厚生労働科学研究費補助金(障害者対策総合研究事業)分担研究報告書
障害(児)者の個人避難計画と避難所における配慮ガイドラインの作成
~埼玉県所沢市吾妻地区 荒幡町内会の場合~
研究代表者 北村弥生 国立障害者リハビリテーションセンター研究所 主任研究官
研究協力者 斉藤操 所沢市荒幡町内会長
白神晃子 国立障害者リハビリテーションセンター研究所 技術補助員
研究要旨
消防OBが町内会役員として平成18年から開始した防災活動について、町内会長、民生委員、当事者家族を対象に面接法による調査を行った。その結果、以下のことが明らかになった。1)消防OBの知見があっても、自主防災組織及び災害時要援護者支援の体制を整備するのに町内会では3年の年月がかかり、要援護者の登録率が高いわけではなかった。また、避難支援と避難所の運営は未解決であった。2)独居高齢者世帯と高齢者世帯だけで、民生委員一人当たり50世帯程度の担当があり、災害時の即時的な安否確認を民生委員だけで行うのは困難であった。また、地域の障害児者の所在と支援方法の情報を民生委員は持っていなかった。3)障害児者の家族も災害時の対処方法を知らずに不安を抱えていた。これからの結果から、当事者、家族、地域住民と共に、障害と災害時の避難に関する具体的な知見を蓄積し普及することが必要であることが示唆された。
1.はじめに
内閣府が平成17年度に「災害時要援護者支援ガイドライン」を発表して以来、先行事例が紹介され、全国民生委員児童委員連合会は平成19年度から「災害時に一人も見逃さない事業」を実施し[1]、自治会も関心を持っているが[2]、災害時要援護者(以下、要援護者)支援の課題を解決し方法を具体化した自治体・自治会は全国的に見当たらない。多くの先行例では、市町村が作成した災害時要援護者名簿は、民生委員や町内会に提供され、地域で支援者とのマッチングを行い、個別支援計画を立てることが目指されている。しかし、マッチングと個別支援計画作成の具体的方法に課題が残っていることが指摘されている[3]。そこで、本研究では、要援護者と支援者のマッチングおよび個別支援計画作成に資することを目的に、先駆的な町で行われている要援護者支援の方法と課題を明らかにした。
2.方法と対象
災害時の要援護者支援に対する埼玉県所沢市吾妻地区荒幡町内会の取り組みについて面接法による調査を町内会長、民生委員、要援護者の家族各1名、合計3名を対象に行った。荒幡町内会の自主防災会および要援護者支援は平成24年度所沢市底力支援事業にも採択され(図1)、市内でも活発であるとの情報を市役所危機管理課および障害福祉課から得たほか、市内の発達障害児の親の会から推薦をされたからである。
自主防災会および町内会における要援護者支援体制については、荒幡町内会長A氏(70歳代、男性)に調査した。A氏は平成14年に所沢市消防本部(消防長)を定年退職、平成17年より町内会の役員に就任し、平成22年より町内会長であった。
地域における要援護者支援に関する民生委員の役割については、吾妻地区民生委員長のB氏(70歳代、男性)に面接調査を行った。B氏は民生委員会では福祉部に所属していたが、障害、福祉、防災に関する専門的知識はなかった。
要援護者の家族としての準備状況については、家族に要援護者2名がいる町内会員Cさん(40歳代、女性)に面接調査を行った。Cさんは主婦で、夫、夫の母親、中学生と小学生の子どもの5人家族で、夫の母親は脊柱管狭窄症のために歩行困難、長男は発達障害であったが、二人とも要援護者登録はしていなかった。夫は近隣市の民間会社に勤務し、災害時には職務として地域支援にあたり帰宅することは期待できなかった。
図1 平成24年度所沢市底力支援事業で事例発表をする斉藤会長
調査は平成24年9月および12月に各2時間半実施され、ICレコーダーに記録し逐語録を作成して内容を整理した。A氏からは町内会の資料提供を受け、地域に関する情報はインターネットを介して入手した。本研究は、国立障害者リハビリテーションセンター倫理審査委員会の承諾を得て行った。発表原稿は、A氏、B氏とCさんに固有名詞の表記を含めた内容の確認を依頼し、指摘された修正を加えた。
3.対象地の概要
所沢市は埼玉県の中央部南端に位置する人口30万人の都市で、11行政地区251自治会があり、高齢化率はどの地区も約20%である(表1)。所沢市の三障害の手帳保有者数は12,167人で、特定疾患等医療受給者証所持者は2,477人 [4]、0~3歳児は約11,000人(平成24年)であった(表2)。吾妻(あづま)地区は所沢市南部で東京都に隣接し、北秋津、久米、荒幡の3つの旧村からなり、西武新宿線・池袋線の線路をはじめ、所沢街道、府中街道など東京への動脈を要する(図2)。人口も人口密度も吾妻地区は所沢市の11行政地区中4番目である(表1)[5]。荒幡町内会は吾妻地区の西端に位置し、北半分は市街地、南半分は西武園ゴルフ場が占め、一戸建ての住宅街が目立つ世帯数約3,200、人口約8,000の地域で、町内会会員数は2,200であった。
図2 所沢市の11行政区(平成24年度版自治会・町内会の便利帳[5]より転載)
表1 地区ごとの人口、高齢化率および要援護者数
地区名 | 人口 | 人口密度 (人/k㎡) | 高齢化率 |
---|---|---|---|
並木 | 25,464 | 4672 | 26.2% |
所沢 | 30,963 | 13462 | 17.8% |
新所沢 | 28,433 | 13938 | 20.1% |
新所沢東 | 15,556 | 11438 | 20.4% |
松井 | 43,097 | 6641 | 20.2% |
吾妻 | 37,146 | 7312 | 19.9% |
山口 | 29,791 | 2967 | 22.8% |
小手指 | 47,616 | 7054 | 19.7% |
冨岡 | 22,949 | 1783 | 25.7% |
柳瀬 | 19,066 | 2003 | 14.2% |
三ヶ島 | 42,654 | 4227 | 24.8% |
合計 | 342,735 | 4761 | 21.2% |
人口、高齢化率は平成24年度版自治会・町内会の便利帳[5]より転載。
表2 地区ごとの障害者手帳所持者数
地区名 | 身体障害者手帳所有者 | 療育手帳所有者 | 精神障害者手帳所有者 | 三障害者 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
数(人) | 比率% | 数(人) | 比率% | 数(人) | 比率% | 数(人) | 比率% | |
並木 | 840 | 3.30 | 171 | 0.67 | 158 | 0.62 | 1169 | 4.59 |
所沢 | 752 | 2.43 | 119 | 0.38 | 181 | 0.58 | 1052 | 3.40 |
新所沢 | 727 | 2.56 | 135 | 0.47 | 164 | 0.58 | 1026 | 3.61 |
新所沢東 | 428 | 2.75 | 60 | 0.39 | 82 | 0.53 | 570 | 3.66 |
松井 | 966 | 2.24 | 226 | 0.52 | 178 | 0.41 | 1370 | 3.18 |
吾妻 | 901 | 2.43 | 147 | 0.40 | 183 | 0.49 | 1231 | 3.31 |
山口 | 717 | 2.41 | 159 | 0.53 | 162 | 0.54 | 1038 | 3.48 |
小手指 | 1042 | 2.19 | 205 | 0.43 | 245 | 0.51 | 1492 | 3.13 |
冨岡 | 619 | 2.70 | 107 | 0.47 | 100 | 0.44 | 826 | 3.60 |
柳瀬 | 421 | 2.21 | 93 | 0.49 | 60 | 0.31 | 574 | 3.01 |
三ヶ島 | 1289 | 3.02 | 234 | 0.55 | 269 | 0.63 | 1792 | 4.20 |
市外 | 6 | ― | 12 | ― | 9 | ― | 27 | ― |
合計 | 8708 | 2.54 | 1668 | 0.49 | 1791 | 0.52 | 12167 | 3.55 |
情報提供(所沢市役所, 平成24年)
4.結果
4.1.所沢市及び荒幡町内会の災害経験と予測
所沢市地域防災計画には、「埼玉県に大きな自然災害の記録は少ない」と記載されており、昭和40年以降平成24年までの48 年間の災害による主な被害は台風や集中豪雨による浸水や家屋の損傷12件に留まる[6]。しかし、そのうち平成17年以降の6年間に6件が集中しており、都市化による新しい自然災害に注意が喚起されている。
一方、関東地方には関東大震災レベルの地震が100年間隔で発生していることは広く知られている。歴史を遡ると、1649年の下野の地震は川越が震源地と言われている。被害記録はないが、当時、震源地の近隣に人家は少なかったためと推測され、震源地から約40Kmの距離にある隣県の東京都台東区上野寛永寺の大仏の頭が落ちたと記録された[7]。関東大震災では、所沢は「震い方激烈にて逃げ出るにも容易に歩行けず」という記録があり、山口村では死者1名、負傷者3名、他の地域でも公共建物や民家の壁土のはげ落ちなどの被害は多かったと伝えられている[8]。
所沢市地域防災計画における地震の被害予測は、東京湾北部地震よりも立川断層地震の方が大きく、全壊1,272棟、半壊7,506棟であり、冬18時の場合には死者119名(所沢市人口の0.04%)、負傷者1,525名(0.4%)であった。また、冬18時で風速8m/sの場合の焼失危険予測は2,725棟で避難者数が最大となり、1日後避難者は約37,000名(10.8%)、断水人口は約108,000名(31.3%)と予測されている[6]。さらに夏12時に発災した場合、所沢市への帰宅困難者は約74,000人(21.5%)であった。
所沢市荒幡には、北境に西から東に流れる柳瀬川の北を鉄道と幹線が走るため、6つの架橋が地震で破壊されると孤立することは、調査においてA氏から指摘された。また、「平日日中には高齢者が目立ち、災害時の避難に困難が増加することから、大災害時の安全な避難行動の確保には危機感を持っていたこと」が、災害時要援護者事業荒幡町内会実施要領に記載されている。
東日本大震災により、荒幡地区では人造山の荒幡富士(標高119m)の頂上にある浅間神社の社(明治32年建立)に若干の損傷があった他には計画停電もまぬがれた。しかし、東日本大震災では福島県の内陸部のダムが決壊し、7名が犠牲になっていることから[9]「『地震で山口貯水池(通称、狭山湖)が決壊したり、決壊しなくても低地に水分が移動した場合には、荒幡地区全体が水没する』という噂があり不安だ。『小手指駅方面の高いところに車で逃げようと思っている』という人も多いので大渋滞が心配」とCさんは回答した。
4.2.荒幡町内会における災害時要援護者支援
(1)自主防災会の設立
A氏は、所沢市消防本部に勤務していたときは「自主防災会を全市に広げることに従事していたが、(退職して)地元に戻ったところ、自主防災会はできていても、いざという時に機能しないことがわかり、町内会に呼びかけて検討を開始した。自主防災会の活動ではレールを引くのが非常に難しい。(町内会役員は)自主防災活動をやりたい気持ちはあるが、どうやっていいかわからない。消防の経験者が退職して地域に戻った時に、自分のノウハウを地域に恩返しすることが大事だが、基本的なことを学ぶために、先進例として県内の鶴ヶ島市を視察した。」と語った。鶴ヶ島市は先進例として知られていたためであった[10]。 町内会は、平成17年から19年には月に1回または2回のペースで防災小委員会を開催し、平成18年に理事と隣組長を対象にアンケートを行った。防災小委員会は、順次、防災委員会、自主防災会に発展した。自主防災会と町内会の連携を継続するために、防災委員長に町内会副会長、自主防災会本部長に町内会長、自主防災本部副本部長に町内会筆頭副会長2名を兼務とし、自主防災会の総務班、情報班、救出・救護班、消火班、避難誘導班、警護環境班、給食・給水班、物資調達班の班長を町内会の8名の理事が分担し、それぞれの任務内容と自宅電話番号も一覧表にして、毎年更新している(図3)。 自主防災会では、平成18年から3年間は毎年50万円、平成22年から24年までは40万円の予算を組み、資源ゴミ回収の報償金を充てているが、予算捻出は困難な状況であるという。
(2)アンケート
平成18年度のアンケートは251名の理事および隣組長を対象として行われ、218名(世帯)から回収され(回収率86.9%)、集計結果は町内会員に回覧された。町内の7地区の間に回答の差はほとんどなく、「防災に関する家族間の話し合い」は有156世帯62%、無62世帯28%であった。「想定している災害種類」は地震143世帯66%、火事51世帯23%、風水害31世帯14%、であり、「地震のための備え」は懐中電灯136世帯62%、非常持ち出し袋82世帯38%、水・食物76世帯35%、備え無し46世帯21%であった。「地区の避難場所」を知っている167世帯77%、知らない41世帯19%、「最寄りの避難場所を考えたことがある」は有71世帯33%、無129世帯59%であった。「家族に一人で避難場所に行けない人がいる」は37世帯17%の54人で、「一人で避難できない理由」は54人中乳幼児24人44%、体が不自由12人22%、高齢11人20%、病気3人6%、その他4人7%であった(重複回答あり)。「自分の所属する隣組内での要援護者の存在」は、わからない72人33%、おおよそ把握している63人29%、把握していない35人16%、把握している33人16%であった。「所属する地区の備蓄倉庫の場所」は、知っている139人64%、知らない71人33%、「地区の倉庫の備蓄内容」は、知っている102人47%、知らない102人47%であった[11]。
(3)荒幡自主防災会の活動
自主防災会では、7つの活動に取り組んでいた。以下に「自衛消防隊の結成」「発災直後の安否確認と情報伝達」「防災備蓄倉庫の点検と資材・機材取り扱いの習熟」「町内備蓄品の整備」「自主防災訓練の充実」「災害弱者の対する支援体制の確立」「住民の防災意識の啓発」の7つの活動を概説する。
(ⅰ) 自衛消防隊の結成
平成18年2月9日、主として消防署員OBと消防団員OBを中心とした15名の隊員で、自衛消防隊を再結成した。大災害時に同時多発火災の発生や橋の落下により地域が孤立した場合には、公的消防活動が地域に到達することは期待できないために、自衛消防隊が必須と考えられたからであった。自衛消防隊では、荒幡会館の敷地内に器具庫、小型動力消防ポンプ、被服等を整備し、定期的に点検と訓練を実施していた。自衛消防隊に対しては市から年間15,000円の補助金が出る。防火衣は市から払い下げられた。
A氏は「地震の後には、電気が復旧した際に断線箇所からの発火があることは、阪神・淡路大震災でも経験された。この火事を防ぐためには絶縁抵抗試験を電力会社が全戸に行ってから通電すればよいが、全戸検査の間に電気の復旧をしないのも現実的ではない。また、断線は壁や天井裏で起こるため発火は気づき難く、消火も困難である。さらに、地震で壊れた熱帯魚の水槽の中のヒーターが通電時に火災を起こしたり、ニクロム線で風呂の湯を沸かす装置による火災等、通常では考えつかない火災も地震に関連して起こっている。」と語った。
(ⅱ) 発災直後の安否確認と情報伝達
荒幡町内会では、災害時の安否を五層で伝達する仕組みを作った。第一層は防災リーダー(隣組長)であった。221の隣組の通常の活動は下水が整備されていない頃は下水の清掃などがあったが、現在は、回覧板配りや募金が主な活動であるという。毎年交代する隣組長を防災リーダー、前年度の隣組長を副リーダーとして、隣組全世帯が記載された安否確認カード(図3)を組長は2部自宅に常備し、発災時には、隣組で決めた0次避難場所への参集者とともに、参集しなかった会員を隣組員で手分けして訪ね、確認し結果を記載する。記載した安否確認カードのうち1部は、一時避難場所で理事に提出する。一時避難場所とは、近隣の駐車場など複数の隣組に共通する場所である。隣組内で救助を必要とする人がいる場合は、近所の人に大声で知らせるとともに、隣組員で救出が困難な場合は理事に速やかに報告する。地震の規模が大きく、指定避難場所(荒幡小学校)に避難するときは、100円ショップで購入したアクリル板で自作した隣組長旗をかかげ、理事の指示に従い移動する(図4)。防災リーダーが不在の場合は、副リーダーが前年度の安否確認カードにより役割を引き継ぐ。安否確認カードの左欄には地区番号・理事の番号・班番号・隣組番号が記入される。
図3 安否確認カード(左表は年に1回更新され、右表は災害時に記入する)
図4 理事旗を持つ斉藤会長
町内会の名簿は平成16年以来作成されていないが、防災上の必要性を住民に説明し、3年かけて、安否確認カードに電話番号を記入することとした。毎年、隣組長は年度始めに会費徴収する歳に、安否確認カードの内容に変更がないかを確認していた。
安否確認カードに記載されているのは町内会会員のみであるが、会員でないから安否確認や避難支援をしないというわけではなかった。「旅行に行った時とか外出先で災害に遭遇した時に、会員でないから手を差し伸べてもらえない、ということはない」とA氏は話した。特に、要援護者支援に関しては会員でなくても市役所に登録した人はすべて安否確認の対象にすることとした。その理由をA氏は、「昔からよくいう村八分でも、亡くなった時と火事の時は手を差し伸べるのが当然だから」と語った。
安否確認カードの作成には最初は反対もあった。「災害時には一軒ずつ回って、その場で、氏名を書き留めればよい」という意見もあったが、「緊急時で誰もが頭が真っ白になっている時に、相手の顔を見て名前を書くという作業はできないだろう」と町内会会員を説得したという。
第二層は理事(7名)で、一時避難場所において担当区内の防災リーダー(隣組長)が提出した安否確認カードの集計表を作成し、地震の規模が大きく指定避難所(荒幡小学校)へ避難する時は、理事旗を先頭に隣組長旗とともに安全に留意して避難する。隣組長旗も理事旗も布では垂れ下がって見えないため、アクリル樹脂で作られていた。指定避難場所に到着後、10名の副会長のうちの担当副会長に安否確認集計表を提出し、避難者を体育館等へ避難させる。副会長の年齢は60歳代5名、50歳代1名、70歳代1名であった。理事ひとり当たりの隣組数は3から9であった。
第三層は班長(地区担当副会長)7名で、指定避難所において、理事から安否確認カード集計表を受理し、その結果を情報班に報告する。次いで、任務分担に基づき、副班長は混乱した状況の中で活動班員が円滑に活動できるよう指示し、刻々と変化する状況を随時、担当副本部長を通じ、本部長に報告する(図5・表3)。民生委員9名は、情報班から要援護者の安否確認の情報を入手し、避難所の救出救護班および避難誘導班の協力を得て、要援護者の避難を支援することが計画されていた。
第四層は副本部長(町内会筆頭副会長、防災委員長)であり、指定避難所において本部長を補佐するとともに、その傘下の活動班の把握に努め、本部長に随時状況報告をし、時に円滑な運営のため活動班への指示をする。
第五層は本部長(町内会長)で、指定避難所において全体を統括し、市役所の現地災害対策本部と連絡を行う。さらに、架橋が落下した場合の物資や病人の搬送、通信が断絶した時の連絡体制の確立は今後の課題であり、コミュニティFMラジオ放送の開設が提案された。
(ⅲ) 避難所の運営に関する予備知識
避難所の運営も今後の課題であったが、A氏は消防長としての経験から、基本的事項についての見通しを持っていた。まず運営主体については「学校は場所を提供するだけとなっており、初期には学校と協議しながら町内会が行っても、長期化した場合は避難者で運営組織を作るのがよい」と、A氏は語った。市役所職員は、市内に約60カ所ある指定避難所に派遣されるという。避難者の運営組織として,荒幡自主防災会では,震度5以上の地震発生時に8つの班を設け運営を行うこととしていた(図5・表3)。
水の確保については、指定避難所の浄水機、保存水、井戸、市の給水器、販売店との協定、各家庭での3日分の備蓄を挙げた。浄水機は指定避難所である小学校に1機あり、プールの水を浄化して飲み水として使用する。ただし、浄水機のフィルターは3万円と高価で、防災訓練の際に使用する予算が確保できないことは課題であった。井戸については、「市内には非常用飲料水として指定された井戸が30箇所程度あること」「井戸水に雑菌があるために生活用水にしか使えない場合があること」「平時に使用していない深い井戸の場合にはコンプレッサーで空気を送り、その圧力で吸い上げる必要があること」をA氏は話した。また、給水車(市では、加圧式3.8㎥および2.0㎥各2台合計4台を所有[6])で飲料水の配送を行うことができることをA氏は知っていた。
トイレに関しては、「汲取をする車が入れる場所にしか仮設トイレは設置できないこと」「そのためには、指定避難所である小学校の校庭の駐車空間を制限しなければいけないこと」が述べられた。
避難所内の間仕切りについては、「授乳、おむつ交換、静養のための空間を作るとよいと言われているが、段ボールは保管場所が必要であることは課題であるため、一般家庭からふすまを外して来て利用する」ことがA氏から提案された
図5 自主防災会本部組織図
表3 震度5以上の地震発生時の荒幡自主防災会の対応
班名 | 任務内容 | 協力依頼者 |
---|---|---|
総務班 | 自主防災会本部設置 各班との連絡・調整 避難所開設の支援 防災備蓄品の提供・管理 外来者受付 | 副会長:全員 |
情報班 | 被害情報の収集 情報の伝達(現地災害対策本部、各班) 関係機関への要請 本部長と連携しマスコミ対応 | 2地区 理事・隣組長 |
救出救護班 | 被災者の救出・救護 救護所の設置と運営 救急車の要請 | 5地区 理事・隣組長 民生児童委員 看護師、介護福祉士 ホームヘルパー |
消火班 | 出火防止広報 消火器による初期消火 可搬ポンプによる消火活動 | 7地区 理事・隣組長 自衛消防隊員 (消防団第八分団) |
避難誘導班 | 住民の安否確認と避難誘導 災害弱者安否確認・情報の収集 避難所の開設協力 ペットの屋外一時預かり | 全地区 理事・隣組長 民生児童委員 要援護者支援委任者 ペット飼主 交通安全協会員 |
警護環境班 | 防犯巡回の実施(町内・避難所) 避難所の衛生管理(トイレ、ゴミ置場) 避難場所の駐車場設定・管理 | 6地区 理事・隣組長 交通安全協会員 防犯推進委員 環境推進委員 |
給食給水班 | 飲料水、非常食の調達・配分 炊き出し等の実施 救援物資の分配と保管 浄水機の管理 | 4地区 理事・隣組長 女性部員 日赤奉仕団 |
物資調達班 | テント・シート等の運搬・設営 テーブル・座布団等の運搬 発電機(照明)の設置 | 3地区 理事・隣組長 自衛消防隊員 |
(ⅳ) 自主防災訓練の実施
平成19年より、毎年9月初めには、荒幡町内会自主防災会は防災訓練を荒幡小学校を会場として開催し、約800人の参加者を得ている。「指定避難所である訓練会場が高台にあり、要援護者が移動するのは困難であること」が推測され、「防災訓練への要援護者の参加は強く促されていなかった」と、A氏は語った。それでも、平成24年度には訓練会場で、車椅子10台を使い、市内の病院の看護師長がボランティアに対して車椅子操作を行う研修を行った。また、平成24年度には、橋が落下した場合を想定して、指定避難場所までの避難経路の探索を行った。
市から提供される防災訓練費用は、吾妻地区の5会場あわせて18万円であった。荒幡町内会では参加人数が多いことから、平成23年度には5万円の配分を受けたが、総費用は自衛隊を呼んだ多いときで15万、節約しても8万円かかっており、差額は資源ごみの回収に対する報償金などでまかなっていた。
(ⅴ) 防災備品の整備と点検
荒幡には、指定避難所である荒幡小学校に所沢市の防災備蓄倉庫が、荒幡会館に町内会の防災備蓄倉庫があった。備蓄されている物品を表4と5に示す。荒幡小学校の正門・防災備蓄倉庫・体育館の鍵は防災本部長と副本部長が、荒幡会館の鍵は会館長と町内会副会長以上が保管していた。また、高台にある指定避難所までの要援護者の避難に備えて、荒幡会館には表に記載された以外に簡易担架を作るための毛布と竹および組み立て式リヤカー2台が追加された。他には、乳児用のミルクとオムツ、女性の衛生用品、高齢者のオムツの備蓄も検討しているという。
表4 所沢市の防災倉庫の装備品(荒幡小学校校庭)
品目 | 数量 |
---|---|
投光機(発電機付) | 2台 |
浄水機 | 1台 |
担架 | 2台 |
テント | 1張 |
車椅子 | 2台 |
リヤカー | 2台 |
大鍋 | 6個 |
ヒシャク | 5本 |
カセットコンロ | 8台 |
カセットボンベ | 24本 |
毛布 | 100枚 |
トイレットロール | 96個 |
ボックストイレ | 100台 |
和式トイレ | 2台 |
弱者用トイレ | 1台 |
トイレ凝固剤 | 20セット |
救急リュック | 2セット |
救急箱 | 1個 |
アルファー米 | 250食 |
三重 大コンロ | 1台 |
表5 荒幡町内会防災倉庫の装備品(荒幡会館)
品目 | 数量 |
---|---|
乾燥餅 | 420食 |
カンパン | 792食 |
保存水(500㎖) | 1080本 |
保存水(20ℓタンク) | 10本 |
かまどセット | 6基 |
カセットコンロ | 10台 |
同上用 ガスボンベ | 30本 |
簡易トイレ(200回分) | 1基 |
懐中電灯 | 10本 |
救急箱 | 1個 |
(ⅵ) 災害時要援護者支援事業の荒幡町内会実施要領
平成20年に所沢市が災害時要援護者登録事業を開始し、町内会に要援護者名簿が送付された。要援護者名簿登録者に対しては、所沢市役所危機管理課職員4名では直接に支援をすることは現実的ではないため、町内会に要援護者の安否確認を依頼されたからであった。しかし、A氏は「送付資料の内容だけでは、どんな対応をすればよいか判断に苦しんだ」ため、荒幡町内会では、平成21年4月から町内の民生委員・児童委員9名の協力を得て、独自に災害時要援護者支援事業の荒幡町内会実施要領を定めた。また、要援護者名簿は、市役所から民生委員には提供されなかったため、町内会長から民生委員に提供された。荒幡町内会実施要領では、1)要援護者への支援内容の確認、2)要援護者に関する情報共有のあり方、3)支援者の役割などを定めた。
常備する安否確認カードには要援護者に印をつけてあり、災害時には、隣組長は、事前に定められた支援者から要援護者の安否報告を受ける。救出や移動支援が必要な場合は、隣組内あるいは近隣の隣組と協力し合うことが予想されるが、実効性を持たせるには災害時個別計画を立てる必要があり、計画を立てている例は地区内にはまだなかった。以下に、荒幡町内会実施要領の取り決めを概説する。
(a)申請手続き
町内会は要援護登録者のうち町内住民のリストを市役所から受けとった後で、申請者を民生委員の同行を得て訪問し、町内会としての申請を受け付け、要援護者の隣組内の住民に支援者の依頼をする。町内会員以外にも発災時の対応では区別をしない方針であるが、要援護者支援は準備が必要であるため、事前に要援護者の協力が得られない場合は対応を保留することも要領には明記された。
(b)情報共有
町内会の要援護登録をする際には、登録者から追加の情報を得る。市役所から町内会に知らされる情報は、氏名、年齢、住所、電話番号、要援護の区分(表6左列)のみで、支援には不十分であるためである。また、市役所に提出された書類にも要援護区分が未記入の場合も多いことは市役所危機管理課から回答を得た。要援護者に関して集積した情報は、町内会役員、民生委員、担当副会長、担当理事、担当隣組長、支援協力者に提供される。隣組長は毎年交代するため、数年すれば、隣組内の共有情報となることは、あらかじめ要援護者に同意を得る。表6右列に、荒幡地区で収集する要援護者情報を示した。
表6 所沢市と荒幡町内会の要援護区分
所沢市 | 荒幡町内会 |
---|---|
1 高齢者 | 1-1 終日単身 1-2 日中単身:単身の曜日・時間帯 1-3 要介護(寝たきり) 1-4 認知症 1-5 高齢者世帯 1-6 夜のみ単身:単身の曜日・時間帯 1-7 歩行不自由 ※ 訪問介護を受けている、デイサービスを受けている |
2 身体障害(児)者 | 2-1 視覚 2-2 聴覚 2-3 言語 2-4 肢体不自由 2-5 内部 ※ 訪問介護を受けている |
3 知的障害(児)者 | 3-1 大人 3-2 こども |
4 精神障害(児)者 | 4-1 大人 4-2 こども |
5 | 5-1 乳幼児:出生年月 5-2 児童:学年 |
6 妊産婦 | 6 妊産婦 |
7 外国籍住民 | 7 外国籍住民:国籍 |
8 その他 | 8 その他 |
特殊な医療器具の使用:器具名、予備の有無 |
(c)要援護者支援の目標
発災時における支援者の役割は、要援護者の安否を確認し、隣組で定めた0次避難場所において担当隣組長に報告することである。要援護者が自宅からの脱出に支援を必要とする場合には、隣組構成員は状況を判断し、要援護者を0次避難場所または安全な場所まで誘導する。さらに1次避難所(荒幡会館)、指定避難所(市立荒幡小学校)へ要援護者を避難誘導するか否かは、余震や被害状況から判断する。災害時の要援護者に関する情報は、他の町内会員と同様に、要援護者→支援者→担当隣組長→担当理事→副会長→会長の順に伝達される。ただし、支援者は、支援者自身と家族の安否確認を第一に行い、余力がある場合に要援護者支援に協力し、協力できない場合にも責任は問われないことも要領に明記した。
(d)要援護者情報の更新
要援護者情報の更新及び支援者の継続確認は、隣組長が交代する年度始めまたは隣組会費を集金する際に行われ、安否確認カードに反映される。荒幡町内会では19名の要援護者が登録されていた。内訳は高齢9名、要介護5名、知的障害者2名、身体障害1名、肢体不自由1名、視覚障害1名であり、聴覚障害と精神障害の登録はなかった。「町内会としては、要援護者がどの地域に住んでいるかを地図上で確認することや、手上げ式で登録した以外に要援護者を探すことはない」とA氏は答えた。
(ⅶ) 住民の防災意識の啓発
平成18年から年1回、普通救命講習会を開催し、毎回30人前後が受講していた。東日本大震災後の平成23年9月には、荒幡自主防災会は「荒幡防災マニュアル(震度5強以上の地震発生に備えて)」を新たに作成し、町内会登録世帯に配布した。「荒幡防災マニュアル」には、一般的な災害時の対処方法、災害準備の他に荒幡自主防災会としての備えと対応が記載されていた。しかし、町内会で作成した荒幡防災マニュアルは非会員には配布されていないため、非会員には、町内会の安否確認体制など防災活動は知られていなかった。
他に、登下校時における地震発生時に備えて、児童・生徒の通学路に住宅の駆け込み避難所を指定したり、地域の危険箇所の調査と住民への周知を行っていたが、A氏は「安全確保の体制づくりは完成していない」と答えた。
(ⅷ) 要援護者支援準備に関する課題
A氏が提示した災害時要援護者支援に関する課題は3点あった。第一は、要援護者登録数が19(荒幡地区人口の0.24%)に留まっていることであった。第二は、現在の要援護者への支援目標が0次避難場所での安否確認に限られており、適切な避難所への誘導、避難所での生活の支援には至っていないことであった。第三は、毎年、9月初めに町内会主催で行われる防災訓練に要援護者が参加していないことであった。
4.3. 災害時要援護者支援における民生委員の役割
(1)要援護高齢者の把握
所沢市における高齢者福祉施策のひとつに、市役所が民生委員を通して、65歳以上の高齢者に対して毎年行っている要援護高齢者調査がある。地域の中の独居高齢者、高齢者世帯、寝たきり高齢者を支える家族、歩行できる認知症高齢者を支える家族など、介護必要はないが何らかの支援を必要とする人がどのくらいいるかをつかむ調査である。所沢市は個人情報保護審議会の承認を得て、住民票から抽出した65歳以上(平成23年からは70歳以上)のデータを民生委員に提供している。成果として、孤独死や虐待・介護放棄が毎年、数例報告されている[12]。
この調査の経験から、荒幡における要援護高齢者世帯数は、8名の民生委員一人当たり約56であった。この数は、「迅速に無理なく安否確認と危険への対処ができる人数ではない」とB氏は考え、これらの情報を町内会と共有し、支援に役立てたいと話した。しかし、要援護高齢者から情報を共有する許可を得ることは容易ではないと推測していた。なぜならば、町内会が市役所から得た要援護者名簿掲載者の情報を隣組長に提供することを確認した際に29名中10名34.5%の辞退者があったからである。辞退理由は、「警察や消防が救助に来てくれるのではければ登録したくない」「隣組で安否確認ができるなら要援護者登録は必要ない」「隣組長は毎年変わるため、多くの人に要援護であることを知られてしまう」と回答されたという。
また、平成18年に、全国民生委員児童委員会が「災害時に一人も見逃さない事業」を開始していたが、平成20年に出版された事業に関する書籍[13]をB氏は知らなかった。また、B氏は「民生委員でも、要援護高齢者調査の対象でない世帯主が65歳未満の場合には、障害者などの支援を必要とする住民の存在は知る方法がないこと」「世帯構成員の介護度についての情報は要援護高齢者調査でも提供されないため、課題として独自に調査しなければならないこと」を指摘した。
(2)障害者に対する支援
担当地区の住民の障害に関する情報は、市役所から民生委員に提供されていなかった。日常生活において目視で判断できるのは、車いす、白杖、手話などを使っている場合に限られるため、各民生委員は担当地域で障害者を2~3名ずつしか把握していなかった。また、住民に障害の有無や障害種別を尋ねるきっかけもないことが指摘された。「民生委員は、市役所からの依頼で毎年6月には高齢者の社会調査を、敬老会欠席者には市役所と町内会からの記念品を配布するために家庭訪問を行う。敬老会への招待者は709名で、高台の会場への出席者は294名だった(平成24年度)。会場は指定避難所の小学校なので、敬老会の時に会場までの送迎や会場のバリアフリー化の対策を行うことは、災害時にも有効であると回答された。しかし、民生委員が業務として障害者に接する機会はなかった。「障害者週間に障害手帳所有者に情報提供をするための家庭訪問などがあれば、災害時の支援方法を聞くきっかけになるだろう。」と、B氏は述べた。
また、「町内にすべての障害種別の人がいるが、支援方法がわからないために、障害に関する研修が必要」とB氏は希望した。地域によっては民生委員の企画で障害者の支援方法に関する研修を行っており、民生委員会による研修、所沢市自立支援協議会による研修もあったが、市役所が全民生委員455名を対象として開催した研修には障害者への施策および施設に関する内容はあっても具体的な支援方法は含まれていなかった。一方、過去2回の町内会の避難訓練で、車椅子を坂道で上り下りさせる方法等について看護師や障害者施設職員から研修を受けたことは、「非常に参考になった。避難訓練への障害者の参加も勧めたいが何を準備してよいかわからない。」と語った。
災害時の避難誘導については、「指定避難所は高台にあるため、要援護者の避難先は平地にあるまちづくりセンターとして、まちづくりセンターから移送したり、荒幡会館にある車いすやリヤカーを指定避難所まで往復させて要援護者を移動する具体的な避難計画も必要である」と語られた。
(3)災害時における民生委員の役割
B氏は、発災時の民生委員の役割は「本人と家族の安全を確認した後で、自分が所属する隣組の0次避難場所に行き、隣組構成世帯の安否を確認する。さらに必要があれば、徒歩20分の距離にある指定避難所に行き、テント設営や給水担当(表2の給食・給水担当)を行う。」と回答した。要援護者については、「避難所に来た高齢者や障害者からニーズを受け付け、対応する。しかし、ニーズや配慮についての事前情報がないため準備はしていない。」と回答された。町内の看護師や手話通訳ボランティアなどは町内会の運動会等の他の行事でも把握され、協力を得ているため、避難所に来ていれば支援を依頼できると見込まれていた。しかし、避難所の運営組織や現地災害本部などにニーズを申し出て支援を得る仕組みはできていなかった。
東日本大震災では、0次避難場所に来なかった要援護高齢者に対しては、複数の隣組住民が安否確認を行い、効率の改善は求められるものの町内会で決めた仕組みの有効性を確認できたという。また、他県に外出中で担当地域の安否確認をできなかった民生委員は、発災の翌朝、民生委員長に電話で担当世帯数件の確認を代行することを依頼した。
4.4.要援護者家族による要援護者支援準備に対する意見
Cさんは、すでに大震災前に、家族間の連絡方法としてNTTの「171」を利用する練習をしたり、家具の固定は終えるなど一般に推奨されている防災準備はしていた。また、大震災後は、家族員それぞれが自分の非常持ち出しリュックを用意していたが、「季節により異なる衣類の入れ替えは煩雑である」と述べた。
(1)高齢者について
Cさんは「災害時における義母の移送方法を思いつかない。自宅から近いショートステイか幼稚園に避難できるとよいが、近隣の高齢者が殺到するのではないか不安。」と話した。また、義母は、震災後に、「この場所で、大地震があったら困るから、すぐに助けに来てくれて、安全なところに避難できるように、すぐに手続きしてくれ」とCさんに話し、Cさんは「みんな被災するので、無理」と答えたという。それでも「そうしてくれると思っているところがある」とCさんは語った。
80歳代のCさんの義母は寝たきりで、災害時に自力歩行で屋外に避難できない。「自宅に車椅子はなく、あったとしても、坂道の途中にある自宅から車椅子に義母を乗せて移動することは難しい」とCさんは語った。坂道の下まで背負ったり、担架で移動しても、指定避難所である小学校は丘の上であるため、「人が背負ったり簡易担架で学校までいくのは現実的ではなく、車以外での搬送は考え難いが、近隣の道路は幅が狭いため、災害時には車で移動すると交通渋滞が予想される」という。
義母は週に4回、自宅から約1.5Kmまたは4Kmの平地にあるデイケアセンター2箇所にバスで送迎され、歩行器とヘルパーの介助で入浴サービスを受けている。しかし、「全ての利用者がデイケアセンターに避難して来たら、収容可能数の2倍から3倍になると予想される。距離的には、自宅から140mの距離にあるショートステイまで車で行くのが一番楽。歩いても、義母は約20分、Cさんは約3分で行ける。しかし、ショートステイを利用したことはなく、災害時には住民が殺到することが予想されるために優先順位に不安がある。」と、Cさんは述べた。車椅子を用意すると平時から歩かなくなるため車椅子は所有していなかったが、「坂道の下から車椅子を使えば移動が楽に早くなること」にはCさんは賛同した。
災害時に水洗トイレが使えない場合には、Cさんは義母用に紙オムツを備蓄しており、「避難所で用意してもらえる物と、自分で支度しておかなければいけない物ははっきりわからない」と語った。また、義母が福祉避難所に移送された場合、家族全員が同じ福祉避難所に避難できるかどうかも懸念されていた。
(2)発達障害児について
Cさんの長男は学区内の小学校を卒業し、調査時は市外の私立中学校に電車通学している。中学校は災害に備えて宿泊の準備をしていたが、あらかじめ、徒歩で帰宅する道順をCさんは長男と地図を持って3回ほど一緒に歩いて教え、5時間程度かかることを確認していた。学校から徒歩で帰宅をする場合には、学校に荷物を置き、運動靴に履き替えて、水分・ヘルメット・食べ物を持って帰宅することも長男に伝えていた。電車が途中で止まった場合には、近くの避難所に一人で行けるのか、駅毎に避難所までの徒歩移動経路も事前学習する必要があるかを思案中であった。
休日の在宅時に母親であるCさんがいなければ、「長男は隣組で安否確認をしていることは知っている。しかし、義母の避難に何が必要かを長男が思いつくことができないことを、隣人は理解できないだろう。」とCさんは心配を語った。また、指定避難所である小学校では、「配給があるタイミングがわからない」「冷たい配給食が食べられない」「人が多いところでテンションが上がって夜眠れない」「低覚醒の時にうろうろ動く」「別室を勧められたとしても、長男は近隣の人に診断名を知られることを嫌がっているために、『こんな大変な時に、僕は良いです』と本人が言うかもしれないことと、誰と一緒の部屋になるか」が心配として挙げられた。
それぞれの心配について、調査者が提案した方法は「準備ができそうである」と母親は答えた。例えば、「食べている人を見たら『どこでもらったか』、並んでいる人を見たら『何のために並んでいるのか』を聞くように、平時に話しておく」「備蓄食料は何か確認しておいて、避難の途中で食べられる物を確保するように準備しておく」「睡眠薬を含めた常備薬は最低3日分をいつも持って歩く」「避難所に行ったら、必要な薬を受付で申し出る」「避難所では何かの役割の手伝いをするように決め、そのためには、日頃から町内会の活動に参加し、知り合いを増やす」「避難所でも散歩や読書などの活動を確保する」であった。一方、長男は中学生になってから避難訓練に親と参加しなくなったことから、情報提供の方法として、マンガやビデオでの説明資料が希望された。
東日本大震災の際には、小学生であった長男は、親の帰りを校庭で待たされたが、近所の人が自発的に一緒に連れて帰り、その家で母親の帰りを待った。
(3)町内会の防災活動について
Cさんは「防災事業をボランティアで運営されている町内会役員の皆さんに対しては、とても感謝している」と述べ、「町内会に顔を出すことで、災害時に母親の不在に気づいてもらうこと」も意識していた。Cさん自身は隣組長も経験し、隣組外の要援護者も含めて4名から支援者として指名されていた。しかし、義母と長男を要援護者として登録していない理由を「見に行って『うん、無事ね』と確認することくらいしかしてもらえないため」と話した。一方、地域住民の危機管理意識について「準備が不足している」「町内会で配布された『要援護者支援要領』や『災害時マニュアル』を会員がどの程度読んで、正しく理解しているかは疑問」「要援護者は、近所で頼んでいる人が来てくれると思っているかもしれないけれど、その来てくれるっていうことがどういうことなのかまでは(安否確認だけで、救出や避難支援を含んでいないこと)、多分、判っていないと思う」「防災訓練も年1回で、来る人はいつものメンバー」「東日本大震災があったのに緊張感がない」と語った。また、最寄りの指定避難所で避難者が定員を超えて集まった場合に、どこに避難できるかについても不安を持っており、「ホームページで安否確認や避難所の状態がわかるとよい」と話した。
5.考察
5.1.地域における障害者の低い認知度
荒幡町内会の要援護者登録数は19、人口の0.24%であり、所沢市内の障害者手帳所有者3.55%と80歳以上の高齢者4.75%をあわせた8.3%の2.8%であった。荒幡の要援護者登録率は、所沢市内の11地区中最下位である吾妻地区の要援護者登録率0.6%の38.3%、所沢市平均値1.0%の22.3%であった。荒幡町の要援護者登録率が市内で低い理由は、荒幡町内会の自主防災活動が活発なために、特に要援護者登録をしなくてよいと考えられている、あるいは近隣に迷惑をかけたくないという地域特性によることが予想されるが、さらに調査が必要である。
要援護者名簿者のうち障害者は5名(登録者の26.3%、町人口の0.063%)であり、の障害者手帳所有者3.31%の50分の1にすぎなかった。すなわち、要援護者のうち障害児者の居住地については、民生委員にも町内会にも、ほとんど把握されていなかった。是に対して、要援護者名簿に登録されていなくても、独居高齢世帯と高齢者世帯は、民生委員によりおおむね所在が把握されていた。また、介護を必要とする高齢者は、介護保険のサービス事業者により把握されていると推測される。
障害者について、地域で存在が知られていないことは、障害者の共生が実現されていないことを示すと考えられる。絶対数の少ない障害者に対するサービス事業所は地域に存在しないことも多い[14]。また、障害名を開示せずに統合教育を受けている場合に、災害時のみに配慮の必要をどのように開示するかは課題であることも指摘された。地域住民、誰にでも等しい確率で発生する自然災害に対する個人避難計画を立てることは、地域における障害児者の共生を再検討する契機になると考えられる。
5.2.個別避難計画を蓄積する必要性
民生委員、町内会長、災害時要援護者、家族のいずれも、災害時における要援護者について、避難方法と避難所で必要な配慮がわからないと回答した。阪神・淡路大震災以降、災害時要援護者の避難と避難所での生活に困難が多いことは知られるようになった[15]。東日本大震災後には、障害当事者組織から政府への要望書及び提言書もまとめられた[16, 17]。しかし、まだ、有効な解決策は、障害者、家族、支援者の誰にも具体的に知られていない。個別避難計画の具体例を、地域の協力の基に、専門家と共に作成し、蓄積することが必要であると考えられる。
所沢市では、指定避難所以外の福祉避難所への避難、及び福祉避難所での生活は、平成23年度に新たに制度化された地区の「まちづくりセンター」が災害本部として担当することから[6]、要援護者が福祉避難所に避難することや在宅に留まる場合の支援物資の配給[18]を地域がどのように支援するかについて、「まちづくりセンター」と町内会の連携が必要とされると考えられる。東日本大震災以後、内閣府の「避難所における良好な生活環境の確保に関する検討会」報告書は要援護者への配慮も明記し[19]、東京都では「避難所運営マニュアル」で要援護者支援班を運営組織に位置づけた[20]。全国で、具体的な準備を進めるために有効な方法を明らかにすることは、次の課題である。
[1] 全国民生委員児童委員連合会. 要援護者支援と災害福祉マップづくり. 第2次 民生委員・児童委員発 災害時一人も見逃さない運動 推進の手引き(社福)全国社会福祉協議会. 2010.
[2] 横浜国立大学佐土原研究室. 横浜市内の自治会町内会における日常の活動と防災に関するアンケート調査 集計結果報告書. 2005.
[3] 災害時要援護者の避難対策に関する検討会. 災害時要援護者の避難対策事例集.平成22年3月.
[4]所沢市. 第2次所沢市障害者支援計画. 2012
[5] 所沢市. 平成24年度版自治会・町内会の便利帳. 2012
[6] 所沢市防災会議. 所沢市地域防災計画.平成24年12月.
[7] 国立天文台編. 理科年表. 丸善. 2012.
[8] 所沢市史編さん委員会. 所沢市史 下. 1992.
[9] 朝日新聞. 内陸部のダムも決壊していた 福島・須賀川、7人が犠牲. 平成23年5月3日.
[10] 鶴ヶ島市. 広報.
[11]荒幡町内会. 荒幡町内会アンケート結果報告. 2006.
[12]所沢市.第五期所沢市高齢者福祉計画・介護保険事業計画(平成24~26年度). 2012.
[13] 全国民生委員児童委員連合会. 第2次民生委員・児童委員発 “災害時一人も見逃さない運動”ハンドブック. 2009.
[14] 筒井澄栄, 北村弥生, 村島完治. 災害時の避難候補場所の選定における電子地図とGISの活用. 厚生労働科学研究補助金事業(障害者対策総合研究事業)「災害時の避難候補場所の選定における電子地図とGISの活用」平成24年度統括・分担報告書. 2013
[15] 障害者放送協議会, 災害時情報保障委員会, 日本障害者リハビリテーション協会. 災害時要援護者支援のための提言資料集. 2007.
[16] ゆめ風基金. 障害者市民防災提言書. 2013.
[17] 日本障害者フォーラム. 災害時における障害者等の支援に関する要望. 2013.
[18] 内閣府.避難所における良好な生活環境の確保に関する検討会 報告書(素案).2013.2.
[19] 内閣府. 災害時要援護者支援の在り方検討会 報告書(素案). 2013.2.
[20] 東京都.避難所運営マニュアル. 2013.