の一歩としての一人暮らし。まずは物件探しです。もっとも困難なこだわりであったのが場所選びです。現在、通って来ている慣れたヘルパーさんたちの手間を考えて、なるべく事業所兼実家からさほど遠くないところ、そしてその中から、私の生活に不自由無い広さや機能を持ち、しかも手の届く範囲の賃貸料の物件。1年半がかりで33件を回り、ようやく契約に至りました。

契約に至るまでの33件の中には、条件が合っていても、私の体の状態を見て、「難しい」と言われてしまうことも度々ありました。ハッキリ言及しなかったとしても、結局、私の収入や、保証人が不十分だ、などと別の理由を付けて断られるようなことも何度かありました。

現在、私が住んでいる新居も、決まるまでには随分時間がかかりました。素性の知れない「あ、か、さ、た、な」でしゃべるあんちゃんが簡単に信用されるはずもなく、まずは私の素性を知ってもらう必要があったからです。「立命館大学の大学院生」という肩書きが私のピンチを救ってくれた時には、ああ、これが、私の社会における今の立ち位置なんだなあということが解(わか)りました。

契約が決まってからも、やはり私の体に合わせるために、大家さんと改修工事について「あ、か、さ、た、な」で交渉しなければなりません。その許可が下りても、今度は業者さんとトイレの便器の向きやドアの付け替え(女子(?)が使いやすいように)、棚の設置場所などの指示をしなければなりません。工事がだんだん進んでいくうちに、業者の方とも仲良くなり、少しずつ私のニーズを理解してもらえるようになりました。

実家にいた頃、父は毎朝、朝ご飯用に私にヨーグルトを準備していました。反抗期なのもあって、私は拒絶することも多々ありましたが、一人暮らしを始め、たくさんの選択肢から一つ一つを選ぶ、その楽しくも煩わしい作業の中で、唯一父の「大輔、ヨーグルだぞ」を思い出し、選択せずに食べることができる、父の行動(ある意味洗脳?)に感謝しています。


【プロフィール】

てんばただいすけ。発話困難なため、一文字ずつ私から言葉を紡ぎ出すやり方で、私の意思を確認する「あ、か、さ、た、な話法」という独自のコミュニケーション方法をとっている。また、平面の物が判読できないという視力の障がい、四肢麻痺をもっている。この原稿を書くにも、原稿の読み上げやパソコンの操作など、ヘルパーの手助けが必要である。