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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年1月号

時代を読む87

車いす使用者用公営住宅

第2次世界大戦後のわが国では、戦火で住宅を失ったり外地から引き揚げてきた人びとの多くが住宅に困窮していた。かといって、住宅を自ら建てる財力は無い。そのような人びとに対して、地方自治体が昭和25年から国の補助金を受けて建設を始めたのが、県営住宅、市営住宅といった公営住宅である。当時の世相を考えれば贅沢(ぜいたく)はいっておれず、木造の面積が狭い公営住宅が多く建設された。それでも国民の住宅問題解決の切り札だった。

この公営住宅が障がい者とかかわりを持ったのは、昭和42年の「身体障害者世帯の優先入居」制度が最初である。公営住宅への応募倍率が極端に高くなることへの対策として、身体障がい者世帯には応募倍率を一定枠内に抑え、優先的に入居しやすくする方法がとられたのだ。この制度はそれなりに評価されたが、残念なことに住宅構造がバリアフリー仕様となっていないため、軽度の身体障がい者の入居に限られていた。

そこで、北海道と宮城県が自らの財源で車いす使用者が入居できる公営住宅を建設した。これが公的に建設された車いす使用者向け住宅(以下、車いす用公営住宅)の最初となる。身体障がい者間で大評判となり、結婚にこぎつけたカップルも誕生した。この成果を受け、昭和45年の厚生省(当時)身体障害者審議会の答申に、車いす用公営住宅の建設を促進するようにとの一文が加えられた。

早速、翌昭和46年に建設省(当時)は「心身障害者世帯向け公営住宅(車いす用公営住宅)」の建設に踏み切った。神奈川県内の2か所の団地に建設され、新聞に掲載されるなど大きな反響を呼んだ。しかし、4階建ての公営住宅が建ち並ぶ公営住宅団地の片隅に2階建ての住宅がポツンと建っているので、団地に住む子どもたちが珍しがって見に来た、といった話も残っている。

翌年には、東京都が北区内の住宅団地内に車いす用公営住宅の建設を行なった。当時、大学で障がい者住宅を研究していた筆者も住宅設計に意見を求められた。住戸内で車いすを使用するため、当時の公営住宅の標準面積内に纏(まと)めることができず、50平方メートル弱の規模にならざるを得ず、当時の担当者から「僕の家より広い」と憮然と言われたことは今でも忘れられない。当時の住宅事情を如実に物語っている一言でもあった。しかし、住宅内で車いすを使用しながら調理、排泄、入浴ができ、さらに、当時は認められていなかった駐車スペースが玄関前に整備された住宅は別次元の世界であり、多くの車いす使用者に夢を与えることとなった。その後、全国各地で車いす用公営住宅が数多く建設され多くの成果を上げたことは、障がい者はもとより多くの関係者が認めるところである。

(野村歡(のむらかん) 元日本大学理工学部教授、元国際医療福祉大学大学院教授)