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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年6月号

フォーラム2016

東日本大震災視覚障害被災者の電話・訪問調査

岡本明

1 電話・訪問調査の概要

東日本大震災から5年が経過した。被災地ではいまだに避難所や仮設住宅で極めて困難な生活を強いられ、不安の中で日々を過ごしている方も多い。その中には障害のある方も少なからずおられる。社会福祉法人日本盲人福祉委員会(以下、日盲委)では、震災勃発直後から視覚障害のある方の安否確認、支援を行なってきた。

日盲委では、視覚障害のある方の支援を専門とする全国の歩行訓練士や相談支援員などに呼びかけ、2011年3月下旬から沿岸部を中心に訪問し実態調査を始めた。しかし、個人情報保護の弊害から視覚障害被災者の所在がなかなかつかめなかった。

そこで、情報開示ができないならば、日盲委が支援を行うことを伝える「お知らせ」を、行政として把握している重度の視覚障害のある方に県庁から配布してもらうという“妙案”を提案し、2011年6月、被災地3県(岩手、宮城、福島)から3,324人の方に発送していただいた。1,168人から返事があり、そのうち判読不明などであて先が確定できない方を除く1,120人を対象者としてリストアップした。希望があった方々にはラジオや視覚障害者用支援機器、白杖等を無償提供した。

2012年2月~4月、その後の状況確認のために、返信があった方への電話調査を試みた。電話はすべて、日盲委から調査事業委員を委嘱された筆者が担当した。対象者は、岩手県と宮城県(仙台市以外)の方とした。福島県は「お知らせ」の取り組みが遅れてまだ全体に行き渡っていなかったため、また仙台市は、すでに他からの支援がある程度なされていたため、この時点では対象から除いた。結果として電話をかけたのは、両県で587人、電話が通じたのは560人で、そのうち亡くなられていた方は18人であった。

2015年、震災後4年を過ぎた状況を改めて確認するために、電話調査(7月、12月)と石巻市の一部への訪問調査試行(9月)を行なった。

電話をしたのは全対象者1,120人のうち、対象者リストアップが未完了のいわき市310人と亡くなられたことが判明していた18人を除く792人を対象とした。電話が通じたのはそのうち579人で、うち亡くなられていた方は91人であった。訪問したのは石巻市の12人の方である。

2 電話・訪問調査の結果から

電話を受けた方は、東京の日盲委からいきなりかかってきた電話に驚き、おれおれ詐欺を警戒して、すぐに切ってしまう方も何人かおられたが、大半の方が2011年当時の「お知らせ」や送った支援機器のことを覚えておられ、「機器がとても助かった、今も大切に使っている」「ずっと気にしてくれていてうれしい」など、電話したことを喜んでいただいた。なかには40分から1時間近く話す方も数人あった。一人暮らしで、あまり外出せず人と話すことも少ない方も多く、ふだん溜まっているものをはきだしている感じであった。

2012年の電話調査時には、まだ混乱状態が続いていることが多くうかがわれたが、2015年では震災から4年半が経って落ち着いてくるとともに、周囲の状況も大きく変化してきて、いろいろな問題点が浮かび上がってきた。復興はまだ続き、継続的な支援が必要である。

2.1 居住住宅の状況

居住住宅は、自宅(賃貸を含む)や親戚宅などに74%、施設や病院に13%、避難所や仮設に約12%、不明1%であった。

2012年の調査時、岩手県と宮城県(仙台市以外)では、避難所や仮設におられたのは10%であったが、2015年の調査では、福島県(いわき市以外)と仙台市を加えた全体で、避難所や仮設は12%であった。福島県が27%と多いためパーセンテージが増えている。福島県では、震災・津波に加えて原発の影響が大きく、自宅に戻れない方が多いことを示している。今後、いわき市の調査が加わるとさらに増えると思われる。

2.2 生活の状況

一人暮らしの方も少なからずあり、被災後に移ったところは高台の辺鄙(へんぴ)なところで、交通も不便なため、買い物や病院などに苦労しているという話が聞かれた。「仮設の四畳半に一人暮らしだが、周りが良くしてくれる」という声のように、多くは近くにいる親戚や周囲の人の支援を頼りに生活している。しかし「昔の部落の人は散り散りになってしまった」など、新しいところになじめず孤立に近い方もおられた。普段からその存在を意識してもらい、近隣との良好なお付き合いをすることの大切さがうかがえた。

「毎日ラジオを廊下に置いて、そこを中心に15分歩いている」と積極的に運動している一人暮らしの方があったものの、高齢による身体の不調などからほとんど動かない方や、「引っ越してきたばかりなので、庭くらいしか歩けない」という方も何人かおられ、生活不活発病が懸念される。積極的に体を動かすことへの働きかけや啓発が必要である。

「復興工事で毎日道路状況が変わるので、盲導犬も困っている」、「何があるか分からないので怖くて歩けない」などは、視覚障害のある人や肢体不自由の人にとって深刻な問題である。また、もと住んでいたところが居住できない地域になっていて帰れない方には、諦(あきら)めの様子がうかがわれた。

2.3 行政の問題

「A市は復興が進んでいるが、自分の住むB市はまだまだ」、「隣の市はいろいろ配布があったのに、私の市は何もない」などの声がいくつか聞かれた。被災の状況、行政によって住民の生活が左右されていることがうかがえる。行政への不満は少なくない。

復興住宅になかなか当たらない、当たっても建設が遅れていて入れないという方も多い。実際、復興住宅が建設の予定数の約半分しかできていない市もあり、まだまだ時間がかかるものと思われる。

「復興状況や迂回路の情報などは全くない。公営住宅もどこに作られるのか分からない」、「町は新しくなっても前のイメージと変わってしまうから歩けるかどうか心配。市役所からは何も言ってこない」、「かさ上げした新しいまちづくりについての意見は聞かれたことがない。一人で歩けないので市役所に意見を言いに行けない」というように、当事者としての意見を聞かれたことはない、復興工事の計画や状況については何も知らされていない方がほとんどである。せっかく障害のある人にも住みやすい新しいまちづくりをするチャンスなのに残念である。

「支援物資を市役所に取りに来い、と言われても、一人暮らしで雪の中を白杖でどうやって行くのか」、「音声時計は手が使える視覚障害者には支給しないと言われた」など、対応や説明が不十分なところもうかがえる。

「日常生活用具支給制度などは知らなかった」、「役所はこちらから聞かないと教えてくれない」という声も多く、役所の立場からは広報誌などで周知を図っているのだろうが、現実には伝わっていないことが多い。

3 今後の支援

今回の調査では、生活不活発病への懸念、新しいまちづくりの情報の不足、共助・公助の重要性、継続的支援の重要性などが浮かび上がってきた。これらを踏まえ、日盲委では、今後も継続的な支援を続けていく。

今後の支援は、視覚障害当事者の声をきちんと行政に届けること、現地の支援体制(行政、民生委員、保健師、病院、メガネ店、支援機器店、視覚障害者団体など)とうまく結びつけること、に注力していく。

具体的には、次のような支援を行うことにしている。

1.電話確認・郵送確認:今回の対象者、未実施のいわき市(310人)、さらに新たな対象者を発掘し、連絡可能な方全員へ電話し、ニーズの把握、対応への支援を行う。また、本人及びご家族が回答しやすい形式による調査票を郵送する。

2.訪問支援:原則として、連絡のついた全員を訪問し、支援の必要がある人をできるだけ地元の福祉サービス等に結びつける。訪問は、視覚障害者専門相談員と眼科医療関係者など専門家を含むチームで実施する。

この原稿を執筆中の4月14日、熊本地震が起こり、またまた多くの被災者が出ている。日盲委では熊本、大分への支援も急ぎ進めている。

(おかもとあきら 筑波技術大学名誉教授)