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障害者と災害時の情報保障
~新潟中越地震の経験と今後の防災活動~
シンポジウム報告書

新潟県中越地震における実情と取組み

新潟県精神障害者社会復帰施設協議会 酒井 昭平

私は現在、山古志村の隣にある、今は名前が変わりましたが、守門村にある施設で働いています。 新潟県には私どもの協議会に加入している社会復帰施設や、作業所などは60ヶ所近くあり、 中越地区にはそのうち30ヶ所の社会復帰施設、作業所が存在しています。

精神障害者のこころのケアの必要性

私自身、この震災を受けたとき、在宅の精神障害者は一体どこの誰が対応していくのかをずっと 考え続けていました。こころのケアチームが結成されましたが、ムードが先行しているような 感じもします。そして新潟県の「こころのケアチーム会議」に、私ども精神障害者社会復帰協議会 (以下、新精社協)は出席させてもらえませんでした。

地震は一瞬のうちにすべてを失うという大きな特性があります。私ども協議会の職員は、 被害者であると同時に支援者という、両方の立場にありました。震度6~7の地震は非常に怖いものであること、 そして地震の受け止め方は個人差が大きいということを、まず頭の中に入れておかなければいけないと思います。

今回の地震は、震度の大きい余震がずっと続いていて、繰り返し同じ怖い体験をすることが特徴です。 地震の前には水害がありましたし、そして冬には雪害も出てきています。春に向かうと、いいことが あるかというとそうではありません。地震で傷められた家や田畑は、今は雪で白く覆われていますが、 雪が溶ければ、地震時よりももっとひどい姿であらわれてくるだろうと思うのです。春になって もう一度被害を目の当たりにして、こころのケアや生活支援が必要だという時期を迎えるのです。
10月23日に地震があり、11月1日に私たちの村は町村合併をしました。この変化にも対応していかなければいけません。 市役所も対応が大変でしょうが、住む人たちも大変な思いをしながらやっています。

地震時の施設の対応

次に各施設は地震のときに、どう動いたかお話しします。私ども協議会は被災した施設にアンケート調査を したのでまとめてみました。まず、入所型施設と通所型施設、生活支援センターのような利用型施設とでは、 対応がそれぞれ違っていました。単独施設、あるいは複合施設かによっても違います。 施設種別によって対応が違っていたと感じられました。

それから、被害の大きさによって違ってくるは思うのですが、共通していることは、少ない職員で多くのことを 対応しなければいけないということです。私どもの施設では、グループホームと通所授産施設、 生活支援センターが1つの建物の中にあります。私は地震発生後、30分以内には駆けつけて施設に いたと思いますが、駆けつけてからずっと当直をしていたので、その後自分の家に戻ったのは 1週間後でした。自分の家族とは、その間別々の生活でした。それほど施設には職員がいなかったので、 来られる職員でいろいろな対応をしなければいけませんでした。

さらに私自身は、施設職員の対応、法人本部の仕事もありました。また、新潟県精神障害者社会復帰施設の会長や全国の団体の 評議員もしているので、今日話題になっている情報の収集と発信もしなければなりませんでした。

アウトリーチの活動

また、アウトリーチして、自宅で過ごしている利用者もおれば、避難先、親戚の家に行かれている方もいるので、 そういうところへの訪問がありました。安否確認、健康確認に続いて、訪問後も継続して、 生活支援もしなければならないケースもあります。たとえば避難所の食事は、しばらくはパンと 牛乳だけでした。もらっても、食べないで積んでおくという状態の人がおられました。 「この避難所には通所授産施設などの利用者がいるけれど、ご飯も食べないでいるよ」という 情報をもらい、現場に出向き、携帯電話で生活支援センターに連絡し、「何か食べるものをつくれないか」と頼んで、 つくってもらい、別の人がそれを運ぶといった支援も当初はしなければいけませんでした。 さらに各関係機関をめぐって、それぞれ精神障害者の状況が今どうなっているかを聞いて 歩かなければなりませんでした。

また、アウトリーチとして、復旧支援を、新精社協としてどうやっていくかという問題と、 生活支援センターとしてどのようにやっていくかという問題がありました。 地震後、激震地として指定された市町村を、全部私どもの生活支援センターでカバーしなければなりませんでした。 そうした中で、小千谷市にある通所授産施設は、玄関から入ることもできず、 床は数センチ沈み、裏にある崖には亀裂が入っていました。職員は5~6人いて、ほとんどの人の家が全壊もしくは 一部損壊にも関わらず、施設に駆けつけていました。それに対して、私どもの生活支援センターの スタッフが、たまたまその施設の近くに住んでいたことと、その人が職場に通えなかったことがあったので、 生活支援センターの職員として、この通所授産施設を3週間にわたって支援しました。

また、十日町市にはグループホームが隣接して2つあり、16人が住んでいましたが、崖崩れがあり、 そこに住めない状態になりました。親病院は全壊で使えず、グループホームの人は、一時的な 避難場所で、会議室に16人、男女一緒に生活していました。そういう施設をねらって、 盗難事件が起きました。それを防ぐために、共有の物品を運んだり、個人の日常生活用品を運んだりする お手伝いを県の協会としてしました。個人宅でも同様のことをさせていただきました。

つまり、生活支援センターがしなくてはいけないことを、被災をしていない県内の施設の人が応援を していったのです。これは、私どもは初めての経験でしたが、とても効果があったと評価しています。 精神障害者の施設や、精神障害者を知っている仲間から応援してもらって、復旧・復興することはかなり メリットがあると思っています。

生活支援センターのサテライトの設置

現在、私どもは、マグニチュード7の震度を記録した川口町に生活支援センターの臨時のサテライトを 開き、保健師と一緒に被災者の心のケア、生活相談、生活支援等を行っています。生活支援センターが サテライトをもつのは、国が正式に認めているものではありません。しかし私どもは、支援センター 本部と10km離れたところにサテライトを常設しています。今回震災地で上手くいったのは、 サテライトの存在でした。心のよりどころを求めてそこに来た人を受けとめることができたからです。 何人かの人は、使い慣れた場所、知っているところを利用するのが一番安心できると言っています。 普段利用しているところをうまく利用していけば、危機を乗り越えていけると思います。

社会復帰施設だからできた支援

さらに述べておきたいことがあります。社会復帰施設だからできたこととは何かということです。 精神障害者の何人かにとっては、社会復帰施設は生活基盤そのものです。そこにスタッフがいて、 いつでも行けて、休むことができて、何かがあったら対応してくれるところをもつことは大切なことです。 災害時に在宅の精神障害者に対して、十分に市町村が機能していない中で社会復帰施設は、 とても大切な役割を果たしたと思います。サテライトの効果も同じだと思います。
さらに利用者の安全の確保と確認は、ほとんどの施設が自分たちの手で行いました。 確かに市町村でやってくれたところもありますが、自分の生活支援センターを利用している人の 安全確認と生活支援をしていくのは、社会復帰施設しかないと思います。 また隣接する法人や、被災していない施設からの応援は、私たちにとって役に立ち、勇気を 与えてくれるものでした。

精神障害者固有の課題への提言

それから、まだ検証はしていませんが、精神障害者は睡眠剤を飲んで寝てしまうと、 後で何が起こったかわからないことがある、と何人かの方から聞きました。これについてどう 対応していくか、これからの課題だと思います。もう1つ、精神障害者が災害の危険の度合に 合った対応がなかなかできないことに、どう対応していくかという問題もあります。 自分の施設にいながら、震度5の余震があって、それ逃げろ、と言っても動けないのです。

それから、グループホームの一人暮らしの方々の安否確認や、その後の生活支援、避難所などで 過ごしている人の対応もあります。さらに避難所でない、たとえば親戚の家に避難したといっても、 日頃からつき合っていない親戚の家でどうやって過ごしていいかわからず、お茶を飲むのも、 トイレに行くのも遠慮する状態で、どんどんストレスがたまってしまうことがあります。
そういう人を早く察して、ケアしていかなければならないのですが、こうした情報をどのように 得ていくのか、どのように動いていくのかが課題だと思います。そして外来通院している人たちは、 病院にどうつなげるかも大きな課題でした。

これから実際に被害に遭った人たちから「どうしたらよかったのか」、「どうしてもらったことがよかったのか」等々、 聞き取りをしなければなりません。そして、私たちがこう思ったからというより、当事者から 見たときに何が足りなくて、何がよかったかを確認していかなければなりません。

第一に初期活動が大切です。最初の3日間くらいにどのように対応するかが、その後のその施設や、 その人たちをめぐる状況に相当に影響してくると思います。大きな心の痛手を受けても、 その3日間でどんな対応、どんなサポートができたのかで相当違ってくると思います。
最後になりますが、いろいろなところからお見舞い、電話をいただき、とてもありがたいと思いました。 中でも一番ありがたかったのは、顔見知りの方や同業者から電話をもらったことです。

こうした経験から、何か災害が起きた時には、地域で暮らしている精神障害者に 「大丈夫か、今どうしてる?」「何が足りないものはないか?」といったメッセージをいち早く 届けることが大切ではないかと思います。今後、災害が起こったときの問題をどう解決するかは、 仲間と一緒に考えていきたいと思います。

発行
2005年3月
編集・発行人
財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
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