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NGOの立場から

黒住格

書誌情報
項目 内容
所属先 アジア眼科医療協力会、市立芦屋病院眼科
転載元 国際保健医療 第2巻第1号別刷

シンポジウム/日本の国際医療協力の反省と展望

1.アジア眼科医療協力会(AOCA)の沿革

 当会は1971年(昭和46年)に、眼科医療準備委員会という名のもとに誕生し、初めはアジア諸国に対して、政府の援助を受けながら、眼科の協力を行うつもりであった。しかし、私自身が海外技術協力事業団(OTCA)のネパール医療基礎調査団員として派遣され、帰国して以来、政府機関の協力を受けることは困難とわかり、すべてを独自で賄うことに決め、準備委員会を解散し、新しく東南アジア眼科医療協力会として発足し、後にアジア眼科医療協力会(AOCA)と名称を変えた。設立の目的は、失明者の多いアジア諸国に対して、眼科医療の分野で幅広い協力をすることにあった。その具体的内容は、アイキャンブ(野外開眼手術)の実施、眼科医療に関係する人材の養成、眼科医療機械の供与、新しい眼科医療技術の指導、盲人のリハビリテーションに関する指導等である。もっともこのような理念が初めからあったわけではなく、具体的な活動を通してはっきりしてきたものである。当会は、一応はアジア諸国を対象としており、これまでにビルマ、バングラデシュ、タイ、韓国、中国、WHO等に協力したこともあったが、結局はネパールに主力を置いて活動してきている。

2.ネパールの一般事情と医療事情

 ネパールは、北をヒマラヤ山脈によって限られ、残りの三方をインドに囲まれた内陸国である。海をもたないということは、ネパールの発展を大きく妨げているともいえる。概略の面積は、北海道の2倍、90%までが人の住めない山岳地帯である、緯度は大体沖縄と同じである。寒帯から亜熱帯まであるが、これは土地の高低による。こういう情況の中に1,500万人の人が住んでいる。国民を構成するのは、35にも及ぶ民族で、まさに少数民族の集団である。交通事情は極めて悪く、南部国境近くを走るアジアハイウェイのほかは、首都カトマンズから南北に走る道路があるだけである。その他の交通機関としては、牧草地といったほうが似つかわしいような小さな飛行場が10か所ほどある。国際空港は首都カトマンズ1か所である。おもな産業は農業であり、南のタライ平野以外は、急峻な山地を耕している。
 ネパールの経済的規模を眺めると、1985年の歳出6億2,500万ドル、歳入は2億9,900万ドルである。歳入歳出の差は、国際援助によるものと思われる。これを、わかりやすく日本の都市と比べてみると、歳入では私の勤務する人口約8万8,000人の芦屋市の1.8倍にすぎない。一国の経済規模が県単位でさえなく、小都市のそれに比較できる程度なのである。
 ネパール盲人協会長兼眼科医師であるプラサド氏は、1982年の盲人の指導者をめぐる第1回ネパール全国ワークショップで、ネパール国民の一般の状態を次のように述べている。「国民の96%が農村に住みつき、識字率は24%、平均寿命は46歳、乳児死亡率は52%、幼児の死亡原因のトップは胃腸炎、国民の40%が1日2ルピー(14円)以下の収入で、いわゆる飢餓ライン以下の生活をし、全国の医師の数は450人。」最近、ネパールにも日本政府の協力による医科大学ができ、医師の数は700人を越える程度にはなっている。
 疾病は、これら国民の生活程度の高さと平行するものであるからその情況は想像できる。話を、我々の関係する眼科医療に引き戻していうと、我々がこの国に関係をもち始めた17年前には、眼科医はたった3人であった。このような情況下で協力を始めたが、1985年頃からネパールでも上記医大出の自前の医師がもてるようになり、ネパールの眼科医は40人を越えた。

3.ネパールにおけるAOCAの活動

 我々の会のネパールにおける協力の形は、年間のうちの限られた期間だけ人を現地に派遣するもので、年間を通して現地に入り込んでの協力はしていない。また金や機材だけを送る協力もない。もっと具体的にいうと、ネパールの乾季である冬に、すなわちこちらの冬休の時期に有給休暇を利用しての最も素人的な協力である。また会は法人格ももたず専任の従業員ももっていない。固定した会員というものも多くはない、したがって派遣される隊員も会の活動に協力してくれるボランティアが主である。
 会は、その発足以来、継続的に毎年活動を行っているが、その情況を経費の面からまとめてみると表1のようになる。総支出、活動事業費ともに昭和48年から多少の起伏はあるにしても、比較的順調に伸びてきている。研修生費用は、活動事業費の一部を取り出したものであるが、これも順調に伸びていることがわかる。

表1 年度別経費
fig1 Anual Expense of AOCA.(単位:千円)
年度 活動事業費 研修生費用 総支出
S48 2,488 3,115
49 2,820 5,416
50 1,287 1,287 1,817
51 2,766 4,640
52 6,718 1,577 8,108
53 870 1,887
54 4,738 6,499
55 8,922 9,550
56 11,782 1,701 23,570
57 6,009 7,774
58 12,161 2,885 15,380
59 12,738 4,196 16,514
60 14,225 6,359 18,035
61 15,578 5,037 19,765
合計 103,102 23,042 142,070

 会の活動の一つである眼科診療は、主として、アイキャンプという形をとる、これは、辺地に出かけて行き、村の学校や寺院の宿坊などを借りて診療し、開眼手術するものである。最近では眼科医が増えたことから、毎年30か所~40か所でキャンプが行われるようになっている。我々の場合は、自前のキャンプをやったことはなく、いつもネパール人チームにジョイントした形で行ってきた。
 その間の成果を取り出してみると表2のようになる。この数字は、先にも述べたように、ネパールチームとの合同による成果であって、日本チームの成果だけを取り出すならば、数字を半分にして考えれば、実数に近くなる。次に、当会がネパールその他のアジア諸国に送った医療機器の総計をするとほぼ5,600万円となる。ネパールに対しては、主として首都カトマンズのネパール眼科病院およびビル病院に対して機器の供与をしてきている。

表2 年次別アイキャンプ患者数
fig2 Numbers of Patients examined and operated in Eye Camps.
年次 検査患者数 手術患者数
S49 2,089 745
50 9,000 928
55 1,130 356
56 2,430 163
58 1,064 260
59 2,100 315
60 1,200 124
61 1,244 212
合計 20,257 3,103


 新しい眼科医療技術の指導に関しては、アイキャンプ隊がネパールに渡る度に、持って行った医療機械の使い方を教えてきた。またアイキャンブ隊の派遣とは別に、コンタクトレンズの指導者を、昭和54年度には1名、55年度には2名をそれぞれ1か月間ずつ派遣したし、昭和59年度には新しい医療と基礎実験の指導のための指導医師2名をそれぞれ6か月、1か月間派遣した。
 次に、わが会が最も力を入れている人材の養成についてまとめてみると表3のようになる。我々は、費用および医療制度の点から、眼科医の養成は取り上げないで、機械修理工、検査技師、盲人のための職業指導士、視能訓練士など眼科医療の中で中堅を占める技術職員の養成を目ざしている。

表3 研修内容
fig3 Contents of Trainning by AOCA.
氏名 性別 来日年齢 来日年度 滞在月数 研修内容 経費
ドウアリカマン 36歳 S.50年度 4か月 眼科器械組立・修理 1,287,626円
シバ・プラダン 28歳 S.52年度 6か月 コンタクトレンズ製造・修理 1,577,551円
マンジュ 19歳 S.56年度 51か月 視能訓練士 6,806,469円
シバコティ 27歳 S.58年度 21か月 眼科器械組立・修理 2,971,037円
モハン・ラナ 32歳 S.60年度 14か月 眼科細菌検査員 3,035,503円
シバコティ 29歳 S.61年度 4か月 レーザー装置補修・点検 661,500円
ホーマン・ネパリ 31歳 S.61年度 12が月 盲人リハピリ指導員 1,879,750円
デリップ・プラダー 32歳 S.59年度 26か月
継続中
コンタクトレンズ修正、テレビ技術 4,833,249円

 我々が養成した人材が、帰国後、全員期待通りの成果を上げているかといえばそうではない。ドウアリカマン、シバコティの場合が成功、マンジュの場合がかろうじて及第、シバ・プラダンの場合はいまのところ失敗、新しく帰国させた2人についてはまだ観察の必要があるといった評価が妥当な評価といえるだろう。成功の原因は、ネパールがその職種に強い需要があり本人に収益をもたらす仕事であったという条件をかなえたからである。成功しなかった場合を考えてみると、研修内容に情熱をもっているわけでもないのに、ただ日本へ来るために研修に応募し、帰国してもネパールのいろいろな事情から活動が阻まれ、また活動している場合でも給与だけで十分な生活ができないという場合である。また研修内容が高度すぎて、ネパールの社会的条件がさまざまに妨害したものである。ネパール人側の要望があっても、安易にそれを受け入れてはならないし、むしろ、我々がネパールを熟知して彼らを指導する役を果たさねばならない。

4.当会の活動の展望

 我々は、宗教的理念ももたず、大学という基盤ももたない非営利的な援助団体として、この活動を継続してきた。こういう団体は、経済的に弱く、したがって継続性をもたないのが通常である。継続性を重視すれば、国内の支援団体を確保することに力をそそがなければならないし、それは、海外での活動費をそちらに回すことでもある。NGOははじめから相反する二つの仕事をかかえているといえる。
 ボランティアの活動が、経済効率だけで論じられるとしたら不経済この上ないことになる。具体的には、活動資金の一部をバザーから得ることを年間の慣例とし、研修生を日本に呼んで、市民と交流させることは、効率の問題以上に、関係者たちがこの活動に自分も参加しているという意識をもってもらうという、人間の心の問題として満足感がある。NGOにあっては、このことは小さな問題ではない。
 一方、私自身の実際に関係した中から、政府機関であるJICAのやっていることを眺ると、これは余りにも2国間協定ということに捉われすぎて、協定が形のうえで整いさえすればそれで良いということになりすぎていると思われる。その結果は、相手国の状態では使用できないような高級な機械を送ることになったり、先に送った機械の本体に結合しないような部品を送ったりという事実になる。これらは、事情を知らない偉い人たちが取り決めたことを批判修正もなく遂行しようとすることから起こる。その間には、さらに営利を目的とした企業の介在がある。企業の事情で選ばれたプロジェクトである。事前に調査団を派遣したとしても、短期の調査では調査団の理解し得た範囲内での援助方針にすぎない。これらのことは、厳しく排除されなければならない。これは政府機関が十分にその知識をもつNGOを活用しないことから起こることといってもよい。それは、またその事実そのものが悪いというに止まらない。このような無駄を目の前にしては、折角育ちかけている援助団体の、以後の活動を続けてゆく意欲を失わせることにもなる。政府研修生と、民間研修生の間にある大きな待遇の格差は彼ら同士の不満を呼ぶと同時に、乏しい経済のもとで援助を統けている民間非営利援助団体のやる気を摘み取ることになる。
 それでは、民間団体はどのようにしたらよいのだろうか。そのことに答えることは、それぞれの団体のもつ理念によって異なると思う。私は、私たちがやってきて成功した一つの方向について述べておきたい。かねてより、ネパールにレーザー光凝固装置の導入を考えて調査してきたが、当会自身の力では購入することができなかったので、JICAの力を借りることにした。その際、我々は、かねて日本で、眼科機械修理の研修を終えて帰国させてあったシバコティ氏をもう一度日本へ呼んで、レーザー装置の補修点検の技術を研修させ、同時にネパール側からのレーザー装置に対する要請がJICAに届くようにした、こうして、2病院に対して各1台のレーザー装置を入れることに成功した。すべてを政府機関に頼るのでなく、できるだけのことは自力で行い、計画の全体像は自分のほうでもちながら、その一部を(経済的には大部分を)政府機関に依頼するという方法をとった。政府機関には「ポリシー」というものがあって、それに合わないものは受け付けないから、政府が受け付けてくれるように、自分たちの計画を調整したのである。しかし、この根底にあるのは、政府側の信用である。民間団体は、はっきりした理念をもった「その分野での専門団体」として、政府機関にも信用され、政府機関の依頼を受けたらそれに応じられるだけの力をもつことが大切であろう。要は官民協力の道であるが、それにしてもその道に辿り着くまでの道程が険し過ぎる。私が、当学会に期待するところは、政府と民間団体との仲介役をも果たして欲しいということである。その方法は、まだこれから探していかねばならないと思う。


The Role of NGO
Itaru KUROZUMI
Director,Association of Ophthalmic Cooperation in Asia

  The Association of Ophthalmic Cooperation in Asia(AOCA) was founded in 1973 as a non-governmental association to aid developing nations in the field of ophthaImic health.The actual activities have been conducted, With the cooperation of Nepal, in eye camps. The aim has been to increase the man power in ophthalnic health, to donate ophthalmic machines,and to teach new techniques in ophthalmology.

  In the past fifteen years, we have trained eight paramedics as leaders in ophthalmology in Nepal Eye Hospital and Bir Hospital in Kathmandu. In that time, many new machines have been donated and 3,000 cataract operations have been performed. In addition. we have donaled the equivalent of 142 million Yen to Nepal.

  The main purpose of NGO, however, is to maintain diplomatic and long-lasting international relations with Nepal and other developing countries. We plan to achieve this goal through working hand-in-hand with Official Development Aid (ODA) are experts in their field of good international cooperation.


主題(副題):シンポジウム/日本の国際医療協力の反省と展望 NGOの立場から

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