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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年12月号

生き方わたし流

旅先ではコンビニ弁当
~自ら選択して自分らしく生きる~

川﨑良太

光陰矢の如し…脊椎性筋萎縮症という障害と共に生きてきて早30年。自分でも驚くほどに、生まれてこのかた人生を悲観し落ち込んだという経験があまりないのだ。それは嫌なことがあったら寝てしまおう、という体質のおかげかもしれないし、記憶から消すという自己防衛かもしれない。とにかくそれなりに人生を楽しく歩んできていると思う。

そんな楽天主義の私。10代の頃は人生の目標なんて特になく、ただ日々を生きられればそれでいいと思っていた。衣食住とテレビゲーム、友人や恋人との語らい。それが私の中の世界だった。

しかし、入院時代に感じていた違和感や養護学校卒業後、一般就職をしている中で否が応にも感じることがあった。

平日は健常者と同じフルタイムで働き、職場に住み、週末は体力回復のためほとんどを寝て過ごす日々。自らの意志で就職したはずであったが、自分の人生はこのままでよいのだろうか、何か他にできることはないのか。自問する日々は続き、進行していく病状も相まって私は仕事を辞めた。

結果的には「働く」という経験ができてよかった。そして肌で感じた思いもあった。その時、私は「自らで稼いだお金で飯を食べ生活をする」「なるべく他人に迷惑をかけない生き方をする」それが社会人としてあるべき姿だと信じて疑わなかった。テレビやラジオ、周囲の者は絶えずそのようなことを言うし、教育の場でも流し込んでくる。さらに就職できたという事実が私にとって他の障害者に対して優位性を持たせていたのだ。ほかの人とは違う、小さな守りたいプライドだったのかもしれないが、そんなものはただの幻想だと気づいた。仕事を辞めた後は“ただの障害者”になっていた――。

そんな私の転機になったのは自立生活センターとの関わりだ。2004年、高校の頃に受講していたピアカウンセリングと退職後に受けたILP(自立生活プログラム)、そしてそこで活動している人たちとの出会い。

「自分の身体を休ませてあげていい」「年金や生活保護を使って生活することは恥ずべきことではなく権利である」「介助者に指示を出し自分の生活を組み立てる」「何を食べてもいい、体壊しても自己責任!」「本来は誰もが対等である」目から鱗がポロポロこぼれ落ちた。

自立生活運動の父、故エド・ロバーツが口元に運ばれてきた食事を「食べない」という選択をしたように、私は「旅先ではコンビニ弁当」と決めている。美味しいものがたくさんある観光地なのに?そんなの関係ない、お腹が満たされればそれでいいのだ。それよりも風景を見たり、そこでしか出会えない人と話をしたい。と、こんなふうに選択する人生を送れるのも自立生活センターの存在、その理念をもとにつくられた事業所、共に動いてくれる介助者あってのことである。そして制度を作り出し、戦い抜いてきた先人たちのおかげであることを忘れてはならない。

地域の中で暮らすということは、目まぐるしくそれでいて楽しい。同じことの繰り返し、ということがほとんどない。この原稿を書いているのは深夜1時。介助者に淹れてもらったコーヒーをガブガブ飲みながらである。施設や病院なら到底許されることではなく、仮に次の日に咳でもしていたら非難の嵐だろう。嗚呼、管理とは恐ろしい。だが“普通”の30歳独身男ならあり得る光景だし、コンビニ弁当ばかり食べることもそりゃあ、ね――。

かくして自立生活を始めて今年で9年目の私は渡米した。そう「自由の国」アメリカだ。バリアフリー、人の対応。良いところを挙げればきりがないが、一番はやはり、エネルギーの強さだ。自分たちが生きやすい社会に変えていくために全身全霊をかけて戦うその姿はかっこよかった。この渡米を経て、私の中で変わりゆく人生観や障害者観の中で少しずつ芽吹いてきたものは《自分らしく生きる》ということだ。月並みでいて一番難しい。自立生活を送っていてもまだまだ自分らしいとはとても言えず、永遠のテーマになるかもしれない。それでもいい。ただの障害者でいい、なーんにもしなくてもいい、食べなくてもいい、働いてもいい、働かなくてもいい。それを選べる社会を作りたい。

しかし、欲を言えば若い当事者にもっと運動に興味を持ってほしい。自分の周りの狭い世界に閉じこもらず、週末はゲームかショッピングセンターではなく、県外でも海外にでも行ってほしい。そこには価値観が変わる、壊れる何かがある。簡単なことではないけど、そんな夢を持つためのキッカケづくりに今後携わっていけるならとても嬉(うれ)しいと思っている。それが私の役割だ。――明日は6時起き、この際徹夜しようか、いや寝ようか、迷って選んで失敗して。だから人生は面白い。


プロフィール

川﨑良太(かわさきりょうた)

1987年11月20日生まれ30歳。鹿児島県曽於市大隅町出身、川﨑家の第2子として生を受ける。生後間もなく脊椎性筋萎縮症の診断を受け、以後、車いすを使用しての生活を送る。小・中学校共に地元の普通学級へ通学し、高校は養護学校(現特別支援学校)。卒業後は高齢者施設の職員として2年間勤務。自立生活センターてくてくのスタッフになり、今年度から代表を務める。血液型はA型。失恋多きロマンチスト。